日記・コラム・つぶやき

2021年06月01日

開催中のテニス全仏オープンで義務づけられている試合後の会見を罰金覚悟で一切拒否する声明を出した大坂なおみ選手が、突然うつ病を告白して大会を棄権するというニュースを見て、驚くよりも納得感のほうが強かったです。


oosakanaomi

私は今回の騒動に関して、最初は大坂さんに対して反感を抱いていました。

確かに「日本へ帰ったら何を食べたいですか?」とかくだらない質問をするマスコミにも問題はあったでしょう。レアル・マドリードを退団したジダン監督も「記者たちともっとフットボールについて語り合いたかった」と、どの選手と仲が悪いとかゴシップ的な質問ばかりだったことに苦言を呈していました。

だからといって、会見をすべてキャンセルするという強硬手段に出るというのはどうなんだろう、と。質問の質が悪いならそれを会見ではっきり言って報道してもらったほうがよっぽどいいんじゃないかと思ってました。しかも「罰金がメンタルヘルスに使われることを願う」とかよくわからないなぁ、と。

が、うつ病と聞いてすべて納得しました。

そういう極端な行動に出るのは鬱の典型的なものなんですよね。

私自身はうつ病ではなく、正確な病名は神経症(ノイローゼ)というんですが、調子が悪くなると鬱になるわけだからまぁ似たようなものかと。(厳密にはぜんぜん違うらしいですが)

私は子どもの頃から「すべてかゼロか」という極端な考え方をしていたように思いますが、それが原因で神経症を発症したのかどうかはわかりません。だから大坂さんの病因も何かはわかりません。2018年の全米優勝から発症したというから、プレッシャーなのか、何なのか。まさか記者のくだらない質問が原因ではないでしょう。発症したあと悪化させた可能性は高いと思われますが。

うつ病なのに再びグランドスラムで優勝したり、すごいとしか言いようがないですが、今回それが限界に達して、あのくだらない会見だけは御免蒙りたいということで「会見一切拒否」という極端な言動に走ったのもうなずけます。そして、1万5千ドルという高額な罰金が科され、今回の全仏失格のみならず、今後のすべてのグランドスラム大会からの排除もありうるという国際テニス連盟からの声を聞いて、「四面楚歌」状態に陥ったと感じたのでしょう。突然の棄権。

そりゃ理解を示す選手やファンがいたのも事実ですが、うつ病というのはそういうポジティブな面に目が行かずネガティブな面しか見えないのでね。「世界中が敵」に見えてしまい、インスタでの「さよなら。せいせいする」という発言に至ったのでしょう。

出場するけど会見は拒否⇒突然棄権

これはうつ特有の「すべてかゼロか」という思考回路ですね。私はこのたび職場を辞することになりましたが、辞めたいと初めて思ったのはもう半年以上前なので、辞めたくなったらすぐ辞めてた昔に比べたらだいぶましになってきたように思います。

大坂さんが棄権をするというのは賢明な判断というより、これ以上プレーを続けるのは不可能だったのでしょう。いままでは持ち前の身体能力で何とかなったけれど、カバーできるのももう限界ということかと。ゆっくり休んだほうがいいと思います。いや、休まねばならない。

いま心配なのはやはり自殺ですね。体は思い通りに動いてくれないし、世界一の栄光から転落。毎週更新される世界ランキングをたぶん見てしまうと思う。見なければいいだけの話、というのは健康な人間だから言えることで、鬱の人間はどうしてもネガティブな情報を見たがるのです。毎週のように落ちていく自分の名前を見て将来を悲観して……という可能性は充分考えられます。

ホッと安堵したのは、国際テニス連盟が「大坂なおみを全面的にサポートする」という声明を出してくれたこと。この素早い対応は素晴らしい。「私はあなたの味方ですよ」という声は心の栄養なのです。

頑張れという言葉は鬱には禁物といいますから(鬱のときに「頑張れ」と言われると頑張れない自分を否定された気持ちになるんですよね。でも鬱がよくなってきた人には逆に頑張れと尻を叩かなきゃいけないんですよ!)頑張れとだけは言いませんが、世界の片隅でひっそり生きている私もあなたの味方ですよ、と声を大にして言いたい。

いまはたくさん泣くといいと思う。涙は心を洗い流してくれるから。


マンガでわかるうつ病のリアル
錦山 まる
KADOKAWA
2020-07-02








  • このエントリーをはてなブックマークに追加

2021年05月29日

ちょうど一か月前にこんな日記を書きました。

好きな女がどうでもよくなった件(まさか匂いが変わるとは)

振られた子の匂いが、ほのかな甘い香りから、甘いことは甘いけどモワッと息苦しくなる香水のような匂いへと変容してしまった話でした。

しかし、あのとき「好きな女がどうでもよくなった」というのは間違いであることに気づきました。

なぜなら、同じ人の匂いが悪臭に変わったのは、やっぱり好きだったからだと思うんですよね。その子の子どもじみた行動を見てしまって、「何だかなぁ。若いのぉ」となり、その日を境にいやな匂いに変わったんですが、あれは「この子を嫌いになろう」という無意識の発露だったのではないか。

だって、あのときは好きじゃないにしてもやっぱり存在を意識してましたからね。そりゃ好きだと言った相手ですから意識しないほうがおかしい。

でも最近、自分でも驚くべき現象がありました。

ある日、朝礼で姿を見かけなかったので「お休みなのね」と一人合点して仕事に励んでいたのです。ところが。

11時ごろ。もう始業から2時間あまりもたってからその子の姿を目撃したんです。え、いたの? と。

修理したエアコンのそばじゃ寒いからと少し遠めの席に移動したとはいえ、2時間も存在に気づかなかったというのはあの子が入ってきてから初めてのこと。

ちょうどその次の日くらいに「匂いがしなくなり」ました。

それまでモワッとする悪臭がいやでできるだけ距離を取っていましたが、そのときはどうしても仕事上お願いせねばならないことがあり、近くまで寄ったんです。息を止めていましたが、どうしても吸ってしまう。でも匂いがしない。あれ?

いったん自分の席に戻り「おかしい。なぜ?」と考えていましたが、今度はその子のほうから近寄ってきても匂いがしない。完全に無臭なのです。

いい香りは好きな証。いやな匂いは嫌いの証。でもそれは好きの裏返し。

無臭になったいまこそ本当の意味で「どうでもよくなった」と言っていいのでしょう。

だって、いまはもうその子のことより休養に入った深田恭子の激やせのほうが気になってますもん。









  • このエントリーをはてなブックマークに追加