文化・芸術

2020年06月04日

こないだから書いている小説、少しもうまくいっておりません。

創作がうまく行っていないとき、机に向かうまでに言い訳をあれこれ考えます。机に向かわなくてすむ言い訳を。

・今日は寝不足だからよく寝て明日頑張ろう
・参考に○○の映画を見よう
・一日ぐらい休んだって死にやしないよ

などなど、人間は自分自身を甘やかす癖がある。自分に負けていたのでは人を感動させる作品など作れようはずがありません。

新宿で20年負けなかった伝説の雀士・桜井章一も言っています。

「だらしない生活をしていては立派な作品を書くことはできない。体温だけでなく『心温』をもて気温に保つこと」

一方で、東京の恩師である脚本家の高橋洋先生はこんなことを言っていました。

「白紙の原稿用紙に向かうのはとても恐い。でもその恐さとぜひ闘ってほしい。1日1時間でいい。1時間が無理なら30分でいい。白紙と向き合ってほしい。それが明日の君たちを作る」

いい言葉ですね。

で終わってはいけない。

私もこのところ白紙と向き合う恐怖に負けていたので、いまから頑張って書きますわ。

まぁ書くまで行ってないんですけどね。キャラクターづくりや背景を整えるのに時間がかかってしまって。


続きの記事
二作目の小説、その後(パートⅡ)
二作目の小説脱稿!




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2020年05月22日

前回の記事
小説を書き始めました(二作目)

20年前に思いついたは小説。ちょっと前まで超繁忙期だったのでなかなか本腰を入れられなかったんですが、最近は結構しこしこと書いております。

というのも、繁忙期が過ぎ去ったのもありますが、コロナのせいで職場が二班態勢になってましてね。1日おきの出勤なので時間があるのです。

2日に1回しか仕事しないのに給料は満額もらえるらしく、めっちゃおいしいやん! とみんなで狂喜乱舞したりもしましたが、いまはみな口をそろえて「しんどい」と言っています。

だって、出勤して、休んで、また出勤してっていうリズムに体がなかなか慣れてくれないんです。2回か3回働くと3連休たちょっと働くとまた3連休。休んでばかりなので出勤するのが億劫すぎる。何もないのに「行きたくねえ」と思いながら行っています。

とまぁ仕事の話はともかく小説ですが、緊急事態宣言も解除され、休業要請も解除され、明日は1か月半ぶりに映画に行こうかなと考えてるほどコロナ禍も収まってきましたが(でもまだまだ第1波)いま小説を書くにあたって、コロナ禍のことを素通りしていいものだろうかと思ったんですよね。

20年前に思いついたアイデアなので当然コロナのことなど無関係です。ですが、コロナを盛り込まないと、いま小説を書く、いま何かを表現することの価値が薄まってしまう気がして。

とはいえ、すべての作品がアクチュアルでなければいけないなんて決まりもないだろうし、と逡巡した末に、コロナを盛り込むことにしました。パオロ・ジョルダーノだって『コロナの時代の僕ら』なんて本を出してるしね。あれはエッセイだけど。

この変化が吉と出るか凶と出るかはわかりません。

ただ確実なのは、主人公はもちろんのこと、脇役の人物たち、特に敵役に対する愛情が完全に芽を出したということ。(コロナを盛り込んだおかげではないが)

これは吉兆。

しかし、作品にとって愛情は必要条件であって充分条件にあらず。

技術と根気で何とか面白いものにしたいと意気込んでいます。

そうそう、今日、アイドル評論家・中森明夫さんの『青い秋』を読み始めましたんですが、教えられること多。あれはいいですよ。まだ3分の1しか読んでないけど。


続きの記事
白紙と向き合う恐怖と闘え!
二作目の小説、その後(パートⅡ)
二作目の小説脱稿!

青い秋
中森 明夫
光文社
2019-10-22





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2020年04月19日

2年前に生まれて初めて小説なるものを書きましたが、またぞろ書こうとしています。

2年前に書いたときのことについてはこちらの記事を参照してください。⇒小説を書き始めました(一作目)


思いついたのは20年前
ジム・トンプスンの一人称小説がもともと好きで、脚本は三人称しかありえないけど文学なら一人称が使える、もし小説を書くことがあればぜひ一人称で書きたい、と思っていました。

ところが、2年前に書いたのは二人称小説でした。私が私自身を「おまえ」という呼称を使って責める内容だったんですが、本質的には一人称。

でも、もっと前に一人称小説の構想はあったんです。

あれは2000年だからちょうど20年前ですか。詳しくは書けませんが、どこからともなく一人称小説の構想が湧き上がってきました。(「湧く」とか「浮かぶ」という言い方をしますが、実感としては「天から降ってくる」という感覚に近い。これは実際に書いたことのある人ならわかってくれるはず)

しかし、そのときゴジこと長谷川和彦監督から注意されました。

「君は映画をやりたいと思っているのだから脚本を書くべきだろう」

うん、確かにその通りだと簡単にやめてしまいました。

ゴジさんは「一口に小説といってもハードボイルドみたいなのもあるけど」とは言っていました。

誤解している方がたくさんいますが、ハードボイルドとはヘミングウェイが創始した「文体」のことであって、探偵物語とかハードな物語とかの「ジャンル」のことではありません。状況と動きとセリフだけで描写するというのは脚本と同じで、だからゴジさんもハードボイルドなら……という感じで言ったのでしょう。

やめたとはいえ今日まで憶えていたのですから、自分にとってよっぽど魅力的なアイデアだったのでしょう。


逃げるのはいや
黒澤組で有名な橋本忍さんの『複眼の映像』にこんなことが書いてありました。

「脚本家から小説家になった者が多くいるが、彼らは逃げたのである。シナリオは設計図だからはっきりした線を引かなくてはいけない。だから難しい。文学は曖昧な表現でも許されるしそこに味があるなどと評されることもある。彼らはその曖昧さに逃げたのだ」

この言葉を読む前から同じことを思っていました。だから「小説を書いたら?」という呑気な助言を拒否してきました。

脚本家の夢をあきらめて都落ちしてから、あきらめたくせに脚本を構想し、実際に書いたことはあります。

でも、どれもダメだったうえに、決定的だったのは去年の夏ですね。5年前にあきらめる決断をしたときに書いていたものの突破口が見えた気がしたので本腰を入れて取り組んだんですが、結局「自分は脚本家にはなれない」という冷厳な事実に再度直面させられただけでした。

というわけで、長らく創作から遠ざかっていましたが、やはり書くことから逃れることができないのか、2年ぶりに小説を書こうなんていう気になってきました。

橋本忍さんに言わせれば「逃げている」ということになりますが、まぁそれでもいいじゃないですか。大好きな創作に打ち込めるなら。

まだ考え始めたばかりで(だから「小説を書き始めました」というのは違いますね。「考え始めました」ですね。でも考えるのは書くことの大切な一部です)当初のアイデアが膨らんでいるのか脱線しているのかすらわからないありさまですが、まぁいいでしょう。

いまは仕事が繁忙期なのでほとんどノートに向かう時間がありませんが、少しずつ書いていく予定です。


続きの記事
二作目の小説、その後
白紙と向き合う恐怖と闘え!
二作目の小説、その後(パートⅡ)
二作目の小説脱稿!



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