ツイッター上で話題沸騰の『ユマカウンティの行き止まり』を見てきたんですが、これが噂にたがわぬ傑作でした。傑作は言いすぎかな。でも佳作であることは間違いないですよ。(以下ネタバレあり)
『ユマカウンティの行き止まり』(2024、アメリカ)

脚本・監督:フランシス・ガルッピ
出演:ジム・カミングス、ジョスリン・ドナヒュー、ジーン・ジョーンズ、フェイソン・ラブ、リチャード・ブレイク
物語のあらまし

あるセールスマンがガソリンスタンドで給油しようとするとガス欠で、給油車を待っているところだとの回答。併設されているダイナーでコーヒーでも飲もうとしたら、店のウェイトレスが結構な美人。会話をして時間を潰す。そこへ突然、銀行強盗をしてきたばかりの二人組の男が現れて、二人を脅す。
その後、老夫婦が入ってき、ケチな泥棒や空き巣ばかりしてそうな若いカップルがやってき、強盗たちをいらだたせる。ウェイトレスの夫は保安官なのだが、妻のSOSに気づかない。
そんなこんなのうち、銃撃戦が起こる。何と、拳銃をもっていたのは強盗二人組だけでなかった。ケチなカップルもだが、老夫婦も拳銃をもっていたのだ。ガソリンスタンドとダイナー(とついでにモーテルも)を経営するデブっちょ黒人もライフルをっているし、大変なカタストロフィが演じられてしまう。
さて、最初に出てきたセールスマンがどうなったかというと、彼だけは拳銃をもっていなかったのに、フォークでカップルの女を刺したり、拳銃を奪ったりして独り勝ちの様相。強盗二人組の車から盗金を横取りし、他の車からガソリンを盗み、逃げる。
が、ウェイトレスの妻の死を知った保安官が怒りの追跡劇! はたして勝つのはどっちだ!?
画面の呼吸
(⇐この人、きれい)
ってな内容なのですが、私が一番瞠目したのは、やはり映像演出ですね。
カットを割るべき時に割る。
移動撮影すべきときに移動で撮る。
ズームは極力使わない。
スローモーションもここぞというとき以外は使わない。
そして、ヒッチコックがよく言っていたこと。
「エモーションを生み出すこと。生み出したら、それを最後まで持続させること」
これができてるんですよね。最近のアメリカ映画はこれができてないのが多く、困ったらセリフとかナレーションに頼る傾向が強いので腐ってたんですが、この『ユマカウンティの行き止まり』を見て、何だ、やっぱりアメリカ映画が一番面白いじゃないか、と舌鼓を打ちました。
息のいい役者陣

役者がみんなよく、役者がよければそれは監督の功績といっていいと思いますが、この監督さんは画面の呼吸が見事なだけでなく、演技指導も絶品なんですね。
特にいいのが、強盗の兄のほうを演じた人。やたらいい味出してました。思えばアメリカ映画が世界一面白かった頃って(それは映画史のほとんどですが)役者がいい味出してるんですよね。ハリウッド・スターはダントツで世界一です。
この映画の役者はスターではないけど、これから化ける可能性の人、多いですよね。特にやっぱり強盗の兄のほうの人!
結末、そして……

結局、金もって逃げたこのセールスマンが保安官との一対一を制しきることができず、保安官を爆殺するも、自分も腹を撃たれて死ぬことが暗示されて終わります。
私はここがこの映画唯一のケチの付けどころだと思いました。
何十本とシナリオを書いてきた経験からすると、「最後に全員死ぬ」というのは、結構簡単なんですよね。
誰か一人が生き残るとすると、誰が生き残るかによって「テーマ」とか打ち出すべき「テーゼ」とかが変わってくる。それは、作家としてのテクニックではなく、「人生観」とか「人間観」とか「世界観」とかを見せるべきところで、難しい。
この『ユマカウンティの行き止まり』はとても面白い。90分という上映時間も最近ではとても珍しく、見事に収めてみせてます。
しかしながら、脚本と監督を担当したフランシス・ガルッピという人の「自分は人生をこういうふうに見ている」「世界とはこういうものだ」という、ガルッピ監督ならではのテーマを打ち出せていない憾みが残ると感じました。
妄言多謝
『ユマカウンティの行き止まり』(2024、アメリカ)

