哲学

2021年08月16日

兄の薦めで、みうらじゅんとリリー・フランキーの対談本『どうやらオレたち、いずれ死ぬっつうじゃないですか』を読みました。

特に「お!」と唸った言葉について感想をつらつらと綴ります。


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リリー
「副流煙が迷惑だ」みたいなことを言う人がいるけど、そんな迷惑を考えたらファミレスの隣で話しているくだらない話が耳に入るだけで、こっちだって相当迷惑してるんだって言いたいですよね。喫煙席と禁煙席じゃなく「面白くない話するヤツ席」を作ってほしい。

ハハハ。これは面白いというか、私は面白くない話も含めて他人の話に興味があるので別にそんな席がほしいとは思わないが、喫煙者ばかりを迫害するここ20年、30年くらいの政府のやり口には非喫煙者だけど憤りを感じているので、「我が意を得たり!」って感じだった。自分が受けた迷惑にだけ敏感で、自分が他人に与えているかもしれない迷惑には鈍感な人が増えてますね。


リリー
そもそも喧嘩までならないにしても、何かに対して怒りみたいなものを覚えなくなるという感覚が人としては一番死んだ状態だと思うんですよね。やっぱり何かを憎めないと何かを愛せないはずでしょ。それを乗り越えないとすべてを愛するなんてできないのに、「博愛」とかを聞きかじって何にも努力してない人ってすごく生ぬるいですよ。

これはビートたけしの「振り子理論」みたいなものですかね。それはともかくよくわかる言葉。愛情の裏返しが憎しみなんだから、憎しみをもってないことはその裏返しの愛情ももてていないことになる。
そういえば、ちょっと意味がそれるけど、前の職場で、「男の人でうわべばかり言う人ってすごく苦手。疲れる」と言ってた女性がいて、お世辞とか社交辞令をめったに言わない私(言うとしても冗談とわかる形でしか言わないんじゃないか)としてはこれまた「我が意を得たり!」な言葉だった。ただ、その人は異性のうわべが苦手だと言ってたが、私は同性のうわべばかりの奴が苦手です。なぜかは知らない。


リリー
いわゆるDVみたいな意味のない暴力はダメだけど、殴られてもいいようなことをしたら、それは男でも女でも子どもでも殴られていいと思うんです。

これはもう本当にそうですよ。いまや親や教師が子どもに体罰を与えてはいけないんですって? そりゃ理不尽な暴力とか行きすぎたものはダメだけど、言ってもわからない奴には体で憶えさせないといけないと思う。
肉体的な痛みを感じる脳の部位と心の痛みを感じる部位は同じらしく、体罰を与えると心が傷つくらしい。しかし、心の痛みをある程度感じさせてやらないと他人にやさしくしたりできないと思うが……? 幼少の頃に肉体的な苦痛をまったく感じなかった人間は長じてから不幸になると聞いたことがある。


リリー
才能豊かな人が天才という考えは間違い。それは秀才。天才というのはもっとエネルギーのある人ですよ。人間としてどこか破綻して欠落してても、その人のもつエネルギーが圧倒的に強い人だと思う。
世の中に認められてる程度の人っていうのは、要は凡人が認める程度の人ですから。まだ秀才ですよ。天才というのは「終わってから評価を得る」じゃないけど、なかなか人にはわかりにくいものですよ。


だからエロスクラップ作りを30年以上作り続けているみうらじゅんは天才じゃないか、みたいな展開になるんですが、そう考えると、30年以上映画を熱心に見続けている私は天才的映画ファンなのだろうか。脚本家としては世間的な評価は得られなかったから秀才にすらなれなかったけど、映画を見る、ということにかけては天才なのかも。しかし、リリーさんは「天才は何かを作る人」とも定義している。私は映画を見て何を作っているだろうか。このブログ? 


