
綾野剛主演にして、久々の三池崇史監督作品『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男~』を見て、結構楽しんだんですが、何かちょっと気になったことがあったので筆を執りました。
物語の内容に違和感を覚えたのではなく、ちょっとした所作に、です。
終盤の、弁護士の小林薫が、いじられていたとされる子どもの母親・柴咲コウの戸籍謄本を証拠として裁判官と検察官双方に渡すシーン。

ここで小林薫弁護士は充分間をおき、裁判官も検察官も書類に目を通したかどうかを確認してから言葉を発するのですが、あの「間」は要りますかね?
確かに充分間を置いたほうがリアリティはある。
続けて、戸籍によると柴咲コウにアメリカ人の血は流れてない、と重要な情報を発すると、検察官が「異議申し立て」をします。小林薫弁護士は「この事件の根幹をなす重要な証拠です」と裁判長に主張すると、裁判長は一瞬の躊躇のあと「異議を却下します」という。
あの「一瞬の躊躇」は必要でしょうか?
私はどちらもいらないと思う。
なぜなら、いくら実話を基にしているといっても、映画はフィクションなのだから、そんな細かいリアリティなんかどうでもいいので、もっと話のそれこそ根幹に切り込んでいってほしいと思うゆえです。
弁護士も検事も裁判官だって、実際の裁判では滔々としゃべる人はまれで、詰まったり言いよどんだりするそうですが、そんな「リアル」なんかいりません。
嘘でいいから、証拠書類を渡したら自席に戻ってすぐ核心を突く主張をする。裁判長は検察・弁護双方から主張があればすぐに「異議を認めます」or「異議を却下します」と言おうじゃありませんか。
アメリカの裁判シーンってそうなってますよね。日本映画は細かいところに気を遣いすぎのような気がします。
そういうところが逆に評価の対象になったりもするのでしょうけど、私はそれは好きじゃない。

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