ロック・ポップス
2020年11月26日
愛読させてもらっているあるブログでずっと前ですが、紹介されていたのが、リーフ・ハウンドというバンド。
由緒正しきブリティッシュ・ロックの流れをくむバンドらしいのですが、まったく知りませんでした。名前すら。
もう半年ほど前ですがアマゾンで購入し、折に触れて聴いているんですが、これが本当にいい。
というか、いま調べてみたらとんでもない値段がついています(何と13万!)。いま売ったら儲かる。儲かる。絶対儲かる。でも売りません。好きなアルバムを売るなんて魂を売ってしまうに等しい。
さて、この『Growers of mushroom』というアルバムはほんとは9曲しか収録されていないんですが、そこは最近の日本版の悪習で「ボーナストラック」なるものが付録でついており、その最後の一曲「Too Many Rock'n Roll Times」という曲が素晴らしいのです。(ボーナストラックも侮れないことがあるのです)
どうです? いかすでしょ。いまだヘビロテ状態になったことのないアルバムですが、週に一度は聴かないと腹に力が入りません。
この一枚を出しただけで解散したそうですが、21世紀になってから新たに活動を再開させたらしく、そちらのアルバムはまだ聴いていません。でも、この一枚で充分な気も。

由緒正しきブリティッシュ・ロックの流れをくむバンドらしいのですが、まったく知りませんでした。名前すら。
もう半年ほど前ですがアマゾンで購入し、折に触れて聴いているんですが、これが本当にいい。
というか、いま調べてみたらとんでもない値段がついています(何と13万!)。いま売ったら儲かる。儲かる。絶対儲かる。でも売りません。好きなアルバムを売るなんて魂を売ってしまうに等しい。
さて、この『Growers of mushroom』というアルバムはほんとは9曲しか収録されていないんですが、そこは最近の日本版の悪習で「ボーナストラック」なるものが付録でついており、その最後の一曲「Too Many Rock'n Roll Times」という曲が素晴らしいのです。(ボーナストラックも侮れないことがあるのです)
どうです? いかすでしょ。いまだヘビロテ状態になったことのないアルバムですが、週に一度は聴かないと腹に力が入りません。
この一枚を出しただけで解散したそうですが、21世紀になってから新たに活動を再開させたらしく、そちらのアルバムはまだ聴いていません。でも、この一枚で充分な気も。


2020年08月04日
昔、『懐かしのカンツォーネ』みたいな安物のCDをなぜかもっていました。ほんとなぜもってたのかわからない。普通、あんなの買わないし。
でも、カンツォーネのことを「イタリアの民謡」だと思っていた私は、ちょうど兄がミラノに住んでいたこともあって「イタリアの文化を知ろう」と思って買ったのでしょうね。
ただ、完全に騙されていました。
曲がひどかったんじゃないんですよ。どれも活きのいい曲ばかりで、買った直後だけでなく、何度もヘビロテ状態が訪れたほど。
買ってから1年後くらいに映画の専門学校に進学したんですが、そこでヘヴィメタルのバンドをやってる奴がいて、「とにかくいろんなジャンルの音楽から吸収したい」と言っていたので、「カンツォーネなんかどう?」と聞いたら「ぜひ!」というから貸したんですよ。
以下は数日後の彼と私の会話です。
「聴いた」
「どうやった?」
「あんなん聴いてんの?」
「あかん?」
「いや、あかんていうか」
「何」
「だから」
「だから何」
「何ていうかさ、カルチャーショック受けたんよ」
「ほんじゃよかったんや」
「いや悪い意味のカルチャーショックなんよ」
何でも最初はあまりの衝撃で笑いが止まらなかったらしいんですが、聴けば聴くほど「こんなのを聴いてる奴はアホや」という結論に至ったそうな。
とかいいながら「あのカーーーンツォーネ、ダーーーモーレっていうやつはすごかったね」と盛り上がってしまったんですよね。
「カンツォーネ・ダモーレ」というこんな歌です。
サビの部分の2回目、「カ、ア、アンツォーネ、ダ、ア、アモーレ」というところがツボだったらしく、まったく一緒だった私は爆笑しました。
でも彼は最後に言いました。「あんなのを聴いとったらアカン」と。
こうも言ってましたっけ。「これはカンツォーネじゃない」と。
こんなやつだと教えてくれました。当時はYouTubeなんかなかったから、自分で歌って教えてくれました。こんな感じのやつです。
完全に違いますね。そうか、これがイタリアの民謡か。
でも、「カンツォーネ・ダモーレ」をはじめとする、私が買ったCDのカンツォーネは何だったのでしょう?
と思って調べてみたら、「カンツォーネ」というイタリア語は単に「歌」を意味するとか。
うーん、なるほど。私は騙されていたわけです。
あのCDは目先の金ほしさにかなり前に売ってしまいましたが(二束三文にしかならなかったはずなのでもっとけばよかった)いま「カンツォーネ・ダモーレ」を聴いてもカルチャーショックを受けてしまいます。
あの友人も何だかんだ言って楽しんで聴いたみたいだし。もう一人、ハードロックをやってる友人もいて、私らの会話を聴いてかなり興味をひかれたらしく、貸してほしいというので貸したら「同じ感想。笑ったけど、こんなの聴いてたらダメだと思う」
何でだよ! さんざん楽しんだくせに!!
というわけで、最後に、かのCDに収録されていた歌で、「カンツォーネ・ダモーレ」以外でいまだにタイトルも旋律も憶えていた唯一の曲をご紹介しましょう。
これは私がイメージしていた「イタリアの民謡」にちょっと近いかも。「ユッピ・ドゥー」という歌です。おっぱいも見れますよ!
↓「カンツォーネ・ダモーレ」を歌っているのはこの3人。↓
でもこのアルバムに「カンツォーネ・ダモーレ」が入ってるのかどうかはわかりません。

