書籍・雑誌

2020年10月01日

長きに亘って懸案だった小説をようやく脱稿することができました。パチパチパチパチ。

いやぁ、長かった。
創作ノートの最初のページには「3/15」とあるので、半年以上かかってしまったんですねー。


前回までの記事
小説を書き始めました(二作目)
二作目の小説、その後
白紙と向き合う恐怖と闘え!
二作目の小説、その後(パートⅡ)


長かったといってもずっと書いていたわけではありません。

3月15日の直後からは職場が繁忙期に入ったため連日残業で小説なんてとてもとてもな状況で、ゴールデンウイーク明けくらいまでほぼ何もできませんでした。

運がよかったのは、コロナ対策ということで5月の後半は2班体制になり、1日おきの出勤になったため時間がたっぷり。だいぶ進みました。

書き始めたのは6月に入ってからですが、梅雨入りから7月末の梅雨明けまで体調がぐずつき、書いたら書いたでやたら疲れるので数日おきにしか書けなかったり。

梅雨が明けたら猛暑到来。8月下旬には「猛暑が原因の鬱」なんてものにもなってしまいました。2年前の冬、2018年の1月2月がやたら寒かったの憶えてますか? あのときは「寒さが原因の鬱」になってしまったんです。暑さが原因より寒さが原因の鬱のほうが重いんですよ。

熱中症で死ぬ人が最近は多いので「冬より夏のほうが死ぬ人が多い」と思い込んでいる人がいますが、大きな間違いです。熱中症で死んだり病院に搬送されたりするとニュースになるけど、寒さが原因で心筋梗塞を起こしてもニュースにならないでしょ。

冬のほうがたくさん人は死にます。寒いと体温が下がって死にやすくなりますからね。当たり前のことですが、どうしても現代人はニュースの多寡によって違う印象を抱いてしまいがち。

話がかなりそれましたが、8月15日にとりあえず最後まで書いたものの、鬱のために9月の猛暑明けまでほぼ何もできず。

で、涼しくなったのをきっかけに一気呵成に仕上げたのですが、こうして概観してみると、私の体調というのは気候にばかり影響されてるなぁといまさらながら思いますね。こんな体に生まれてしまったことを呪いたくなります。

で、できあがった小説はものすごく短い短編。

何人かに送って読んでもらいましたが、これは失敗作ですね。封印したほうがいいかも。

というわけでしばらく創作から離れ、食欲の秋、芸術の秋、読書の秋、思索の秋を思う存分楽しみたいと思います。

肩の荷を下ろすのって快感!


シナリオ 2011年 09月号 [雑誌]
シナリオ作家協会
2011-08-03





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2020年09月26日

2020年の本屋大賞を受賞した凪良ゆうという作家さんの小説『流浪の月』を読みましたが、非常に不快な作品でした。


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ある脚本家の言葉
私はかつて映画シナリオの専門学校に行っていたことがあり、そこで出逢った高名な脚本家の言葉が、映画を見たり本を読むときいつも脳裏に響いています。

曰く、

「善と悪の対立にしてはいけない。善と善の対立にしないとドラマは深まらない」

善と悪の対立にしようとすると、悪の側を悪く描こうとして筆が滑ってしまい、悪の魅力がないばかりか、ただの小悪党にしかならない、みたいなことも言われました。君はその罠に完全にはまっている、と。

この『流浪の月』で、主人公・更紗の恋人・亮くんがまさにそういう人物ですよね。単に気に入らないと暴力をふるって更紗を傷つけ、ネットに悪意ある情報をばらまいて更紗とその運命の人・文の二人を窮地に陥れる。

どうしても私の目には、暴力をふるう亮くんが出てくると安っぽさを感じてしまうのです。

亮くんだけではありません。文が起こした(ことにされている)事件で、更紗をケータイで撮ってネットにさらす人々、何も知らないのに文を悪者だと断じる人々にも感じます。作者が更紗の言葉として「彼らに悪意はないのだろうけど」と書くたびに白けました。悪意はないのは本当かもしれませんが、彼らを「悪」に仕立て上げるとドラマが安っぽくなるから「彼らは悪人ではない」と言い訳をしているように感じられるのです。


「善と善」の対立とは
高名な脚本家が言っていた「善と善の対立」とはどういうものでしょうか。

善とは善人のことではありません。その人の言い分に理がある、ということです。

例えば明日最終回を迎える『半沢直樹』で、前回まさかの頭取の裏切りが明らかになりました。半沢はすべてを闇から闇に葬ろうとしている頭取に向かって筋を通すべきだと難じます。半沢の言い分はもっともであり彼はまったき「善」です。

