社会批評

2021年07月15日

東京オリンピックが開催されることが決まりました。新型コロナ感染者は増加の一途をたどっていて、いまからでも中止にしたほうがいいと思いますが、IOCも政府もやる気満々なので止めるのは無理でしょう。


東京オリンピック2020は政治まみれの祭典
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私は感染者が増えるとかそういうことの前に、この一年半の政府の不手際(重傷者用ベッドをほとんど増やしてないとかワクチンに関するシッチャカメッチャカとか)を見ていると、この国はオリンピックという大きな大会を運営する力をすでに失っていると思う。おそらく大会期間中にいろんな不手際が続出して世界中に恥をまき散らすことになるでしょう。

それでいいと思う。堕ちるところまで堕ちれば8月15日を境にすべてが180度変わったように、いい方向へ変わるかもしれない。少なくともこれ以上の失政や失言が続けば、どうあがいても衆議院選挙は自民党の負けでしょう。

何しろ、あれだけ自治体に「早くワクチン接種を!」と言っておきながら途端に在庫が底をつくんですから、来週からどれだけの失策を世界に見せることになるのか。結構楽しみにしています。

すでに、飲食業界の不満鬱積は爆発寸前ですし、あろうことか金融機関を使って恫喝のススメをする、酒屋に対して居酒屋に裏切りのススメをする、という開いた口が塞がらない所業をして、非難されてもなお上司にだけ謝罪するという体たらく。

堕ちるところまで堕ちた日本の政治家と、「私たち自身にも責任がある」と自戒したサイゼリヤの社長。国民がどっちの言葉に従うか、ここで権力者におもねるようだとこの国はジ・エンドですな。

失政だけでなく、IOCのバッハとそのお友だちは開催したくてうずうずしている。オリンピックが利権まみれであることが白日の下に曝された。招致にあたって贈収賄の疑いがあるし(100%本当でしょうが)このオリンピックは政治まみれの祭典なのは誰の目にも明らか。


「スポーツに政治をもちこむべからず」という伝家の宝刀
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しかし、こういうオリンピックというスポーツの祭典をを政治利用することを好ましく思わない人たちがいます。

「スポーツに政治をもちこむな」という例のアレです。

私の知人で、東京オリンピックは中止にすべき、いや開催すべき、ということについて何も言わない人がいました。そのこと自体は別にいいでしょう。誰もが政治的な発言をしないといけないなんてそれこそファッショです。ところが、先日「開催決定!」という一報が流れるや否や、彼はこんなツイートをしました。

「スポーツ選手には昔から『夢を叶えた人』ということで尊敬の念をもっている。オリンピックではみんな頑張ってほしい。政治的なことに惑わされず、見る人を楽しませてほしい」

はあああああ? 賛成だったんかいな。それなら最初からそう言いなはれ。何も言わんといて開催と決まってから後出しじゃんけんみたいに言うなや。

それに「政治的なことに惑わされず」というのは看過しがたい。欧米諸国はワクチン接種率を高めることで映画館再開などこれまで禁止だったことが解禁され始めている。なのに日本は緊急事態宣言⇒解除⇒リバウンド⇒緊急事態宣言⇒解除⇒リバウンド⇒緊急事態宣言⇒解除⇒リバウンドと、同じことをぐるぐるやっているだけ。ワクチンさえ打てばと思っていたのにそのワクチンがいまは予約休止という憂き目。(私はまだ1回も打ってませんぜ)

とにかく、安倍と菅とその他お友だちの失政のせいで「開催か中止か」「開催なら無観客か否か」という議論をこんな直前までずっとやってきているのに、政治的なことに惑わされずって、やっぱりそれは「スポーツに政治をもちこむな」というアレなんですよね。スポーツファンの伝家の宝刀みたいなやつ。もちこんでいいのはブラックサンダーだけか?


毛沢東の言葉
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かつて毛沢東は言った。

「戦争とは血を流す政治であり、政治とは血を流さない戦争である」

スポーツは血を流さない戦争なのだから、つまるところ、「スポーツ=政治」ということになります。

だからスポーツに政治をもちこむなというのがおかしい。え? スポーツが戦争という前提がおかしいって? いやいや、それはオリンピックが「国別対抗戦」だからですよ。


すべての国別対抗戦は「戦争」である!
最近あまりないですが、最もナショナリズムが高揚するスポーツであるサッカーで「日本vs北朝鮮」というカードの場合、「これは代理戦争だ。絶対負けるな!」と叫ぶ人たちがいる。一方で「スポーツに政治をもちこむなんて」と醒めている人たちがいる。

私は断然前者。だって国別対抗戦なんですよ。国籍でメンバーを決めてるんですよ。試合前に国歌斉唱するんですよ。イタリアなら青、スペインなら赤というその国を象徴する色に染まったユニフォームを着て戦うんですよ。その時点で「政治」じゃないですか。

私は大のサッカーファンだけどワールドカップは廃止にしたほうがいいと思う。国別対抗戦なんかやっているからいまだに戦争がなくならないのだ。クラブチーム同士の対戦だけでいいじゃないですか。いろんな国の人が団結して戦う。それで充分。なのにテニスや卓球はせっかくの個人競技なのに、わざわざ団体戦なる国別対抗戦をやっている始末。嗚呼。


大谷翔平は政治利用すべからず
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いま世界で一番スポーツを楽しんでいる大谷翔平。ほとんど野球を見なくなった私でも、彼のアスリートとしてのすごさ、人柄の良さには感じるところが大きい。

