ヨーロッパ映画

2021年09月11日

先日見た『サマーフィルムにのって』もそうでしたけど、いまは厳しさのないぬるま湯の映画がはやりなんでしょうか。

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翻訳家の芝山幹郎さんが以前キネ旬ベストテンのコメントで、「図太くて厳しくて可笑しい映画」を基準に選んでいると言っていて、私はそれとちょっともじって「図太くて厳しくて哀しい映画」を基準にしてるんですが、それはともかく、このアカデミー国際長編映画賞を受賞し、監督賞にノミネートというサプライズも勝ち取った『アナザーラウンド』は図太くはあるし可笑しい映画でもあったけど、厳しさがまったくなかった。


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主人公のマッツ・ミケルセンは茫洋とした目をした中年の歴史教師で、やる気のない授業で生徒を怒らせ、彼から事態の深刻さを聞きつけた父兄が「もっとちゃんと授業をしてほしい」と学校に詰め寄ってくる。しかも離婚の危機に遭って涙を流す情けない男。

そんな彼が、仲良し4人グループの一人が「血中アルコール濃度が0.05%のとき人間のパフォーマンスは最大になる」という情報を開陳し、じゃあ飲んで授業するか、となる。ちなみに、0.05%というのは赤ワイン1、2杯程度飲んだときの濃度とか。


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実際、ほんの少しのアルコールで彼は見違えるほど楽しく乗れる授業をするようになる。ここらへんはすごく楽しかった。規範を踏み外すことで危機を乗り越えるなんて痛快じゃないですか。

だけど、職務中に飲酒するというのはおそらく彼らの服務規定に違反していると思うし、世界中どこでも非常識とされている行為。ばれたら非難されるに決まってるし、クビかもしれない。

映画においてウソや秘密は露見しなければならない。露見することで対立している二つの勢力のヘビーな本音が見えてくる。それがセオリーです。

この映画では、仕事中に酒を飲み始めた頃にすぐマッツ・ミケルセンの友人が体育館の中に酒瓶を隠していたのがばれ、「いったい誰が?」とまずは生徒を疑う。それはそうでしょう。でも、その後、彼ら4人の悪行は一切ばれない。

生徒の誰も疑わしくないとなれば次は教師を疑うはずですがそういう描写がない。あの覇気のないマッツ先生があんなに変わったのはなぜか? 麻薬でもやってるのでは? と疑う同僚教師がいてもおかしくないのに、それもない。

えらくお気楽な映画だなと思いました。

もしばれたら抗弁すればいいと思います。

「酒を飲んだら望み通りの授業ができた。なら何がいけないのか」と。

良識派の教師や父兄は「しかしそれは非常識だし服務規程にも反している」とか言ってくるでしょうけど、それにも「はたして本当にそうか⁉」と疑問を投げつけたらよかった。

確かに、悪乗りして0.05%では飽き足らずどんどん飲みすぎて4人のうちの1人が死ぬという悲劇は起きますが、それはこの映画のメインテーマとは何も関係がないから「厳しさ」とは言えません。

それに、あれだけ飲んだらいくら何でもばれるでしょう。臭いがするはず。

規範を踏み外したほうがいいパフォーマンスができるならそんな規範はないほうがいいのでは?

というところへもっていける抜群のアイデアだったと思うのですがね。





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2021年06月13日

アンソニー・ホプキンスが大本命チャドウィック・ボウズマンをかわして2回目のアカデミー主演男優賞に輝いた『ファーザー』。


父親が認知症
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私の場合、父親が認知症なので他人事じゃないし、予告編などを見るかぎりではアンソニー・ホプキンスのほうがよっぽど重症らしいので、父親の未来を見せてもらうつもりで見に行きました。


不条理ホラーとして出色の出来映え
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見始めてしばらくしてから驚きました。想像していたのとぜんぜん違ったので。

何しろ、アンソニー・ホプキンスの娘はオリビア・コールマンだったのに、ある場面ではオリビア・ウィリアムスに変わる。彼女の夫として登場した平凡な風采の男は実は夫ではなく、本当はルーファス・シーウェルが夫役。

つまり、アンソニー・ホプキンスは認知症なのでわからなくなっているんですね。オリビア・コールマンが娘でルーファス・シーウェルがその夫と書きましたけど、それも怪しい。逆かもしれない。本当は娘のオリビア・ウィリアムスが介護人に見えたり、老人ホームの職員に見えたりしているのかもしれない。

いずれにしても、認知症の人の不安と恐怖を言葉で説明するのではなく、ちゃんと映像として見せてくれるので「映画」の悦びに満ち溢れていましたね。「これはまったく新しい形のホラーだ!」と感激しながら見てましたから。


『タイタニック』
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しかし、見終わると何だか釈然としません。劇場から出てきて頭に浮かんだのは『タイタニック』でした。

あれは確かに面白い映画ですが、面白がっちゃいけないと思うんですよ。正確にいえば「観客が面白がるように作ってはいけない」。

だって、2000人近くの人が実際に命を落とした未曽有の大惨事を扱ってるんですから。現実の悲劇を架空の悲恋物語の「背景」として利用するなんて倫理的に許されはずがありません。


社会問題に材を取った映画として
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この『ファーザー』も同様かと問われると、許せないとまでは思いません。実際、認知症がどういうものかわからない人が疑似体験できるように作られているので、そういう意味では価値の高い映画だと思います。

でも、やっぱり『タイタニック』と同様、「認知症という社会問題を娯楽として消費している」という後ろめたさから逃れることができません。

娯楽映画だから気軽にこの映画を面白がる人がいる。その人たちの口コミでもっと多くの人が見に来る。実際そういう感じでミニシアター系としてはヒットしているようです。

認知症を娯楽映画の題材として扱うと、気軽に映画を楽しみたいだけの人々を啓蒙できる利点があります。一方で、娯楽として消費して、あー面白い映画を見た! で終わってしまう危険性も高い。社会問題を社会問題として見ず、認知症ってコワイねと他人事として見て簡単に忘れてしまう可能性が高い。


ラストシーンのあとが見たかった
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何だかんだの末に、娘夫婦が遠くへ引っ越してしまい、アンソニー・ホプキンスは老人ホームへ入れられます。それもいつ入れられたのかわからない。気がついたら施設にいて大混乱。自分のみじめな境涯に耐えられなくなり、職員の胸の中で泣き崩れます。

私はこのラストはいかがなものかと思いました。父親が実際に認知症だからなのか、本人が自分の病気に絶望するラストはものすごく中途半端な気がしたんです。

自分の病気に怯え、泣き崩れるシーンは物語の中盤、いわゆるミッドポイントに設定するべきではなかったか。少なくともターニングポイント2に設定して、そこからの第3幕は、自分が認知症と知った主人公が病気にどう立ち向かっていくかを見せてほしかった。

あそこで終わったのでは、それこそ「認知症を娯楽として消費している」ことになってしまうと思うんです。

具体的にどういうシーンを描けばいいのかはまったく思いつきませんが、主人公が病気に立ち向かい、何とか克服していく姿を描いてくれれば満足できたんじゃないか。

同じ泣き崩れるラストでも、立ち向かって克服しようとしたけどダメだった、で泣き崩れるんであればまだしも感動があったように思います。


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