いまごろ見てるのかと笑われそうですが、東野圭吾が直木賞を受賞した作品の映画化『容疑者Xの献身』を見ました。(以下ネタバレあり)


『容疑者Xの献身』(2008、日本)
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原作:東野圭吾
脚本:福田靖
監督:西谷弘
出演:堤真一、松雪泰子、福山雅治、柴咲コウ、北村一輝、長塚圭史、ダンカン


退屈せず見られた
128分、まったく退屈せずに見られました。しかし、退屈しなかったからよかったとはかぎらないのが映画の難しいところです。


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天才数学者の堤真一が、その数学への没頭ぶりから誰からも相手にされていないという設定はよくわかります。でも、だから死にたくなるというのはよくわからない。愛してやまない数学に没頭しているからこそ生きがいを感じこそすれ、死にたくなったり実際に死のうとしたりしないんじゃないか。

というのが第一の疑問です。

第二の疑問は「論理と感情」です。

堤真一の親友で天才物理学者で安楽椅子探偵を演じる福山雅治も堤と同じく「物事は論理的に考えることが大事だ」と言います。確かにそうでしょう。福山が暴いた「アリバイに見えて実は死体のすり替え」というアイデアは本当に素晴らしいと思います。

でも、この映画ではその「論理的に考える」という行為が画面に映ることはありません。当たり前です。人間の頭の中は映像化できない。むしろ、論理的に考えることは大事だという主題を映画で扱おうとしたことが間違いだと思うのです。


感情
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結局最後はこうなります。堤真一は、近くの弁当屋の店長・松雪泰子に惚れて彼女のために、夫殺しを巧妙に隠蔽します。ずっと冷静沈着だった堤真一が、あれほど「僕を犯人にしたまま幸せに生きてください」と言っていたのに、その松雪泰子が警察署に顔を出して、愁嘆場となります。

福山雅治は言います。
「あいつがあの人と出会ったなかったら、人を愛することを知らずに死んでたんだろうか」

だからいいの? 人を一人殺してるんですけどね。しかも無関係の人を。

私はほかの『ガリレオ』シリーズを見てないから比較はできませんが、この『容疑者Xの献身』だけに関して言えば、「論理<感情」という前提で作られているのが気になります。

確かに感情も大事だが論理も大事です。なのに、この映画は最初から「論理より感情が大事」という世界観で作られています。頭から何の疑いもなく。本当にそれでいいのでしょうか?


かつての友人の脚本
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かつて専門学校時代に友人がこんな内容の脚本を書いていました。

精神の闇を抱える主人公は抽象画を描いているが、すべてが解決したとき具象画を描くようになった。

どう思います?

抽象画が悪で、具象画は善と捉えられていたのです。「これ、抽象画を描いてる人が読んだら怒るよ」と私は言いました。友人は脚本を封印しました。

『容疑者Xの献身』でも事態は同じじゃないでしょうか。

論理は大事だ。でも感情はもっと大事だ。

そう言いたいのならもっと掘り下げてその根拠を示すべきだし、「人を好きになるのは素敵なことだ」程度のことならいいけど、あんな絶叫したり泣き叫んだりしたりするのが大事というのであれば、私の理解の範疇を超えていますね。




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