昨日の「クローズアップ現代+」は大谷のすごさを斎藤隆が解説する内容でしたが、最後に女性アナウンサーの、

「アメリカではいま人種問題がとても大きな問題になっていて、大谷選手が人種の垣根を越えて愛されていることに希望を見出す人もいるようですが」

との振りに、斎藤さんが見事な返しを見せました。

「いや、大谷はただ野球を楽しんでいるだけなのに見ている人がそこに何らかの意味を見出そうとしているだけ。そういうことに関係なく彼のプレーを楽しみましょう」



私も同意見。大谷と「政治問題」を結びつけるのはナンセンス。なぜなら彼は国別対抗戦を戦っているわけではないし、むしろアメリカ人、プエルトリコ人、ベネズエラ人などいろんな国の人と分け隔てなくコミュニケーションをとっているから。彼は政治とは関係ない。これがWBCになったら話は別ですが。

オリンピックは国別対抗戦なのだからもともと政治的なものだし、特に今回の東京オリンピックは新型コロナにまつわるあれやこれやがあるからよけいに政治まみれ。

スポーツに政治をもちこむなというほうがおかしい。最初から政治なのだ。











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2021年07月02日

逮捕者が出た「ファスト映画」。


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もうとっくにすべてのファスト映画が削除されているのかと思いきや、ついいましたがYouTubeで検索すると見れました。

他人が作った映画を編集して見せて広告収入を得るというのは明らかな著作権法違反であり、逮捕は当然でしょう。

「ファスト映画」でググってみると、「音楽業界は当初YouTubeに違法にアップされることを拒絶していたが、いまは許容している。なぜなら、YouTubeにアップされて多くの人に聴かれたほうが収益が上がるからである。ファスト映画で逮捕者を出したのは業界としては悪手だった」というお経済学者のブログが出てきましたが、言語道断ですね。すべては金なのか、と。

いや、金の問題だけではありません。それがこの記事の主旨です。


作品を味わうということ
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芸人の兼近が、「ニュースなど情報を知るだけなら倍速で見ますが、映画とかコントとか漫才とか、そういうのは独特の『間』が味わえないので倍速で見るなんてありえないですね」と言っていました。

ファスト映画は倍速で見るのではなく10分程度に編集されたものを見るのだからもっとありえないと思うのが普通の感覚。

なのに、なぜファスト映画なるものが若者たちの間でかくも流通していたのか。


内容さえわかればいい
ファスト映画では10分程度に編集された映像に、あらすじを説明するナレーションがついています。最近の若者はコスパというかタイパ(タイム・パフォーマンス)を重視するらしく、限られた時間で大量の情報を摂取したいと。2時間も映画そのものを見るのはかったるい。10分で内容がわかればそれでよい。

最近はオタクがもてはやされていて、ひとつのことに熱中しているのはかっこいいと思われるそうです。だから大量の映画を見たい要求にファスト映画は応えているとか。

その気持ちはわからんでもないというか、私も昔は「できるだけたくさんの本を読みたい」と速読術を身につけようとしたことがあります。が、やめました。あれは「読書」ではないからです。内容はわかるかもしれないが、文体の妙などは味わいようがないからです。

若者たちは映画を「情報」と捉えている。それ自体は間違っていません。

問題は、彼らが自分自身をも「情報」と捉えていることです。


人間は変化する
ファスト映画を愛好する人が完全に見落としているのは、自分という人間は死ぬまで不変だと思っていることです。そうでなければ、10分のナレーションに要約された物語でその映画を見た気にはならないでしょう。

確かに内容はわかる。そのファスト映画を10年後に見ても20年後に見ても印象は変わらないでしょう。

しかし、映画や小説などの作品そのものは変わることがあるのです。いや、変わることがほとんどです。なぜなら自分自身が変化するからです。

作品は「情報」だから永遠不変です。でも人間は変わっていく。だから作品を世に出した当時は高評価だったものが時がたつと見向きもされなくなったり、その逆もよくあること。

ある映画を見て感じたのとはまったく違うことを10年後に見たときに感じるほうが普通です。そうやって人は自分の変化を感じ取る。

解剖学者の養老孟子さんは、かつてこんなことを言いました。

「情報へ変化しないが人間は変化する。なのに人間も情報同様に変化しないと考えるようになった。それが『情報化社会』です」

ファスト映画を見て映画そのものを見たのと同じ扱いにするというのは、自分自身をいつまでも変化しない「情報」と見なす誤謬に基づいています。


「いま」しか見えていない
ファスト映画を見る動機として、オタクとして大量の情報を摂取したいというものの他に「できるだけ損したくない」というのがあるそうです。

そりゃ私も損したくないですよ。つまらない映画を見たら「金返せ!」と思いますし。でも、時がたてばたいていのことは「いい思い出」になる。「あんなひどい映画に金を出したこともあったなぁ」と10年後の自分は思うかもしれない。

ファスト映画を愛好する人は「時間」の概念も欠けていると思います。「いま損をしたくない」という思いが強すぎる。長い目で見れば収支トントンかもしれないのに「長い目で見る」ということを知らない。(ひどいものを見るという経験が鑑賞眼を鍛えるということも忘れられています)

キラキラネームが影響しているのかもしれません。

ついこないだ、「颯太」と書いて「ルンタ」という人がいました。赤ちゃんや幼稚園児ならそんな名前でもいいでしょうが、社会に出て、中年になり、お爺さんになってもルンタでいいんでしょうか? キラキラネームをつける親たちは自分の子どもの「いま」しか見えていない。

そんな親に育てられたら「いま損をしたくない」という強迫観念に憑りつかれるのも無理はないのかもしれません。


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