「監督:源孝志」とあるのを見て映画は見ずに原作小説を読むだけにしようと決め、このたび読んでみたんですが、うーん、、、これはどうなんでしょう??? と頭を抱えてしまいました。(以下ネタバレあり)


『木挽町のあだ討ち』(永井紗耶子)
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物語のあらまし
木挽町の芝居小屋の裏手で仇討ちが起こる。
伊納清左衛門が一子、菊之助が、父の仇、作兵衛を見事打ち取ったという、巷間では「木挽町の仇討ち」との名前で有名な立ち回りだった。

が、その後の調べでいろんな証言が出て、実は「仇討ち」ではなく「徒討ち」だったことが判明する。


意外な結末?
あだ討ちの主・菊之助の父親である清左衛門は、自身の弟と家老が公金に手をつけていることを知り、証拠の裏帳簿を手に入れる。すべてを暴こうとして逆に横領犯として殺されそうになった。そこで家族にも累が及びそうになったため、清左衛門は下男である作兵衛に自分を殺して裏帳簿を息子の菊之助に渡してくれろとお願いした。菊之助に家老と弟の悪事を暴いてほしいとの一念で。

菊之助には叔父(つまり清左衛門の弟)から仇討ちせよとの命が下り、菊之助は下手人でも何でもない作兵衛を殺すための旅に出なくてはならなくなった。

最終的に、菊之助は芝居小屋のみんなの力で仇討ちと見せかけた徒討ちを成し遂げる。つまり、作兵衛を殺さずに殺したかのように見せかける。証拠の裏帳簿は作兵衛から渡してもらう。これでいつでも叔父貴と家老に煮え湯を飲ませることができる。

何かこれ、おかしいですよね。

いや、オチをそういうふうにしたかったのはよくわかります。

でも、そのために登場人物の動機や行動の理由がよくわからなくなってしまっています。

なぜ清左衛門は作兵衛に自分を殺すよう命じたのか。菊之助もそこが引っかかるようで、悩みます。自分を殺した作兵衛が逃げれば仇討ちせよとの命が下り、菊之助は諸国を回る。その先で作兵衛と再会すればそのときに裏帳簿を渡すことができる。

という理屈らしいですが、そこまでうまく行くかどうか。


復讐ならば
この小説は復讐ものじゃないですが、復讐をテーマにした映画や小説で私が大好きなのは阪本順治監督『トカレフ』です。

あいつを殺すことができればこの身などどうなってもいい。

もう復讐することしか見えてない。

そんな感じで、この『木挽町のあだ討ち』も、悪いのは叔父貴と家老なのだから、その二人の悪事を暴くならこの身がどうなってもかまわないというところを見せてほしかった。

菊之助は「おまえさんにとって武士とは何だい」という質問に、

「人としての道を過つことなく、阿らず、義を貫くことだと思います」

と答えます。作兵衛を殺さずにみんなの力で仇討ちに見せかけるのが菊之助の「人の道」「義」
ということなんでしょうか。

仮にそうであっても、私にはそれは面白くない。

作兵衛に咎はないとわかっていても、芝居小屋のみんなの力で~~なんてまどろっこしいことはせず、作兵衛を殺す。殺して裏帳簿を奪い取って家老を責め立てる。清左衛門と同じく自分に逆嫌疑がかけられたら、斬って斬って斬りまくる!

それでもし公儀から切腹を仰せつかったら、潔く腹斬って果てる。

それぐらい激しいドラマを読みたかったです。

この『木挽町のあだ討ち』は、登場人物が「頭」だけで動いてますよね。暗い情念がない。

以上です。


創作の極意と掟 (講談社文庫)
筒井康隆
講談社
2017-07-14


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