でも、カンツォーネのことを「イタリアの民謡」だと思っていた私は、ちょうど兄がミラノに住んでいたこともあって「イタリアの文化を知ろう」と思って買ったのでしょうね。
ただ、完全に騙されていました。
曲がひどかったんじゃないんですよ。どれも活きのいい曲ばかりで、買った直後だけでなく、何度もヘビロテ状態が訪れたほど。
買ってから1年後くらいに映画の専門学校に進学したんですが、そこでヘヴィメタルのバンドをやってる奴がいて、「とにかくいろんなジャンルの音楽から吸収したい」と言っていたので、「カンツォーネなんかどう?」と聞いたら「ぜひ!」というから貸したんですよ。
以下は数日後の彼と私の会話です。
「聴いた」
「どうやった?」
「あんなん聴いてんの?」
「あかん?」
「いや、あかんていうか」
「何」
「だから」
「だから何」
「何ていうかさ、カルチャーショック受けたんよ」
「ほんじゃよかったんや」
「いや悪い意味のカルチャーショックなんよ」
何でも最初はあまりの衝撃で笑いが止まらなかったらしいんですが、聴けば聴くほど「こんなのを聴いてる奴はアホや」という結論に至ったそうな。
とかいいながら「あのカーーーンツォーネ、ダーーーモーレっていうやつはすごかったね」と盛り上がってしまったんですよね。
「カンツォーネ・ダモーレ」というこんな歌です。
サビの部分の2回目、「カ、ア、アンツォーネ、ダ、ア、アモーレ」というところがツボだったらしく、まったく一緒だった私は爆笑しました。
でも彼は最後に言いました。「あんなのを聴いとったらアカン」と。
こうも言ってましたっけ。「これはカンツォーネじゃない」と。
こんなやつだと教えてくれました。当時はYouTubeなんかなかったから、自分で歌って教えてくれました。こんな感じのやつです。
完全に違いますね。そうか、これがイタリアの民謡か。
でも、「カンツォーネ・ダモーレ」をはじめとする、私が買ったCDのカンツォーネは何だったのでしょう?
と思って調べてみたら、「カンツォーネ」というイタリア語は単に「歌」を意味するとか。
うーん、なるほど。私は騙されていたわけです。
あのCDは目先の金ほしさにかなり前に売ってしまいましたが(二束三文にしかならなかったはずなのでもっとけばよかった)いま「カンツォーネ・ダモーレ」を聴いてもカルチャーショックを受けてしまいます。
あの友人も何だかんだ言って楽しんで聴いたみたいだし。もう一人、ハードロックをやってる友人もいて、私らの会話を聴いてかなり興味をひかれたらしく、貸してほしいというので貸したら「同じ感想。笑ったけど、こんなの聴いてたらダメだと思う」
何でだよ! さんざん楽しんだくせに!!
というわけで、最後に、かのCDに収録されていた歌で、「カンツォーネ・ダモーレ」以外でいまだにタイトルも旋律も憶えていた唯一の曲をご紹介しましょう。
これは私がイメージしていた「イタリアの民謡」にちょっと近いかも。「ユッピ・ドゥー」という歌です。おっぱいも見れますよ!
↓「カンツォーネ・ダモーレ」を歌っているのはこの3人。↓
でもこのアルバムに「カンツォーネ・ダモーレ」が入ってるのかどうかはわかりません。


