『映画を早送りで観る人たち』の著者・稲田豊史さんの新刊『本を読めなくなった人たち コスパとテキストメディアをめぐる現在地」(中公新書ラクレ)を大変興味深く読みました。この記事はその本の感想です。


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まず、この本は次のような統計的事実から始まる。

「2024年1月~3月に文化庁が実施した『令和五年度 国語に関する世論調査」によると、16歳以上の日本人の62.6%は1か月に1冊も活字の本を読まない。その傾向はもはや60年は続いている」

そして、結論部近くで次のような衝撃的文章に行きつく。

「いずれ、『長い文章が読めます』という自己アピールは、『ラテン語が読めます』くらいの意味合いになっていくのではないか」

何と! でも確かに説得力があると唸らされる。この本を読んだあとには。


タイパ・コスパと読書
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以下に、本を読めなくなってしまった若者たちの証言を並べます。いずれも20歳前後の人たちです。

「『世の中のニュースはすべてXから取る』という女子大生は、『一応、公式っぽい感じのポストから飛ぶようには心がけている』という。その『公式っぽさ』」を何で判別するかと訊くと、『フォロワーが多いこと』と即答した」

「読書は『ながら』ができないからコスパが悪い」

「例えば小学生向けの算数の文章題。3行くらいの文章です。それすら何を問われているのかわからない子が増えました。最後の行しか読んでいないんです」(塾講師の証言)

「予備校での長文読解問題の解決指導の定番は、まず『読まなくていいところの特定』から入ります」

「年長者が説教口調で若者に『なぜもっと書店に行かないのか?』と問うのは、『なぜもっと美術館やギャラリーに行かないのか?』と同じくらい被質問者を戸惑わせるアクションになりつつある」

「映画化されるってことは面白いに決まっている」

「動画視聴は受動的だから楽」

「何を読んでいいのかわからない」


フォロワーが多いほど公式っぽく見えてしまう女子大生がおり、読書はながら読みができないからコスパが悪いと考え、国語の試験では「読まなくていいところの特定」から入る。

動画視聴は受動的だから楽だとそちらに流れ、映画やテレビドラマになるならそれは「面白い証拠」だとたまには小説を買う人もいる。

で、最終的に「何を読んでいいのかわからない」という結論に達するというわけだ。

あー嘆かわしい! と言ってみたところで仕方がない。

私などは読書(紙の本)で知性を磨いてきたつもりの人間だが、それはもう古いのかもと、この本の一節を読んで思い知らされました。

「読書によって培われる知性があることに疑いはないが、読書以外によって培われる別の知性も確実にある」

著者はこの本を執筆するにあたっての取材で多くの「本を読めなくなった若者たち」に会ったそうですが、不思議なことに、本なんか読まないのにものすごく知性的な人がいたりしたと。

「彼らは読書から得られるのとは別種の知性を、別の方法で育んできた」

本を読まないとバカになる、は正解ではない。バカだから本が読めないわけではない。

「本を読みたくないから読まないんじゃなくて、本じゃないものがあるからそっちに行ってるだけ」(女子大2年生)

なるほどねぇ。私が古いだけなのか。本はやはりもうラテン語なのか。

しかし、この発言だけは違うと↓言いたい↓。

「書店って評価がまばらな本を何でも置いてますよね。でも、ファッションはそうじゃない。売れない服は店頭に置かないじゃないですか。いまの書店は、たくさんある書籍からほしいものを手に入れられるメリットより、買って満足するものを見つけることの難しさのほうが際立っているような気がします」(
活字の本はプログラミングの実用書しか読まないという男子高校生)

面白い本を見つけるのが難しいと言っていますが、それは錯覚ですよ。

一時期、本のソムリエなるものがもてはやされていた時期がありました。「何を読んでいいのかわからない」人が、ソムリエに1500円払って自分の職業や趣味を言い、「あなたにはこの本がおすすめです」などとオススメしてもらうサービス。

これはかなりもったいないお金の使い方で、アンテナさえ張ってれば最新の面白い情報なんて向こうから勝手に入ってきますよ。この人にとってはファッションの情報がそうなわけでしょ。それを本にも広めればいいだけ。以上。


「本好き」の敷居の高さ
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「本読んでるって言うと、本好きから『なんとかって作家さん、知ってる?』って聞かれたりするんですよ。だから軽々しく本好きだとか本読んでるとかいえない(笑)」

これは映画でもありますね。何々という映画を見てないと映画ファンじゃないとか、1000本見てないとシネフィルとは言えないとか。こういう自称「本に詳しい人」が新しい読者を界隈から駆逐してしまっているところ、あると思います。罪深い。

「ラノベの売り上げはここ数年落ち込み気味で、売れ線作品も以前ほどにはなく、ライトノベル編集者は『コミカライズ(コミック化)の原作供給部として役割が強くなっている』という。コミック化され、それがアニメ化されて初めて黒字になる。活字だけでは、何ともならないのだ」

なるほど。活字だけではいくら面白くても黒字にはならない。コミック化、アニメ化されて初めてペイできると。そのコミックやアニメを見ているのは「本を読めなくなった人たち」なんですよね。負のスパイラル。

「いままで活字の本を買っていた人が、紙をやめて電子の本を買い始めるということはないでしょう。(中略)私を含め多くの人は、紙の本は物理的に収集したいから買っているので。そして当たり前ですが、いままで紙の本を読んでなかった人が、電子になったからといって読むことはありません」

読書メーターってあるじゃないですか。私はやってませんが、この本を読んでるときに、あれをよくイメージしてたんですよね。

それこそ、あのSNSは「ラテン語を読める人たち」を生産しているのではないか。それも縮小再生産を。

でも、読書を趣味とする人はいままでよりはかなり減るけど、いなくはならないと思います。

それでもやっぱり「ラテン語」なんですよ。いまはまだ「本を読めなくなった人たち」というタイトルの本が読まれますが、そのうちそんな企画は通らなくなり、「ラテン語を読める人たち」というタイトルの企画が通る日は近いんじゃないか。

読書人は高等遊民ばかりになるのでしょうか?


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