絶対に終電を逃さない女さん(変なペンネームだ)の『虚弱に生きる』を読んで感銘を受けました。
『虚弱に生きる』(絶対に終電を逃さない女、2025)
すべてを数値化
著者はものすご~~い虚弱体質で、子どもの頃はともかく、23歳くらいから現在までその虚弱な体質に悩まされているらしい。
そんなに虚弱なら実家に住まわせてもらえばいいのに、と思うが、そこはご両親のたっての願いで独立して暮らしている。
だから、食事の用意も自分でする。私なら出来合いのものを買ってきて温めて食べるだけとか多かったが、著者はその虚弱体質ゆえ、すべて自炊。糖質をどれだけ、たんぱく質をどれだけ、と細かく計算して食べているそう。
「食事はほぼ毎食自炊。カロリー計算の他、この食材は体にいいか悪いかを深く考える」
最初は「気にしすぎじゃないの?」と思ったが、そういうたゆまぬ努力を放棄するとすぐに寝込んでしまうらしい。だから気にしすぎるほど気にしなきゃならないらしい。それでなくても体調を崩すときは多いという。
睡眠時間も1日10時間ほどで、これはいまの私と一緒。躁うつ病になった3年前、体力を殺がれてロングスリーパーになった。私のことはともかく、著者は、睡眠に時間を取られ、食事の準備に時間を取られ、すごくゆっくり食べるから食事そのものにも時間を取られ、だから1日に4時間しか働けないという。
こういうふうに、自分がどれだけ不健康化を数値化して示すというのは大事なように見えて、私は違うんじゃないかと思った。
この本の最後のほうに、著者が中学時代に好きだったというブルーハーツの甲本ヒロトの言葉が紹介されている。
「幸せそのものを手に入れるんじゃなくて、幸せを感じられる心を手に入れたい」
数値というのは幸せそのものだと思うんです。それをどうにかするんじゃなくて、数値に惑わされない心を涵養するのが肝要に思ったのですが、いかがでしょうか。
「体力がないことは人生が短いことでもある」
わかる。私もたまに寝こむのでよくわかる。しかし、すべてを数値化するというのは違うと思うんですよねぇ。
「家賃など生きていくために絶対に必要な出費の計算」
これもわかる! 私も独り暮らしのときは、「生活とは、毎日金の計算をすることだ」と思ってましたしねぇ。
でも、すべてを数値化することをいっぺんやめてみてはどうかと提言します。食事では危険な気がするなら、何時間寝たとか何分走ったとか、そういうのをやめてもっと自由に自分の体を付き合うのがいいのではないか、と。(勝手な言い分ですかね?)
イボ
イボを取るために年収より多い百万ちょっとの治療費がかかったことがあるという。実家が太いかというとごく普通らしい。
「原因不明の治らない不調を数多く抱えてきた身としては、お金で治せる病気ならまだマシだと思えてくる」
金で治せる病気と金では治せない病気。金で解決できることと、金では解決できないこと。
虚弱な体をもつことは、裁判に巻き込まれることの多い人生と同じかもしれない(時間もとられるし)と思った。
願い
最後に、著者の喉の奥から発せられた「願い」の数々をご紹介して筆を擱きましょう。
「私はまだ、生きることを諦めたくない。このわけのわからない虚弱な体を、まだ捨てたくはない」
そうですな。私も1日10時間睡眠のうえに鬱で布団から出られないことがある。とはいうものの、このわけのわからない体を(本当は脳だが脳だって体の一部)まだ捨てたくはない。まぁ、私は著者の2倍ほど生きているので、もう捨てたっていい頃合いかもしれないが、でもね。
「こんなに頑張ってきたのに、結局結婚ごときですべてが解決したら、、それまでの苦労が否定されたような気になってしまう」
著者は虚弱なあまり、出産したら死んでしまうんじゃないかと思って諦めている。しかも、結婚という永久就職ではなく、元気ではなくともいまよりは健康な体がほしいという。で、
「猫を飼いたい」
というんですね。唐突に出てきたので驚きましたけど、猫を飼うということは、自分以外の生き物のことも考えてやらねばならず、いまより強くならないと無理とか。でも、猫を飼うという願望を捨てたくはない、と。なるほどね。
そして、こういう結語に至る。
「私は、私のような人が、私ほど努力をしなくてもすむ社会であるべきだと思っている」
なるほどねぇ。というか、社会のあるべき姿を考えているだけで、もう猫は飼ったも同然じゃないかしら。一気に結婚・出産に走ってもいいかもしれない。
いやいや、社会とか世界とかそういうことを考えるより、自分の食べるものに気を遣い、猫の機嫌を取り、というほうがよっぽど難しいことなのかもしれない。
と思えた結語でした。
