文化・芸術

2021年09月15日

昨年公開されて高評価を得ていたドキュメンタリー『ようこそ映画音響の世界へ』をWOWOWにて視聴しました。

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映画内で語られるように、「映画を音の面から語る人はほとんどいない」から、こういう映画を作る意義はあると思います。実際、allcinemaのレビューを読むと「映画の味方が変わった」と言ってる人がいました。こういう映画が映画ファンを啓蒙することはとてもいいことでしょう。

しかしながら元録音部の人間としては、いまさら『地獄の黙示録』や『スターウォーズ』『鳥』『トップガン』『ブレイブハート』などの音がすごいと言われても「そんなのとっくに知ってるよ!」と言いたくなるし、いまだに第一人者とはいえ映画の音を語るときにウォルター・マーチをフィーチャーするのは「古いのではないか」と言いたくなる。

でも、ウォルター・マーチという名前すら知らない人も映画ファンには多いと思うので致し方ないのかなとも思う。次にこの手の映画を作る人はもっとマイナーな存在だけど斬新な仕事をする録音監督をフィーチャーしてほしいと思う。


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元録音部としては、やはりうれしい面も多々ありました。私も卒業製作で怪獣の声を作るにあたって友だちとマイクをもって動物園に行ったりしたなぁ、とか、思い出に浸ることができました。

とはいえ、辛口な私としてはやはり不満な面があることも否めません。


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ダビングルームのスクリーンに投射された映像を見ながら効果音の素材となる音を録っていたスタッフがいました。私もまさにああいうことをやっていたんですが(足音を画に合わせるのがやたら難しかった。何度NGを出したことか)あれはアフターレコーディング、つまりアフレコですよね。

でも「現場アフレコ」という手法もあるんですよ。といっても、役者のセリフに飛行機の音がかぶってしまいセリフだけ録るとかそういうのじゃないですよ。それは「オンリー」という手法です。画を撮らず音だけ録るからオンリー。

現場アフレコとは、アフレコじゃないけど、上の画像のアフレコのように、画に合わせて音を現場で別撮りすることをいいます。

例えばこんな映像。

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『ザ・ビーチ』のディカプリオですが、この画だけだと彼が浅瀬の中を歩いているように見えますよね。でも、現実には足元に水はなく砂浜の上を歩いている可能性があるのです。私も卒業製作でこういう画がありました。現実の役者は砂の上を歩いている。でも観客の目には海の中を歩いているように見せかける。

つまり、海の中を歩いているように見せたいからチャポンチャポンという音にしたいけど、撮影現場で実際に発生する音は砂の上を歩くザッ、ザッ、という音のような場合。こういうときに使われる手法が現場アフレコです。

もうおわかりですよね。本番中の役者の足の動きに合わせて、フレーム外に身を隠している録音助手が海の中に入ってチャポンチャポンと音をさせ、それに指向性マイクを向けて録音するわけです。結構面白いですよ。合わせるのが難しいけど、楽しいです。ただでさえ映画作りは「祭り」なので気分が高揚してるんですが、このような難しい作業を達成したときの快感は堪えられないものがありました。

ハリウッドでもこういう原始的なことやってると思うんですけどね。やってないのかな。

いずれにしても、思い出に浸らせてくれた『ようこそ映画音響の世界へ』、見た甲斐がありました。


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橋本 文雄
リトル・モア
1996-07-27




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2021年08月19日

もう去年の11月からやっている三作目の小説が最近、滞っています。

12月には、三作目の小説が順調に進んでいます(女子高生は誰と出逢うのか) 

なんて日記も書きましたが、それも今は昔。途方に暮れている状態なのです。


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15歳の高1女子が23歳の同じく高1女子に出逢うのが肝で、出逢うことで二人が変化・成長していくビルドゥングス・ロマンであることは過去記事で書きました。

出逢うはずのない二人が出逢うことの化学反応を描こうとしていたんですが、書き始める前に大まかな構成を立てるときにちょいと「色気」が出てしまって、普通に二人が早いうちに出逢うようにすればよかったのに、映画でいえば『街角(桃色の店)』や『(ハル)』みたいに、すでに言葉のやりとりをしてお互いの人となりをだいたい知っている間柄の二人が最後に出逢う、みたいなことをやろうとして、出逢いがラストシーンじゃないんですが、三章仕立ての第三章で出逢って……みたいなのを考えてしまった。すると書き進めていくうちに、出会う前に二人が抱えている問題がどちらも解決してしまう流れになった。

もう出逢う必要がない……

15歳のほうも23歳のほうも、それぞれの周囲にいる人物との関係性の中に解決の萌芽がすでにあったということです。

何のこっちゃ。

じゃあ、二人が出逢わずに、それぞれを主人公にした別個の物語として改編しようかと思っているわけです。つまり二つの小説ができあがる。

それはそれでうまい手だと最初は思ったんですが、しかし、なぜ15歳の高1女子と23歳の高1女子が出逢う物語にしたかというと、その二人が出逢うシチュエーションを成立させるには、二人とも女性のほうがリアリティがあるということと、片方が高1じゃないと絶対成り立たないんですよね。高1じゃないとこの二人は永久に出逢わない。そのぎりぎりのシチュエーションに魅力があったわけです。

でも、出逢わないことにする、ぎりぎりのシチュエーションをなしにしてしまうと、15歳の高1女子のビルドゥングス・ロマンと23歳女子のビルドゥングス・ロマンの二つを書くことになるんですが、はてさて、そうなると、その二つは私にとって切実な問題なのだろうか、という壁にぶち当たるわけです。


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確かに、二人とも私が作ったキャラクターだから私の分身ではある。でも、もうとっくに中年になり、これから老年になっていく男の私にとって書くべきテーマなのか、となると、非常に心もとない気がする。

ただ、ここまで書いてきて少し閃きました。23歳女子のほうは、彼氏から見た彼女自身を描くといいのかもしれない。23歳のほうにかなり自分を投影させているのでね。でも高校生である必要はもうないし、そもそも女である必要もない。

じゃあ、30代、40代の男を主人公に? それでもいいが、23歳女子が抱えている問題は、やはり20代ならではの問題だし、実際、私が20代の頃に抱えていた問題とあまり変わらないし、20代のままのほうがいいように思う。性別はよくわからない。どっちでもいいような気もするけど、もっと大きな問題は、高校生をやめるなら職業は何にするのか、という問題。

15歳のほうは、こちらが絶対高1でないといけなかったんですが、抱えている問題が高校生ならではなので17歳くらいにして書き直すか、それとも、もう書かないか。自分にとって切実な問題を抱えているわけではないしね。

でも私は15歳女子のほうがキャラ的には好きなんですよね。この子自体が好きでもあるし、書いてて楽しい。23歳女子は切実な問題を抱えてはいるが、それほど好きではない。

うーん、帯に短し襷に長し。もうちょっと考えます。


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