が、中野渡頭取もまた「善」なのです。なぜなら「銀行を守るため」という言葉にそれなりの理があるからです。私が中野渡さんなら同じことをするかもしれない。と思わせるものがある。半沢を応援したい気持ちはもちろんありますが、「理想だけでは飯は食えない」という幹事長の言い分にもうなずかざるをえない。あの黒幕幹事長や中野渡頭取の言い分に反感しか感じられない人は、おそらくカネで苦労したことがない人でしょう。

話がそれましたが、悪役の言い分にも納得できるなら、その作品は「善と善の対立」を描いた一級の作品ということになります。

が、この『流浪の月』の悪人たちの言い分には少しも納得できるものがない。

しかも、私は作者自身の言い分にも納得できないのです。


登場人物への愛情が感じられない
文はロリコンとして登場しますが、なぜか更紗に手は出さなかった。大人になった更紗にも性的欲求はないみたいだし、恋人ともそういう関係ではない。

しかしロリコンでもなかった。というのが最終盤でのどんでん返しなのですが、はっきり病名は書いていないものの、第二次性徴が遅れたり性器の発育が滞るなどする病気のようです。性同一性障害ではないようですね。詳しくないので知りませんが、性ホルモンがうまく分泌されない病気のようです。

どんな病気であれ、この人はこういう病気だからこうなった、病気だからこういう言動をした、あるいはしなかった、というのは人物描写としてものすごく粗雑じゃないでしょうか。もっといえば登場人物に対する愛情が感じられない。

世間の人々は文のことをロリコンと誤解して「ロリコンなんて病気だよな」と平気で言います。でも、そう書く作者自身が文を病気もちの変な人として扱っていないでしょうか。

私はごく普通に文をロリコンという設定にしてほしかった。ロリコンならなぜ幼少の頃の更紗に手を出さなかったかのかという疑問が出てきてしまいますが、それはひとまず措くとして、文をロリコンとして描いて、幼い主人公を誘拐する変態として描いて(そうです、本当に誘拐するのです)それでも最後にはロリコンの文に思わず感情移入してしまうような描写をすべきだったと思います。

『流浪の月』は、世間は誘拐と思っているけど実は誘拐じゃないとか、世間は文のことをロリコンと思っているけど実はロリコンじゃないとか、本当に「言い訳」が多い。文と更紗をできるだけきれいな人物・きれいな関係に設定しようとしていて、逆にそれが私には不快でした。

汚い設定だけど、犯罪者だけど、変態だけど、私はこの人が好きだ。

そう思えるなら諸手を挙げて絶賛しますが、現実にはひたすら作者の言い訳しか聞こえてこない不快な作品でした。

『理髪店主のかなしみ』なんて足フェチの変態主人公が最後にはいとおしくなってくるじゃないですか。

この小説を愛する人たちは、もしや、文が何も悪いことをしてないのに迫害されている、そんな文をいとおしく思う更紗だから感動したんでしょうか?

とすれば、この小説を愛する人たちは、何か悪いことをした人がいたら叩きまくる人々、つまり、文を迫害した人々と同根なんじゃないでしょうか。







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2020年09月11日

『この町ではひとり』『きょうも厄日です』で大ファンになった山本さほさんの目下の代表作とされる『岡崎に捧ぐ』全5巻を読みました。


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面白エピソードの数々
①輝かしいマンガの裏には必ず隠れた名作がある。というのが山本さんと岡崎さんに共通する確信で、
読者投票の下位の作品に肩入れしてしまう。順位が上がっていると二人でガッツポーズ。

私なんか下位のマンガを完全にバカにしていたからなぁ。一流になれる人とはそういうところが違うのかな。


②中学は二人そろって剣道部(何と自己主張しない岡崎さんが山本さんを誘って入部)で、通称「山本を探せ」という遊びが流行った。剣道着を着たまま、いろんな部活の練習に参加し、迷惑がられるどころか馴染んでいたという。

私にはこのような野放図さがなかった。

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③優等生の森くんにとんでもない罰ゲームをさせてしまったこと。

