今日は衆議院議員選挙の投票日です。私は期日前投票で、小選挙区は共産党候補、比例はれいわに投票してきました。


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ふと思い出したんですが、先日亡くなったゴジさんこと長谷川和彦監督は、私がいつも選挙に行っているというと大変驚いて「そうか、選挙に行くのか」とため息をついていました。

「選挙に行けば政治にものいう権利が得られると思っているわけ?」
「いや、投票しなくても政権批判してもいいと思っています。言論や表現の自由はあるわけですから」
「じゃあ何で選挙に行くの?」
「子供のころから両親が当然のように選挙に行っていて、そういう環境で育ったことが大きいかもしれません」
「なるほどね。でも選挙なんかじゃ世の中は変わらないよ。どうしても組織票が入るからね。どうあがいたって自民党が勝つんだよ。何も変わらない」

いままさに何も変わらないどころか悪化の一途をたどっている日本社会ですが、ゴジさんは、

「社会に対してもっと怒っていいんだとみんなに言いたいね。だから俺は『連合赤軍』を企画しているんだ」

と言っていました。確かにその通り。みんな従順すぎます。

ただ、ゴジさんの『連合赤軍』超ロング・シノプシスを読ませてもらったんですが、あれには「社会に対してもっと怒っていいんだ」というメッセージは感じられませんでした。言わなかったけど。

選挙じゃ世の中は変わらないかもしれない。しかし、戦争だけはやめて! といっているのに暴力で政権を転覆させるのは違うようにも思う。

中島貞夫監督の『日本暗殺秘録』、あれは脚本家の笠原和夫さんがゴジさんと同じ「もっと怒っていいんだ」というメッセージが込められているらしい。「いま暗殺を超える思想とは何か」というラストの言葉にも感じ入るものがある。

選挙に行くかどうかは別にして、政治を語ることは重要でしょう。

なのに、ツイッター界隈で顕著ですが、「政治についてだけは語らない」というアカウントが存在します。

「政治について語ったらフォロワーが減るから絶対だめと自分に禁じてる」
「政治のツイートばかりする人はミュートかブロックします」

なぁんてことを平気の平左で言う人もいる。

それって自分自身に対して表現の自由を抑圧しているし、他人に対しても表現の自由を奪っていることになると思う。自分で自分の自由・権利を封印するなんてナンセンス極まりない。

「芸能人は政治を語るな」「マンガ家は政治を語るな」「アイドルが政治を語るな」

じゃあ政治を語っていい人って誰なの? わからない。

昨日の記事によれば、ある有名な芸能人がこんなことを言ったらしい。

「高市さんは絶対に他党の批判をしない。そういう人には明るい何かを感じるし、この国を希望あふれる社会にしてくれる気がしてしまう」

アホか。討論番組を仮病でドタキャンするような人間を批判しないで一体誰を批判するというのか。(参照記事⇒

いつの間にか日本では「批判」は悪いこととされてしまっていて、「建設的な批判」なら歓迎すべきじゃないの? と思う。誹謗中傷の類はだめだけど。というか、誹謗中傷は「批判」ではない。

そこのところがわかっていない人たちが増えたように思う。つまり、「批判=誹謗中傷=悪いこと」と思い込んでいる人たち。

参照記事にも書いてあるけど、映画の批判をすると、それを「映画への悪口」と捉える人たちがものすごく増えた。

私は安部を殺した山上に同情的だけれど、こういうことを言うこと自体が「反日である!」みたいに捉える人、最近は増えましたね。統一教会とつながっているほうがよっぽど反日なのに。

というわけで、自民党単独過半数、維新も合わせれば3分の2と言われている情勢ですが、少しでもましになってほしいと願う、雪の朝でした。




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