土門蘭という人の『ほんとうのことを書く練習』を読みました。


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「ほんとうのこと」って何? というまず疑問に浮かびますが、著者によると、こういうことだそうです。

自分は何を感じているのか。何を考えているのか。
何を問うていて、何を知りたくて、何に惹かれているのか。
世界をどう捉えて、今後どう捉えようとしているのか。
自分の内側で、どんな変化が起き続けているのか。
つまり、世界に触れている自分自身を感じること。

そこで得た言葉こそが「ほんとうのこと」だ。


そしてこうも言う。

ほんとうのことを書きたいといつも思っている。
私が惹かれる「強い文章」というのは、ほんとうのことが書かれた文章だからだ。


じゃあ、「ほんとうのこと」を書くためには具体的に何をどうすればいいのか。

一時的に、徹底した「ひとり」になること。「ほんとうのこと」を書くには、そこから始めるべきだと思う。

うーん、なるほどねぇ。私も脚本家を目指していた頃は数多の脚本家や映画監督の言葉をあさっては「孤独こそが創造力」と書いてあるのを見て「わが意を得たり!」と膝を打っていたっけ。

「ほんとうのことを書く」は、「ほんとうのことを読む」から始まる。

その通り! 喋るが聞くから始まるように、書くためには膨大な読む量が必要です。こんなの当たり前だけど、小説家志望とかいう人ほど読んでないんですよね。「死ぬまでに一冊でいいから本を出したい」という人も読んでいない。恥を知れと言いたい。

「書く」ことは自分に問うことであり、もっと言えば自分自身と「対話する」こと。

これもその通り。どうしたらそんなふうに書けるんですか? と訊かれることがあるけど、とりあえず何か書いて、そのフレーズについて自分自身に「なぜ? どうして?」と問うていけばいいんですよね。答えを書き、質問を書き、また答えを書き、とやってるうちにそれなりの量の文章になります。

一度やってみては。

「書く」ためには「生きる」と「考える」が必要。
それはつまり、文章を書くには「書かない」時間が絶対にいるということだ。


これは私はまったく初めて接する「書く」への態度です。
私が書くのは映画・テレビドラマの感想とかニュースを見て思ったこととかで、それが私にとっての「生きる」と「考える」だから。映画に耽溺しているときの時間を「生きる時間」「考える時間」とは自覚できてなかった。でも、書かない時間を設けていたのは事実ですね。無意識ではあれ。

では、「ほんとうのことを」書くに当たって、完全に不要なものとは何でしょうか?

「みんなにすごいと思われたい」
「才能があると思われたい」
「バカだと思われたくない」
「文句を言われたくない」


要するに「承認欲求」ってやつですな。文章を書きたいという人で「みんなにすごいと思われたい」という人、結構います。

そして、みんなにすごいと思われたい人ほど小手先のテクニックにこだわります。

著者も言っています。

表層的な技術云々はどうにでもなる。

そうなんです。表層的な技術=小手先のテクニックをいくら手に入れても、いや、手に入れたがゆえに、「ほんとうのこと」を書けなくなってしまいます。

「あなたにこういうことを伝えたい」
「世の中にこういうことを訴えたい」

その気持ちだけを大事にするんです。著者もショーン・コネリー主演の映画『小説家を見つけたら』から引用してましたよね。

「初稿はハートで書け。リライトには頭を使え」

そうです。ハート=気持ちを大事にするんです。それができれば、文章テクニックなんて後からついてきますよ!







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