みうら
そうやってノイローゼが癖になってくるといいんですよ。仏像も、もう好きかどうかもわかんない状態。でも見たいんです。で、飽きずに続けること以外に輝けるものがないと思っているから長生きしたいんです。

これはわかるなぁ。私も、もう結構前から「俺は本当に映画が好きなのか」と自問自答することが度々ある。でも見たい。これは何なのか。そもそもこのブログも本当に好きで書いてるのか? とかね。最初は爆発的な瞬発力で始めたものが、いつの間にか惰性だけでやってる気がしてくる。何でもそうか。結局、その「惰性」を愛することができるかどうか、ということなんですかね。 


リリー
金がないと人はバカになりますよ。電気もガスも水道も止められていたとき、昔の女に電話したら来てくれたんですよ。弁当を買って食べさせてくれたうえに、帰り際に2000円胸ポケットに入れてくれて「超ラッキー!」と、ヤレたはずなのにそこに思いが至らない。だから貧乏暮らしに戻りたくない。金がないのがいやなんじゃなくて、昔の女に2000円もらってガッツポーズする品性の卑しさがいや。

そこまで金に困ったことがないからわからないが、そういうものかもしれない。


リリー
2008年暮れの年越し派遣村。東京の派遣村で飯もらえなくて名古屋の派遣村まで歩いて飯もらった人がいるけど、そのガッツがあれば必ず働くところがあるはずだし、その頑張りを他に使えばすごい仕事ができるはずでしょ。同じ理由でパチンコ屋に朝から並べる人とか朝から競馬に行ける人って就職したほうが絶対儲かると思うんですよ。

これは違うと思った。
よく、オレオレ詐欺とか巧妙な手口で金を盗む人たちについて「その頭の良さを普通の仕事とかで活かせばいいのに」という人がいるけど、違いますよね。犯罪に手を染めるような人はネガティブなことにしか頭が回らないんですよ。いわゆる悪知恵しかもっていない。知恵があれば人を騙したりしない。パチンコ屋に朝から並べる人が会社勤めしても遅刻ばかりのような気がする。


リリー
高校生の頃は自殺とか考えたなぁ。考えなきゃバカと思われるんじゃないかって。でも、いくら自分らしさとか個性とかいっても結局、周りの人がいて環境があって自分が成立しているからね。
みうら
他人の存在って反射じゃないですか。だからまったく独りで無人島にいる人ってどこまで人間らしい生活を維持できるのかなって思うんですよ。

何でもかんでも下ネタ(エロス)に還元してしまう二人がタナトスについて語っている。でもそのタナトスは見栄で考えていただけだった。
これと同じ意味のやり取りはこの本ではすごく多い。自分というのは自分だけで成り立っているのではなく、他者との関係性で成り立っている、というお話。だから自分探しなんかやめな、なんてこの二人は言わないけど、そういえば、みうらじゅんは「自分なくし」というのを提唱しているらしい。『自分なくしの旅』という本を読んでみよう。


リリー
若い人がこの本を読んですぐに意味がわからなくてもいいと思いますよ。いずれわかるから。だってほんとか映画ってそのときにすべてがわかるものってたいしたものじゃないし。
みうら
あとでじわじわ効いてくるもんだよね。

ビジネス書と言われるものって即効性ばかりが期待されてますよね。タイトルを見ればわかる。でも、即効性のあるものはすぐ効くけど、その効力は長続きしない。内田樹先生も「すぐ役に立つものはすぐ役に立たなくなる」と言っている。
この本を読んで「何の役に立つのか」なんて無粋なことを言う人はたくさんいそうだけど、別に役に立たなくてもいいんじゃないですか。みうらじゅんが言ってるように、というか、世間的によく言うように、「人生なんて死ぬまでの暇つぶし」なのだから。


しかし、振り返ってみると私の心の琴線に触れた言葉ってリリーさんばかりだったんですね。こういうのは読むだけではわからない。書き出して初めてわかる。だからこのブログは続けていこうと思う。








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2021年04月24日

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「君たちは特別なんだ。もっと迷惑をかけていい。いや、迷惑をかけなければならない」

という40年前の名言がいまだに新しい『男たちの旅路』最終話「車輪の一歩」。

この作品のテーマやメッセージ、鶴田浩二の口から語られる独自の思想の素晴らしさ、はたまた強固きわまりない脚本構成についてはいまさら私が語るまでもないと思うので何も言いません。

今回見直して考えたのは「人間にとって神とは何か」ということです。


神が人間を作ったのではなく……
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先日、職場の人との昼食でこんなことを言いました。

