映画

2021年09月26日

『海街diary』(2015、日本)
脚本・監督:是枝裕和
出演:綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すず


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いい映画でした。正直申しまして、是枝監督の映画って苦手な場合が多いので寝ちゃうんじゃないかと思いましたが、素晴らしかったですね。

女にだらしない父親をもった四姉妹が、父親が「ダメだけどやさしい人」だったのか、それとも「やさしいけどダメな人」だったのか、どちらだったのか考え、結論に至る物語なんですが、女優がみな素晴らしい。もともといい女優さんたちなんですけど、是枝監督の演技指導がいいのか、それぞれこれまでのキャリア最高といえる芝居を見せてくれます。(それにつけても広瀬すずのサッカーのうまさよ)

しかし、そういうことは私にとってはどうでもいいことです。この映画の素晴らしさについて語るくらいなら、四の五の言わずにもう一度見ればよろしい。私がこだわりたいのはもっと別の細部なのです。

後半の中盤くらいでしょうか、綾瀬はるかが母親役の風吹ジュンと家の近くの墓地まで一緒に歩いていく場面があります。雨が降っていて傘を差していくのですが、ここで綾瀬はるかはビニール傘を差すんですね。このビニール傘に私は徹底的にこだわりたい。

「雨が降るから傘を差すのではない。傘を撮りたいから雨を降らせるのだ」

とは蓮實重彦の名言ですが、この場面での雨は見事です。というか、人工的に降らせてるというより実際に降ってるときに撮ったんじゃないでしょうか。いい感じに降ってるけれど、あそこまで小さな雨粒は人工的に作ることは不可能ではないかと。
だから、是枝監督が「傘を撮りたいから雨を降らせた」のではないとは思います。

しかし、ここでなぜ主役の綾瀬はるかは安物のビニール傘を差すのでしょうか。
(↓こういうコンビニなんかで売ってるやつです)
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風吹ジュンはきれいな水色の折り畳み傘を差します。彼女は母親とはいえ同居しているわけではないので、雨模様だからと鞄に入れておいた傘なのでしょう。よそ行きのきれいな傘です。対して綾瀬はるかはその家の住人だから、しかも一緒に行く相手が母親という身近な人だから、さらに目的地がすぐ近くだから安物のビニール傘を選んだ、という物語的必然としては理解できるのですが、作り手である是枝監督がなぜあの場面で綾瀬はるかにビニール傘をもたせたのか、私は理解できかねるのです。

蓮實の傘についての至言は、ヒッチコックの名作『海外特派員』を指して言われたものでした。


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『海外特派員』の有名な傘の場面。
ここで、ヒッチコックはまさに傘を撮るために雨を降らせているのですが、見事なまでにすべて真っ黒な傘です。モノクロだから全部黒に見えるだけかもしれませんが、現場でどういう色かは問題ではなかったはずです。観客の目に「すべて真っ黒な傘」に見える必要があった。白い傘や柄物や薄い黒は一切なく、すべて等しく真っ黒に映る傘である必要があった。

物語的には、この場面では老若男女いろんな人がいるはずだから白い傘や柄物などいろんな傘があっていいはずです。しかし究極の審美主義者ヒッチコックはそれを許さなかった。リアリズムなどくそくらえ! すべて真っ黒な傘が蠢くほうがよっぽど美しいではないか、と。

『海街diary』では、そういう審美性がないのですね。ないからダメだと言っているのではないのです。いまという時代は、ヒッチコック全盛の時代なら嗤われたであろう「くそリアリズム」の時代なのだと痛感するだけなのです。

ヒッチコック全盛期とは映画全盛期のことです。あの頃なら、主役の役者に安物のビニール傘などもたせなかったでしょう。あそこで高価な傘をもっていくのはちょっと不自然ですが、ただ、周りの景色や綾瀬はるかの美しさと、安物のビニール傘はどうしても釣り合わないのです。だからごく普通の美の基準から考えて、かつての映画界なら主役にあんな傘はもたせなかったでしょう。