2020年08月02日
T-レックスの歌声にのせた予告編を見て、見る気満々だったロシア・フランス合作の2018年作品『LETO -レト-』を見てきました。
が、これが残念ながらがっかり拍子抜けでした。
視覚的・聴覚的には……

舞台は1980年代前半、つまり東西冷戦時代のレニングラード。国から禁止されている西側の音楽=ロックをこよなく愛し、アンダーグラウンドの世界で演奏をし、アルバムを売買している世界。
映画の感想を書くたびに同じことばかり言ってますが、意味のない手持ちカメラには辟易しましたが、基本的に白黒が好きなので視覚的には楽しめましたね。逆光の捉え方もうまいし、編集のリズムもいい。それに何よりナターシャというヒロインを演じる女優さんがかわいいので最後まで見れました。
音楽も、一番フィーチャーされたのがイギー・ポップの『パッセンジャー』ということで、イギー好きにはたまらなかった。
しかし……
なぜいま「80年代」なのか
いまロシアではプーチンが独裁政治を敷いていて、監督自身も軟禁状態らしく、大衆は自由を奪われている。そこで、同じように自由を奪われていたソ連時代に想いを託したのでしょう。それはわかります。(ロシア以外でもアメリカのトランプや中国の習近平など、ならず者が大国の指揮を執っている時代だからこそ、ということなのでしょう)
1917年のロシア革命で皇帝を処刑し、自由を獲得した。が、スターリンの台頭で全体主義がソ連全土を覆い尽くし、体制側の思想に染まらないはみ出し者は「粛清」された。自由を求めて革命を起こしたはずが、もっと不自由になり、圧政に苦しむことになった。
というのが、ソビエト社会主義共和国連邦の鬱屈だったはずですが、この『LETO -レト-』に登場する若者たちは、そのような鬱屈とは無縁のようです。愛する音楽を禁止する自国への恨みだったり、そういう国に生まれたことへのやりきれなさとか、そんなことをおくびにも出さない。
でも、それが一見不自然に見えないのも事実。しかしながら、不自然に見えない一番の理由は「政治権力が介入してこない」からですよね。
彼らのライブは当局が統制しているみたいな描き方をしていましたが、実際にはそうだったんでしょうけど、会場に警察が踏み込んできて逮捕されたりしてもよかったのでは? 史実を基にしているといっても半分くらいは脚色していると最後にテロップで出たし、実際に逮捕されなくても逮捕されそうになったり、逮捕されたけど脱獄するとか、それぐらいのことは見せてほしかった。
大きな物語=東西冷戦

マイクというバンドリーダーとナターシャの二人に、ヴィクトルというアジア系(?)の若者が介入してきて……という恋愛物語は面白かったけど、やっぱりロックを題材にするからには「恋と政治と革命」じゃないといけないのでは?
前景で描かれる物語が「ロックを愛する若者たちのウロウロ」なのはいいけれど、後景には東西冷戦という「大きな物語」があるはずなのに、少しもそれが感じられない。冒頭で「80年代前半のレニングラード」というテロップが出なかったらいつの時代かわからなかった。
逮捕されたりするのはさすがにやりすぎかもですが、彼らが少しも政治的発言をしないのはなぜなんだろう? 政治のせいで当局の監視下でないとライブができないわけでしょう?
彼らを大きく支配しているのは後景の大きな物語なのだから、それと前景との関わりを少しも描かないというのは大いに不満でした。
もしかして……
「音楽に政治をもちこむな」
「映画に政治をもちこむな」
ということなんでしょうか。
そういえば、当ブログの読者さんにも映画の感想しか読まない人がいます。テレビドラマの感想しか読まない人もいるし、社会批評にカテゴライズしたものしか読まない人もいる。
こういうのは日本だけの現象かと思ってましたが、ヨーロッパでも「タコ壺化」が進んでいるのかしらん?
などと思った梅雨明け直後の夕暮れでした。

