かつて亡父が生きていた頃、こんなことを言っていました。

「いまの教師はすぐうつ病になって休む。大変けしからん。昔、教師は『でもしか先生』と呼ばれていた。『教師にでもなろうか』『教師にしかなれない』という意味だ。教師は普通の職に就けない者が最終手段でなる職業だった。それを何だ。すぐうつ病になんかなって」

うつ病はこの際どうでもよく、この記事のテーマはタイトルにある通り、「でもしか先生」です。

教職についている人たちを蔑むような、かなり辛辣な言葉を吐いていた亡父ですが、その亡父が教員免許を取っていたことをどう解釈すればいいのでしょう?

教職員を馬鹿にし、でもしか先生がどうたらこうたらと揶揄しながら、最後の手段である教職の免許を自分も取っていたというのは話の筋が通らないように感じます。

でも、それは別にいいのです。亡父自身もこのテーマには関係がない。

でもしか先生とは何でしょうか。というか、教師にでもなろうか、教師にしかなれない、と揶揄されたのはなぜなのでしょうか。


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おそらく、昔の教師はかなり楽な職業だったのだと思われます。

ビートたけしが言ってましたけど、昔は親たちに学歴がない。大学を卒業している教師たちに自然と頭を垂れていた。でも親たちも大学へ普通に行くようになっていろいろ文句を言うようになった。教師は尊敬されなくなった、と。

親たちだけでなく、子どもたちもまた、教師を尊敬していただろうし恐れてもいたと思う。それに何より向学心がいまよりずっと高かったでしょうしね。いまじゃ何かにつけて「それは何の役に立つんですか?」と訊いたり、「スマホで何でも調べられるのに何で暗記しなきゃいけないんですか?」と訊いたりね。

つまり、教師は教壇に立っているだけで「権威」があった。子どもたちは教壇に立つ者を無条件に敬った。子どもたちはその者の言葉を素直に聞いた。勉学に励んだ。教師が基本的なことさえ教えれば、あとは子どもたちが勝手に勉強した。

だから、「でもしか先生」。

教師にしかなれない、というのは、確かにそういう人もいたのだろうけど、教職がそもそも誰がなっても子どもたちや親御さんたちに対して変わらないものだったからなのだろうと思う。

それがいまやモンスターペアレントたちが跋扈する時代で、何と、いつだったかニュースになっていたのは、給食費は親が出しているのだから教師に対して「いただきます」というのはやめさせてほしい、という親が多いとか。

そりゃうつ病にもなりますよ。

亡父がもし教職に就いていたら、モンスターペアレントにどういう対応をしただろうか。

私は殴ったりしてたんじゃないかと思いますがね。昔ならたいして問題にはならなかったでしょうけど(笑)


教職エンパワーメント
浜田 博文
東洋館出版社
2025-12-27


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