でも、是枝監督はもたせたのですね。それは、上述したように、綾瀬はるかが演じる女性の「内面」を考えた場合、あの傘が「自然」であろうという考え方だったのでしょう。

昔なら、外面からくる「不自然だけど美しい」を選んだはずが、いまは、内面からくる「美しくないけど自然」を選ぶ時代なのだなと、クラシック映画が大好きな私はため息をつかざるをえない。

それは裏返せば、「美しいけど不自然」を嫌う風潮でもあるのかなとも思います。

「不自然だけど美しい」か「美しいけど不自然」かの間で揺れるこの映画が、「やさしいけどダメな父親」か「ダメだけどやさしい父親」かをめぐる物語を語っていることを考えると、複雑だけれど何だか楽しくなってくるのも、また事実なのでした。



海街diary
綾瀬はるか
2015-12-16





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2021年09月24日

『空白』(2021、日本)
脚本・監督:𠮷田恵輔
出演:古田新太、松坂桃李、寺島しのぶ、藤原季節、田畑智子

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『BLUE/ブルー』は未見ですが先日WOWOWが放送してくれたので近日中に見る予定の、𠮷田恵輔監督の新作が早くも封切られました。(以下ネタバレあります)

ラストシーンを見て思い出したのは、90年代半ばの脚本家・倉本聰さんの言葉でした。

『ニュースステーション』で司会の久米宏と一緒にうまい飯を食いながら語り合う「最後の晩餐」というコーナーがあって、倉本さんがゲストのときに放った言葉。「恋人から夫婦になるときに気をつけるべきことって何だと思います?」と久米宏から問われた倉本さんはこう答えた。

「僕はね、同じ風景を見つめることじゃないかと思うんです。恋人のうちは対面して見つめ合ってればいいんだけど、結婚して働いて子どももできて、それでもずっと見つめ合うなんてできないでしょ。風景でも絵でも映画でも何でもいいけど、同じものを見つめて『きれいだね』『そうね』と同じ感覚を共有する、そういう時間をできるだけたくさんもつ。そうやって赤の他人だった男と女が夫婦になっていくんだと思うんです」

『空白』の古田新太は、事故死した娘の死を受け容れられず、万引き未遂犯として追及しようとした松坂桃李店長を執拗に責め上げる。責めても責めても、松坂桃李がどう答えようと娘の死の直前に何があったか、何がどうなって死に至ったのかはもう永久にわからない。

娘のことを理解しようとして本棚にあったマンガを読むが「まるでわからない」。

が、娘の担任教師(この女優が水谷豊と伊藤蘭の娘とは知らなかった)が美術の時間に描いた絵だともってきてくれた絵を見て彼は救われる。

それはイルカのような形をした雲が三つ海の上に浮かんでいる絵。古田新太も「ちょっと前にイルカに似た雲が浮かんでたんだ」と、うまい下手の差はあれど、ほとんど同じ絵を描いていた。

同じものを見つめ、同じようにイルカに似ていると感じていた父と子。古田新太はとんでもなく最低な男で、漁師の弟子みたいな男にも「あんたが親だときついっす」と言われる、誰がどう見ても父親失格の男。おそらく娘は父親が嫌いでしょうがなかっただろう。それでも同じものを見つめ、同じように感じていた事実によって、二人は初めて「親子」になる。いや、親子になったような気がするだけかもしれない。


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それでもいいではないか。それぐらいの勘違いがなければ生きていけないよ。

この映画はそう語っているように思いました。セリフではなくきちんと画で見せているところが素晴らしい。

(以下はこの映画への批判です。映画が好きな方は読まないでください)