「歳をとればとるほど知的好奇心が強くなるけど、この世の事柄で一番興味があるのは今も昔も宗教ですね」

みな口あんぐりと意外な顔をして「どうして?」と訊いてきました。やはり「宗教」というとオウムなどの怪しげな新興宗教をイメージする人がいまだに多いんでしょう。

世界中のどの宗教でも「神がこの世を造った。神が人間を造った」ということになっていますが、あれは完全なウソですよね。

「人間が神を造った」んでしょう? でもその架空の存在であるはずの神が我々を造ったと逆さまの話になっている。でも、そういう逆さまの作り話を信じ込まないと我々人間は生きていけないみたいなんですね。でも、それはなぜなんだろう、というところに非常なる興味があるわけです。


ある官公庁で……
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以前、ある官公庁でデータ入力の仕事をしていたんですが、そこでの入力規則が笑えるものでした。

住所に「○○町1丁目1ー1」と書いてあれば「○○町 1-1-1」と入力しないといけないんですが、ここには3つもの入力規則があります。

①町名と次の数字との間には必ずスペースを入力する。
②数字はすべて半角で入力する。
③〇丁目の丁目はすべて省略し、数字のみ入力する。

笑えませんか? だって、仮に「○○町1-1-1」と入力したって郵便物は届くんですよ。なのにルール通りでないと訂正入力票というほとんど罰ゲームのような始末書を書かねばならなかった。自分たちが作った規則に自分たちが縛られている状態でした。誰もアホみたいな入力規則を疑っていなかった。


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これって神の言葉と同じですよね。神は人間が造ったのだから神の言葉も人間が造ったものです。自分たちが造った言葉に縛られている。神を信じないと生きていけない我々は、神の言葉を疑うことを知らない。


ルールを破れ
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他人様に迷惑をかけてはいけないという暗黙のルールを疑っていなかった鶴田浩二や斉藤洋介、斉藤とも子もまったく同じです。

鶴田浩二は斉藤洋介に言います。

「私はこれまで他人様に迷惑をかけてはいけないというルールを疑ったことは一度もなかった。ひょっとすると、この世で一番疑われていないルールかもしれない。しかしそれが君たちを縛っている」

ルールを破れ、破る勇気をもて、君たちは破っていいんだ、と鶴田浩二は持ち前の説得力で語りかけます。

神の言うことなど気にするなと。キリスト教徒なら聖書に書いてあることを、イスラム教徒ならコーランに書いてあることを破れというのです。破らなければいけないときがあると。

これはもちろん神を冒瀆する言葉でもなければ無神論者のたわごとでもありません。あの吉岡司令補がじっくり考えた末の「自分でも意外な結論」なのです。

鶴田浩二は自分たち健常者は他人様に迷惑をかけてはいけないといまでも頑なに信じている。そういう意味では彼はとても敬虔な信者です。でも、神の言葉を破っていい場合があるとも言っている。そしてそれが誰の目にも盲点だった。なぜなら誰もが敬虔な信者だったからです。

あの馬鹿げた入力規則について私は上司に言いました。「ルール通り入れなくても郵便物は届きますよね?」。

恥ずかしながら私は吉岡司令補ほどの説得力も人徳もなかったので誰も聞く耳をもってくれませんでしたが、しかし誰かが「ルールを破れ」と言わなくてはいけないときがある。

だから、この「車輪の一歩」は前話「影の領域」と対になっているとも言えますね。「影の領域」では梅宮辰夫が会社のためにと法を破りましたが、鶴田浩二は破っていい場合ではないと梅宮辰夫を異端審問にかけた。が、「車輪の一歩」では鶴田浩二が自分自身と周囲の全員を異端審問にかけている。

埼玉県で、エスカレーターでの歩行を禁じる条例ができました。「エスカレーターの片側を空けなくてはいけない」というのもひとつの宗教でしたから、これも「神の言葉を疑え」「新しい神の言葉を造ろう」という動きですね。いままでの自分たち自身を異端審問にかけたわけです。

神が人間を造ったということになってはいるけど、ときどきは「ほんとは人間が神を造った」という事実を思い出す契機として「車輪の一歩」をこれからも見続けたいと思います。

しかし、それほどややこしい「神」という存在がなぜ人間には必要なのか。ますますわからなくなってきました。


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