脚本・監督:フランシス・ガルッピ
出演:ジム・カミングス、ジョスリン・ドナヒュー、ジーン・ジョーンズ、フェイソン・ラブ、リチャード・ブレイク
物語のあらまし

あるセールスマンがガソリンスタンドで給油しようとするとガス欠で、給油車を待っているところだとの回答。併設されているダイナーでコーヒーでも飲もうとしたら、店のウェイトレスが結構な美人。会話をして時間を潰す。そこへ突然、銀行強盗をしてきたばかりの二人組の男が現れて、二人を脅す。
その後、老夫婦が入ってき、ケチな泥棒や空き巣ばかりしてそうな若いカップルがやってき、強盗たちをいらだたせる。ウェイトレスの夫は保安官なのだが、妻のSOSに気づかない。
そんなこんなのうち、銃撃戦が起こる。何と、拳銃をもっていたのは強盗二人組だけでなかった。ケチなカップルもだが、老夫婦も拳銃をもっていたのだ。ガソリンスタンドとダイナー(とついでにモーテルも)を経営するデブっちょ黒人もライフルをっているし、大変なカタストロフィが演じられてしまう。
さて、最初に出てきたセールスマンがどうなったかというと、彼だけは拳銃をもっていなかったのに、フォークでカップルの女を刺したり、拳銃を奪ったりして独り勝ちの様相。強盗二人組の車から盗金を横取りし、他の車からガソリンを盗み、逃げる。
が、ウェイトレスの妻の死を知った保安官が怒りの追跡劇! はたして勝つのはどっちだ!?
画面の呼吸
(⇐この人、きれい)ってな内容なのですが、私が一番瞠目したのは、やはり映像演出ですね。
カットを割るべき時に割る。
移動撮影すべきときに移動で撮る。
ズームは極力使わない。
スローモーションもここぞというとき以外は使わない。
そして、ヒッチコックがよく言っていたこと。
「エモーションを生み出すこと。生み出したら、それを最後まで持続させること」
これができてるんですよね。最近のアメリカ映画はこれができてないのが多く、困ったらセリフとかナレーションに頼る傾向が強いので腐ってたんですが、この『ユマカウンティの行き止まり』を見て、何だ、やっぱりアメリカ映画が一番面白いじゃないか、と舌鼓を打ちました。
息のいい役者陣

役者がみんなよく、役者がよければそれは監督の功績といっていいと思いますが、この監督さんは画面の呼吸が見事なだけでなく、演技指導も絶品なんですね。
特にいいのが、強盗の兄のほうを演じた人。やたらいい味出してました。思えばアメリカ映画が世界一面白かった頃って(それは映画史のほとんどですが)役者がいい味出してるんですよね。ハリウッド・スターはダントツで世界一です。
この映画の役者はスターではないけど、これから化ける可能性の人、多いですよね。特にやっぱり強盗の兄のほうの人!
結末、そして……

結局、金もって逃げたこのセールスマンが保安官との一対一を制しきることができず、保安官を爆殺するも、自分も腹を撃たれて死ぬことが暗示されて終わります。
私はここがこの映画唯一のケチの付けどころだと思いました。
何十本とシナリオを書いてきた経験からすると、「最後に全員死ぬ」というのは、結構簡単なんですよね。
誰か一人が生き残るとすると、誰が生き残るかによって「テーマ」とか打ち出すべき「テーゼ」とかが変わってくる。それは、作家としてのテクニックではなく、「人生観」とか「人間観」とか「世界観」とかを見せるべきところで、難しい。
この『ユマカウンティの行き止まり』はとても面白い。90分という上映時間も最近ではとても珍しく、見事に収めてみせてます。
しかしながら、脚本と監督を担当したフランシス・ガルッピという人の「自分は人生をこういうふうに見ている」「世界とはこういうものだ」という、ガルッピ監督ならではのテーマを打ち出せていない憾みが残ると感じました。
妄言多謝

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