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イルカ雲の絵を見るちょっと前、娘を轢いてしまった女性が自殺し、その葬儀の席に駆けつけた古田新太に、彼女の母親・片岡礼子が「心の弱い娘に育ててしまった私の責任です」と頭を下げる。ここから古田新太は見違えるほど人が変わる。そのおかげで絵も描くようになるし、娘のマンガを読むようにもなる。

でも、あそこで片岡礼子があんなものわかりのいいことを言うのはちょいとご都合主義じゃないかと思いました。直接的に娘の死に関係している松坂桃李だって最初は謝罪なんかしてなかったじゃないですか。いくらあの女性が心の弱い人でも、いや、だからこそ、その母親にものわかりのいいことを言わせてはいけないと思う。それまで女性の謝罪を完全無視していた古田新太が葬式に駆けつけるのがそもそもおかしいと思うし。

あの片岡礼子の言葉で主人公の心が変わっていくだけに、ちょっともったいない気がしました。

それ以上に気になるのは……


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『空白』というタイトルは、冒頭、化粧品を万引きしようとした娘の手首をつかんだ松坂桃李が「ちょっと事務所まで来て」と連れて行き、そのあと事務所から逃げる娘、追う松坂、そして事故、という流れになるんですが、事務所で何があったかが「空白」なんですよね? 古田新太はそのとき何があったか、松坂桃李が何をしたかを知りたがる。

学校の教頭は「あの店長は痴漢で捕まったことがある」とか言ってましたけど、ラーメン屋で古田新太にそれを訊かれたときの松坂桃李のリアクションから察するに嘘ですよね。そして、娘のぬいぐるみに盗んだ化粧品が隠されていたことを知る古田新太。

ということは、あのとき事務所では別にハレンチな行為はなかっただろうし、娘の手や鞄の中には盗んだ化粧品があったことは確実。ただ単に事情を聞いていただけでしょう。「警察に突き出すぞ!」くらいの脅しはしたかもしれないが、盗んだ以上それぐらいのことは言われて当然。

つまりは、何も秘密がないシーンをなぜオフにしたのか、これがさっぱりわからない。

普通に松坂桃李が事情聴取して、ちょっとは脅して、勢いあまって机に脚をぶつけて、痛がる隙に娘は逃げる。で、結果的に事故死。というふうにオンですべて観客に見せたほうがよかったのではないでしょうか。

観客はすべて知ってるし、松坂桃李もすべて正直に答えるけど、どう答えようと古田新太には嘘にしか聞こえない。だから執拗に彼を責め上げる。まったく同じ流れにできますから、オフにする=空白にする意味がない。

変に「空白」にしてしまうから何か秘密があるのかと思ったら何もなさそうだし、逆に本当に何も秘密がなかったのかどうかさえ「空白」ですよね。観客に対してはっきり答えを見せるべきだと思う。無責任です。


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寺島しのぶのキャラがよかったですね。ただ、彼女は彼女なりの「正義」を振りかざしているのかと思ってたら松坂桃李に片想いしてただけってのはちょいと興醒めしましたが。でもこの映画で一番光っていたのは彼女でした。

結局、彼女も頼りにされるのはいいけど、炊き出しのカレーをぶちまけられてどこに怒りをぶつけていいのやら泣けてくるし、松坂桃李は「アオヤギ屋の店長でしょ? あんたの焼き鳥弁当好きだったんスよ。また弁当屋でもやって食わしてくださいよ」と言われる。ありがたい言葉だけど「いまそれを言われても」という気持ちでしょう。

結局、勘違いかもしれないけど救われた気持ちになったのは最低親父の古田新太だけというのは、ちょっとアレな感じがしないでもない。主役の役得? そういうこと? 母親の田畑智子は古田新太に「悪かった」と頭を下げられたからそれでいいのか。

というか、やっぱり古田新太は最後までああいう「ものわかりの良さ」を見せてはいけなかったと、そこがどうしても引っ掛かる。

でも20年以上も前の倉本聰さんの言葉を思い出させてくれた『空白』という映画、見てよかったです。ありがとうございました。


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