ラブストーリー

2021年03月23日

『婚前特急』の前田弘二監督最新作『まともじゃないのは君も一緒』がやたら面白かった。

何しろ脚本が『さよなら渓谷』『詐欺の子』の高田亮さんということで期待値が高かったんですが、軽く越えてくれました。

でも、最初の30分、いや、もしかすると1時間くらいはイライラしっぱなしでした。


なぜこんなにも画面が暗いのか
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冒頭の清原果耶が友人たちと無駄話しているシーンにしても、この予備校内のシーンにしても、わざわざ曇天で撮ってたり、ブラインドを下ろしたりしてましたが、これがイライラの原因でした。

だってこんなことをすると否が応でも主役のクロースアップを撮るとこうなってしまいます。


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顔にほとんど光が当たっていません。この画像ではわかりにくいですが、表情が読み取りにくいクロースアップやツーショットが多すぎて辟易しました。

ところが……


物語があまりに面白い!
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素数の謎を考えるのがたまらなく楽しいという、いかにも数学好きな感じの成田凌は、一緒にご飯に行こうと言ってきた女の子を普通なら連れて行かない店に連れていき主役の清原果耶の顰蹙を買うんですが、清原果耶はいわば「普通教」という宗教の信者。そしてその宗旨に疑問をもち始めている。

疑問をもち始めたから成田凌に興味をもち始めたのか、成田に興味をもったから自分の宗教に疑問をもち始めたのか、それはわかりません。

啐啄の機というやつかもしれない。

普通であることにこだわり、世間に合わせることばかりを考え、自分というものがない。そんな清原果耶が憧れる横文字肩書が似合いそうな小泉孝太郎もクリシェばかりを使っている。清原果耶はセミナーで彼が次に何を言うかを簡単に予測できる。

小泉孝太郎は清原果耶を大学生と勘違いして抱こうとしますが、高校生と知って急に萎える。清原果耶という女にげんなりしたのではない。彼女に付いている「情報」が彼を萎えさせた。体で感じるはずのものを頭で考えてしまっている。

だから小泉孝太郎と同じ思考回路だった清原果耶は「何を食べたいか」ではなく「他の人ならどういう店へ行くか」というふうに考えてしまう。

数学にうつつをぬかすなんてダサい。という「情報」なんて本当は彼女にとってはどうでもよく、むしろそんな「情報」を吹き飛ばしてくれそうな成田凌に恋をした。

同じ高校の女子と彼女とつきあう男子に「どういうところが好きなのか」と問うと、「彼女が働いているバーでちょっと手伝ったら、カウンターの中っていつもと違う距離感だし、見える風景も違うし、何かそんなんでお互い魅力的に見えて」みたいな答えが返ってきますが、まさしくそういうものでしょうね。


「情報化社会」の荒波の中で
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解剖学者の養老孟子先生はかつて、

「人間は生きているから絶えず変化するものなのに、俺はこういう人間、私はこういう人、と自分や周りの人間を変化しない『情報』として捉えるようになった。それが『情報化社会』です」

という意味のことを言いました。

バーのカウンターで恋心が芽生えた二人は(その恋心もやはり啐啄の機のようなものだったのでしょうが)相手を変化する人間として見ています。「普通」という「情報」に振り回される清原果耶には最初はそれがまったく理解できない。


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でも成田凌に告白した彼女はもう普通教という邪教の信者でもなければ、俗物・小泉孝太郎に憧れる頭の弱い女の子でもありません。

清原果耶と成田凌が出逢ったこと。それが高度情報化社会における「啐啄の機」でした。

クラスの友だちの言動に疑問をもち始めたときに成田凌と出逢ったのは、これ以上ない最高のタイミング。

かつて蓮實重彦は、

「映画というのはつまるところ人と人が出逢うことだ」

と語っていましたが、まさにその通りの映画でした。


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まともじゃないのは君も一緒 (朝日文庫)
鹿目けい子
朝日新聞出版
2021-02-05







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2020年12月20日

ちょいと前に三作目の小説に着手したと書きましたが、仕事を最優先にしているため(何せ最近は体調不良で休むことが多かったので)三日に一回くらいしかノートに向かっていませんが、それでもなかなか順調に進んでいます。


前回の記事
小説を書き始めました、三作目(女子高生の胸キュン?) 


こないだ、職場で前作を読んでくれた人に、実は先月の終わりごろから新しい作品に着手したのだ、でへへ、なんて話をしたら、「何系?」と聞かれたので、「胸キュン系」と答えたら、ケタケタケタと笑われてしまいました。おまえに書けるんかい、お手並み拝見しようじゃないのさ、みたいな感じで「楽しみにしております!」と言われた。くそぉ、バカにしやがって!!

でもね、「胸キュン」と聞いて普通の人が思い浮かべるのとはちょいと違うんですよね。まぁ胸キュンは胸キュンなんですけど。

蓮實重彦がかつて、

「映画とはつまるところ人と人が出逢うことだ」

と言っていました。

ロッキーはアポロと出逢う。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の主人公は若き日の自分の両親と出逢う。
『ローマの休日』ではオードリー・ヘップバーンとグレゴリー・ペックが出逢うし、『サイコ』ではノーマン・ベイツとジャネット・リーとの出逢いがすべての始まりでした。

え、『ロッキー』はロッキーとエイドリアンとの出逢いじゃないの? という声が聞こえてきそうですが、エイドリアンとはすでに出逢っているところから話が始まるし、あの物語は「ロッキーがアポロとの死闘を通して自分は負け犬じゃないと証明する」のが主眼ですから、やはりアポロとの出逢いが主軸でしょう。

話がそれましたが、映画とは、物語とは人と人が出逢うこと。

じゃあ、誰が誰に出逢うのか。主人公が女子高生なのは決まっていますが、出逢う相手は誰なのか。

実は、出逢う相手のほうも女子高生なんですね。

え、それじゃあレズの話? とかって思われそうですが、まったく違います。

16歳の女子高生と24歳の女子高生が出逢う物語なのです。それ以上は企業秘密。

でも考えているうちに、少しずつそれてきた感あり。このままそれさせて違う方向へ行ったほうがいいのか。それとも軌道修正したほうがいいのか。最初の勝負どころに差し掛かっています。

続きの記事
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創作の極意と掟 (講談社文庫)
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