が、これが残念ながらがっかり拍子抜けでした。
視覚的・聴覚的には……

舞台は1980年代前半、つまり東西冷戦時代のレニングラード。国から禁止されている西側の音楽=ロックをこよなく愛し、アンダーグラウンドの世界で演奏をし、アルバムを売買している世界。
映画の感想を書くたびに同じことばかり言ってますが、意味のない手持ちカメラには辟易しましたが、基本的に白黒が好きなので視覚的には楽しめましたね。逆光の捉え方もうまいし、編集のリズムもいい。それに何よりナターシャというヒロインを演じる女優さんがかわいいので最後まで見れました。
音楽も、一番フィーチャーされたのがイギー・ポップの『パッセンジャー』ということで、イギー好きにはたまらなかった。
しかし……
なぜいま「80年代」なのか
いまロシアではプーチンが独裁政治を敷いていて、監督自身も軟禁状態らしく、大衆は自由を奪われている。そこで、同じように自由を奪われていたソ連時代に想いを託したのでしょう。それはわかります。(ロシア以外でもアメリカのトランプや中国の習近平など、ならず者が大国の指揮を執っている時代だからこそ、ということなのでしょう)
1917年のロシア革命で皇帝を処刑し、自由を獲得した。が、スターリンの台頭で全体主義がソ連全土を覆い尽くし、体制側の思想に染まらないはみ出し者は「粛清」された。自由を求めて革命を起こしたはずが、もっと不自由になり、圧政に苦しむことになった。
というのが、ソビエト社会主義共和国連邦の鬱屈だったはずですが、この『LETO -レト-』に登場する若者たちは、そのような鬱屈とは無縁のようです。愛する音楽を禁止する自国への恨みだったり、そういう国に生まれたことへのやりきれなさとか、そんなことをおくびにも出さない。
でも、それが一見不自然に見えないのも事実。しかしながら、不自然に見えない一番の理由は「政治権力が介入してこない」からですよね。
彼らのライブは当局が統制しているみたいな描き方をしていましたが、実際にはそうだったんでしょうけど、会場に警察が踏み込んできて逮捕されたりしてもよかったのでは? 史実を基にしているといっても半分くらいは脚色していると最後にテロップで出たし、実際に逮捕されなくても逮捕されそうになったり、逮捕されたけど脱獄するとか、それぐらいのことは見せてほしかった。
大きな物語=東西冷戦

マイクというバンドリーダーとナターシャの二人に、ヴィクトルというアジア系(?)の若者が介入してきて……という恋愛物語は面白かったけど、やっぱりロックを題材にするからには「恋と政治と革命」じゃないといけないのでは?
前景で描かれる物語が「ロックを愛する若者たちのウロウロ」なのはいいけれど、後景には東西冷戦という「大きな物語」があるはずなのに、少しもそれが感じられない。冒頭で「80年代前半のレニングラード」というテロップが出なかったらいつの時代かわからなかった。
逮捕されたりするのはさすがにやりすぎかもですが、彼らが少しも政治的発言をしないのはなぜなんだろう? 政治のせいで当局の監視下でないとライブができないわけでしょう?
彼らを大きく支配しているのは後景の大きな物語なのだから、それと前景との関わりを少しも描かないというのは大いに不満でした。
もしかして……
「音楽に政治をもちこむな」
「映画に政治をもちこむな」
ということなんでしょうか。
そういえば、当ブログの読者さんにも映画の感想しか読まない人がいます。テレビドラマの感想しか読まない人もいるし、社会批評にカテゴライズしたものしか読まない人もいる。
こういうのは日本だけの現象かと思ってましたが、ヨーロッパでも「タコ壺化」が進んでいるのかしらん?
などと思った梅雨明け直後の夕暮れでした。

