創作

2021年06月20日

前回までの記事
小説を書き始めました、三作目(女子高生の胸キュン?)
三作目の小説が順調に進んでいます(女子高生は誰と出逢うのか)
三作目の小説、その後(素人の意見に……)
三作目の小説はビルドゥングス・ロマン!


去年の11月末に着手した小説、短編なのにまだ完成しません。

というのも、3月初めに去年書いたものが落選したと知り、いつも落ちたときが一番発奮してやる気が出るので、その金曜日と土曜日はシャカリキになって書いたんですよ。

が、それが災いして次の日曜日は朝からぶっ倒れてしまった。どうしてもいまの仕事は春が繁忙期で疲れているので「いま書いたら体を壊す」と思い、その日から中断しました。ゴールデンウイーク明けくらいに再開するつもりで。

ところが、ちょうどゴールデンウイークが明けた頃に退職する決断をしまして、それを会社に言ったら怒鳴られるなどストレスが溜まり、毎日半日くらい寝ないともたなくなってしまい、小説どころではなくなってしまいました。

しかし、睡眠を充分とる生活が功を奏したのか、先週病院に行くと、「あんた、いま絶好調やな」と言われまして、自分としてはその日も何だかちょいとだるかったんですけど、主治医によると「梅雨特有の体のだるさで、どうということはない。普通に書いたらいい」とのこと。梅雨時に絶好調なんてあの先生に診てもらうようになってからおそらく初めて。会社を辞める決断をしたのはやはり間違っていなかった。何しろ普通の言葉が通じませんからね。

そんなことより、先生は3月に死にかけたのでした。車で運転中に大きな車に追突されて首の骨を折ったとか。手術をして何とか助かったと。よかった。あの先生の言葉は暗示力が強いので頼りにしてるんですが、いつかは私より先にこの世からいなくなる。うーん、そのときはどうすればいいか。ま、そのとき考えましょう。「先を見てはいけない。何かあったらそのとき考えたらいい。まずいまをしのぎなさ」。というのが先生からこれまで何度も言われていることなのだから。

さて、というわけで先週診察を受けた日から小説を再開したんですがね、まずはそれまで書いたものを読み返したら、これが意外に出来がいい。もっとひどいのかと勝手に思ってたんですが、もちろん書き直しが必要な個所はたくさんあるとはいえ、予想よりもいい。でも、やはり疲れていたのか、最後のほうは腰砕けというか、全面的な書き直しが必要。

最後といっても、あくまでも3月初旬までに書いていたところまでの最後ですよ。物語の最後まで書いたわけじゃない。今回は3章仕立てで、第1章と第2章は主人公が違い、第3章は再び第1章の主人公が戻ってくる構成なんですが、第2章の4分の1くらい、つまり全体のまだ半分も書いていなかった。

第1章はまずまず。主人公が変わる第2章が何とも腰砕け。こりゃいかんとここ数日は書き直しに邁進しています。

今回も一人称、つまり主人公の語りで書いてるんですが、書きながら思ったことは、「俺って演戯をすることが好きだからシナリオとか一人称小説とかを書いてるんだろうか?」ということです。

「演戯がうまくないと脚本家にはなれない」

と、いろんな入門書に書いてありました。演技じゃなく演戯ですよ。演じるテクニックではなく、演じて戯れること。演じる遊びをうまく遊べるかが鍵。特にシナリオは8割セリフですからね。それぞれの人物になりきって演戯をしていかないととても書けない。

シナリオは何十本も書いたけど、小説は今回がまだ3作目。すべて一人称で書いてます。今回は初の三人称に挑戦しようか、とも思ったけれど、またぞろ一人称。

シナリオで三人称というのは原理的にありえないうえに、一人称というのは小説というジャンルならではじゃないですか。小説を書くなら一人称で書いてみたい、と思ってたんですよね。ジム・トンプスンの一人称の語りが大好きというのもあるし。

でも、ここまで一人称にこだわるのは何か別の理由があるんじゃないかと思ってましたが、今回初めてわかりました。

私は演戯することが好きなのです。

小説でもセリフを書くときは演戯できますが、三人称の地の文では演戯はできない。一人称の語りなら全編演戯ですからね。

いままで出逢った人たち、職場の人とか学校の友だちとか、みんな私のことを天然ボケと思ってるみたいです。それは半分当たっています。母親が天然ボケの権化みたいな人で、私がその遺伝子を一番多く受け継いでいるみたいなのでね。

でも、実際は演戯していることをほとんどの人は知らない。天然ボケを演じているのです。どっちにしても私が何か言えばドッと受けるからどっちでもいいんだけど、わざとボケてることにいいかげん気づいてほしいと思わないでもない。

母親は私がまだ20歳くらいのとき「あんたは俳優になるんじゃないかと思う」と言っていました。映画学校の同期生にも「俳優になったほうがいい」と言われました。でもならなかった。挑戦したほうがよかったのか。それはわからない。