森くんは「とても楽しかった」と喜ぶのだけど、やってはいけないことをやってしまったという後悔と自責の念にかられる山本さん。

似たような経験があるような気がするが思い出せない。


④イケてる女の子のグループに入れてもらって一時的に岡崎さんを裏切ってしまい、号泣して謝ったこと。

これは完全に同じような経験があるなぁ。といっても裏切った山本さんじゃなくて裏切られた岡崎さんと同じ経験。でも私は彼から謝られたりしなかった。その日を境にまったく喋らなくなってしまった。いま彼はどこで何をしているのか。そもそも生きているのか。もう永久にわからないのか。


⑤岡崎さんとのメール。まだネット黎明期だったからか、必ず電話で一報入れてからというのが面白い。しかもそのメールが「岡崎さんへ うんこ 山本より」だったりする。

子どもは本当にウンコとかオシッコガ大好き。私はいまでも好きだが。。。


⑥岡崎さんは常に眠い。人生に一度だけ朝起きて今日は眠くないと思った日があるとか。その日はいろんな人から「目が大きい」と言われたそう。

「人生で一度だけ眠くないと思った日がある」ってそんな人間がいるのか⁉ 爆笑。


⑦「わたし、山本さんの人生の脇役として生まれてきたんだと思う」

自分を主役だと思わない人間に初めて出会った山本さんの衝撃たるや。そしていま、自分自身を主役にしたマンガを描きながらも最終的に岡崎さんという無二の親友の素晴らしさが浮かび上がる、つまり、主役でなかった人間が主役以上に大きい存在になる作品をものした。


⑧高校の同級生は話が合わないと、球技大会の日に別の高校に進学した岡崎さんを呼んで体操服を着せてドッジボールを応援させた。岡崎さん居心地悪い思いしてないだろうかとチラと見ると、めっちゃ馴染んでて驚愕。自分が3年かかってできなかったことを岡崎さんは10分で達成した。

私も高校ではクラスに一人も友だちがいなかったからよくわかる。

岡崎さんは悩まない。(母親が3か月行方不明でも平気)
岡崎さんは怒らない。(山本さんに何をされても平気。むしろうれしい)
岡崎さんは変わらない。(怒りっぽかった妹は大人への階段を上がっているのに)

岡崎さん、岡崎さん、岡崎さん。


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最初は岡崎さんのほうが山本さんを必要としていたのに、いつの間にか山本さんにとって一番大きな存在になっている。そして変わらない岡崎さんもいつしか結婚相手を見つけ、山本さんはどうしようもない寂寥感に襲われる。

わかる。わかるぞ、その気持ち。


山本さんの焦燥
私は岡崎さんとの友情やバカ話も好きだけど、それ以上に山本さん個人の人生に対する焦燥感のほうに興味をもちました。

やはりこの『岡崎に捧ぐ』の20年間の一部を切り取った『この町ではひとり』を先に読んだのが大きいのかもしれない。

高校では周りの学力が低く、授業なんか聴かなくても高得点が獲れた。それで学校をさぼる癖がついたが、それを知ったお母さんが叱るよりも涙をぽろぽろこぼして泣き、何という親不孝者かと自らを責めた。それでもさぼり癖は治らなかった。

私も高校では登校拒否をしていましたからね。しかし、うちの親は私の心配よりも、息子が学校へ行っていないことを恥じる気持ちしかなかった。つまり「世間体」というやつ。私が世間体とやらを一切考えない人間になったのはこのときの経験が非常に大きかったと思っている。

だって、中学校くらいまでは、雨が降ってないのに傘をもっていったら笑われるだろうか、とか、周りの目をものすごく気にするごく普通の子だったんですよ。それがいまは周りの目なるものなど存在しないかのように生きている。おそらく私は全身全霊で両親を否定するために生きているのです。


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「一度何かから逃げたら、一生逃げ続けないといけないんだな」

美大受験を決めるもゲームばかりして不合格。そして関西へ逃げ、「この町ではひとり」状態となる。実家に逃げ、ニート状態を許してくれる母親に甘え、そして「このままでいいのか」という焦燥感にかられる。

私も同じような人生を歩んできたからよくわかる。

大学受験をやめた、そんな世界とは縁を切った、と言っているけれど、逃げたのかもしれない。
脚本家を目指すために撮影所を辞めた、と言っているけれど、逃げたのかもしれない。
シナリオからも逃げて、いまは小説を書いている。

逃げ続ける人生。でも一周回って何かに出逢うかもしれない。いまだに何にも出逢っていないが。


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