『虚弱に生きる』(絶対に終電を逃さない女、2025)
すべてを数値化
著者はものすご~~い虚弱体質で、子どもの頃はともかく、23歳くらいから現在までその虚弱な体質に悩まされているらしい。
そんなに虚弱なら実家に住まわせてもらえばいいのに、と思うが、そこはご両親のたっての願いで独立して暮らしている。
だから、食事の用意も自分でする。私なら出来合いのものを買ってきて温めて食べるだけとか多かったが、著者はその虚弱体質ゆえ、すべて自炊。糖質をどれだけ、たんぱく質をどれだけ、と細かく計算して食べているそう。
「食事はほぼ毎食自炊。カロリー計算の他、この食材は体にいいか悪いかを深く考える」
最初は「気にしすぎじゃないの?」と思ったが、そういうたゆまぬ努力を放棄するとすぐに寝込んでしまうらしい。だから気にしすぎるほど気にしなきゃならないらしい。それでなくても体調を崩すときは多いという。
睡眠時間も1日10時間ほどで、これはいまの私と一緒。躁うつ病になった3年前、体力を殺がれてロングスリーパーになった。私のことはともかく、著者は、睡眠に時間を取られ、食事の準備に時間を取られ、すごくゆっくり食べるから食事そのものにも時間を取られ、だから1日に4時間しか働けないという。
こういうふうに、自分がどれだけ不健康化を数値化して示すというのは大事なように見えて、私は違うんじゃないかと思った。
この本の最後のほうに、著者が中学時代に好きだったというブルーハーツの甲本ヒロトの言葉が紹介されている。
「幸せそのものを手に入れるんじゃなくて、幸せを感じられる心を手に入れたい」
数値というのは幸せそのものだと思うんです。それをどうにかするんじゃなくて、数値に惑わされない心を涵養するのが肝要に思ったのですが、いかがでしょうか。
「体力がないことは人生が短いことでもある」
わかる。私もたまに寝こむのでよくわかる。しかし、すべてを数値化するというのは違うと思うんですよねぇ。
「家賃など生きていくために絶対に必要な出費の計算」
これもわかる! 私も独り暮らしのときは、「生活とは、毎日金の計算をすることだ」と思ってましたしねぇ。
でも、すべてを数値化することをいっぺんやめてみてはどうかと提言します。食事では危険な気がするなら、何時間寝たとか何分走ったとか、そういうのをやめてもっと自由に自分の体を付き合うのがいいのではないか、と。(勝手な言い分ですかね?)
イボ
イボを取るために年収より多い百万ちょっとの治療費がかかったことがあるという。実家が太いかというとごく普通らしい。
「原因不明の治らない不調を数多く抱えてきた身としては、お金で治せる病気ならまだマシだと思えてくる」
金で治せる病気と金では治せない病気。金で解決できることと、金では解決できないこと。
虚弱な体をもつことは、裁判に巻き込まれることの多い人生と同じかもしれない(時間もとられるし)と思った。
願い
最後に、著者の喉の奥から発せられた「願い」の数々をご紹介して筆を擱きましょう。
「私はまだ、生きることを諦めたくない。このわけのわからない虚弱な体を、まだ捨てたくはない」
そうですな。私も1日10時間睡眠のうえに鬱で布団から出られないことがある。とはいうものの、このわけのわからない体を(本当は脳だが脳だって体の一部)まだ捨てたくはない。まぁ、私は著者の2倍ほど生きているので、もう捨てたっていい頃合いかもしれないが、でもね。
「こんなに頑張ってきたのに、結局結婚ごときですべてが解決したら、、それまでの苦労が否定されたような気になってしまう」
著者は虚弱なあまり、出産したら死んでしまうんじゃないかと思って諦めている。しかも、結婚という永久就職ではなく、元気ではなくともいまよりは健康な体がほしいという。で、
「猫を飼いたい」
というんですね。唐突に出てきたので驚きましたけど、猫を飼うということは、自分以外の生き物のことも考えてやらねばならず、いまより強くならないと無理とか。でも、猫を飼うという願望を捨てたくはない、と。なるほどね。
そして、こういう結語に至る。
「私は、私のような人が、私ほど努力をしなくてもすむ社会であるべきだと思っている」
なるほどねぇ。というか、社会のあるべき姿を考えているだけで、もう猫は飼ったも同然じゃないかしら。一気に結婚・出産に走ってもいいかもしれない。
いやいや、社会とか世界とかそういうことを考えるより、自分の食べるものに気を遣い、猫の機嫌を取り、というほうがよっぽど難しいことなのかもしれない。
と思えた結語でした。


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