でも、実感としてはカメラの前で演戯をするよりは、パソコンに向かって演戯をするほうが性に合っている。

というわけで、いまからまた書きます。


シナリオ創作演習12講
川邊 一外
2014-09-17









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2021年06月09日

もう10年前になりますか。映画脚本のコンクールで受賞したんですが、そのシナリオを読んで助言をしてくださった映画評論家の方がいました。(仮にMさんとしておきます)

ミクシィをやっていた頃に知り合い、お互いエロ画像を贈りあったり楽しいお付き合いをさせていただいていました。Mさんとのコメントのやり取りから発想したある政治映画のシナリオを書き、それは何よりもMさんに読んでいただきたいと送ったら快く読んでくださり、的確な助言をいただきました。

受賞作のときもかなり有益な感想を頂戴しました。もしあの意見がなければ受賞できなかったかもしれません。ラストシーンの非常に大事な小道具に関する意見でした。

しかし、そんなMさんとの蜜月も長くは続きませんでした。

受賞作が掲載された月刊シナリオを10冊くらい買いこんで東京の製作会社へ売り込みましたが、返事をいただけたのは1社だけ。社長直々のメールでした。その社長さんは業界では有名なプロデューサーで、ある有名なシリーズ映画の最新作の企画コンペに参加してほしいと依頼を受けました。しかし私の企画は通りませんでした。それからその社長さんにどんどん企画書を送ったものの(いつもプリントアウトして社長に渡してくれていた秘書さんは何という名前だったか)どれも却下で、焦った私はどんどん粗製乱造してしまい、1年たった頃には完全に見限られてしまいました。

で、またぞろコンクールに向けたシナリオを書くようになった頃、Mさんに読んでもらうと、よくわからない意見が書いてある。反論すると、「もっと審査員の好みを忖度して迎合して書かないといけない」みたいなことを言われ、あまりにアホすぎる意見にカチンときた私は舌鋒鋭く批判したら、「あなたのブログやツイートを読んでいると『プロになれなくてもいい』と考えている節がある。もし本当にそうなら何をかいわんやだ」などと言ってくる。

あまりにアホ臭くて返事しませんでした。「返信不要」とも書いたあったし。


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大河ドラマ『青天を衝け』のモデル・渋沢栄一の『論語と算盤』を読んだら、最後のほうにこんな一節があった。

「人を見るにあたって、単に成功とかあるいは失敗とかを標準とするのが根本的誤りではあるまいか」

「成功や失敗のごとくは、ただ丹精した人の身に残る糟粕のようなものである」

「現代人の多くは、実質を生命とすることができないで、糟粕に等しい金銭財宝を主としているのである」

「人は人たるの務めをまっとうせよ」


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Mさんは「審査員の好みを忖度してそれに迎合せよ」と言った。成功するためにはそれが必要であると。

しかし、迎合するためには自分の書きたいことやその題材やキャラクターの真実を犠牲にせねばならない。『論語と算盤』に即していえば、実質を捨てることによって糟粕を得よ、ということである。なぜそんなことをせねばならないのか。そんなことをするくらいなら一生成功しなくていいよ、とマジで思う。

その2年後くらいに上京し、結局、都落ちすることになった。その間にMさんは3冊の本を出した。しかし、これがどれも面白くない。3冊目のある大スターの伝記本みたいなのに至っては「Mさん、あなたは本当にこの本を出したかったんですか?」と問いつめたい気分に駆られた。

Mさんはその本を最後に著書を出していない。本は出しているが訳書だけである。

私は都落ちからほどなくして、ネットで公開されている受賞作を読んだと東京のプロデューサーからメールがあり、いくつかの企画コンペに参加させてもらった。落ち続けるなか、1本だけ「これは今回は映画化しないが、いずれシリーズ最新作を作るときには再び俎上に載せさせてもらう」との返事をいただいた。

が、その会社の次なる映画は、あるアメリカ映画のパクリだった。このブログで何度も書いているが、私はパクリが悪いことだなんて少しも思っていない。うまくパクればいいだけの話。

が、そのプロデューサーはこんな依頼をしてきた。

「いま公開中のアメリカ映画とキャラクターも話もまったく同じものをやります」

アホか。それはうまくパクる範疇をはるかに超えてただの盗作ではないか。私は決然と言い放った。

「他人のふんどしで相撲を取るなんて真似は死んでもできません。これは作家としてのプライドの問題です」

そんな企画でプロになるくらいなら死んだほうがまし。本気でそう思う。


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Mさんはそれでも3冊の著書を出している。私は映画化された脚本は皆無だし、最近書いている小説もまったくダメである。

しかし、私は人たるの務めをまっとうしてきたつもり。確かにプロにはなれなかった。それは実力不足が最大の要因であろうが、脚本家としての、人としての倫理と誇りを守りぬいたからでもある。

私は成功できなかった。でも、そんなものより大事なものがあると信じている。


論語と算盤 (角川ソフィア文庫)
渋沢 栄一
KADOKAWA
2013-07-25







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