映画化もされたのに見てもないし原作も読んでなかった、辻村深月という作家さんの『傲慢と善良』をようやっと読みました。(以下ネタバレあり)
『傲慢と善良』(辻村深月、2019)

物語のあらまし
前半の主人公は西沢架(かける)といい、イケメンでいい大学、いい仕事に就いており、恋愛経験も豊富で、30代後半のいまとなっては「なぜあなたは未婚なの?」と言われるほどの「いい男」。
アユという100点満点の女と付き合っていたがダメになり、焦って結婚相談所に登録して婚活に励む。その過程で、坂庭真実という女と知り合う。真実も30代だが世間ずれしておらず、ものすごくピュア。架はそんな真実に惹かれて付き合うようになる。
ある日、真実から連絡がある。「ストーカーに狙われている」と。架は動くが、真実は忽然と姿を消す。架は彼女の女友だちや実家の両親、婚活で架と付き合う前に会っていた男二人と話をするが、出た結論は「ストーカーなんていない」だった。その過程で思い知らされたのは、架が自己肯定感が強いために婚活相手の女性を値踏みして自分にふさわしいかどうか点数をつけていたこと。架が真実につけた点数は70点だった。それは架の「傲慢さ」ゆえのことだと説明される。
後半の語り手は真実。(前半は架が主人公であっても語り手ではなかった(つまり架の一人称ではなく三人称だった)のに、後半は真実の一人称になっているのはどういうことなのだろう? 作者に聞いてみたい)
真実は幼少のころから「真実は世間知らずだから何でもお母さんたちに任せときなさい」という母親と共依存の関係にあった。自分から勝手にものを買い与えて、「感謝しなさい」と恩着せがましいことを言う。
真実は常に「いい子」でいようとするあまり、「善良さ」を兼ね備えたとてもピュアで、反面、とても世間知らずな女性に成長する。
しかし、彼女もまた、架と同じく「傲慢さ」をもっていると明らかになる終幕近くがスリリング。婚活相手の男性二人のうちの一人、イケメンだけど自分の意見がない男をこき下ろすところなど「傲慢」以外の何物でもない。
そんな、「傲慢さ」という共通項のある二人が再会し、結婚式をあげる。めでたしめでたし。
傲慢と善良
結婚相談所を切り盛りする女性の小田里が架にこんなことを言う。
「現代の日本は、目に見える身分差別はもうないですけれど、一人一人が自分の価値観に重きを置きすぎていてみなさん傲慢です。その一方で、善良に生きている人ほど、親の言いつけを守り、誰かに決めてもらうことが多すぎて‟自分がない”ということになってしまう。傲慢さと善良さが、矛盾なく同じ人の中に存在してしまう、不思議な時代なのだと思います」
なるほどね。私にもそういうところあると思う。結婚はしてませんが。
上の言葉は、真実について言った言葉だったと思うが、やはりフィクションのキャラクターとしては、こじらせイケメンの架より親が作った罠に自分からはまりこんで文句を言っている真実(これは私と一緒です。女友達の真実評「自己評価は低いくせに、自己愛は半端ない」)のほうがよっぽど面白いので、架が真実を探すという設定と展開ではなく、真実というキャラクターにもっと焦点を合わせて、もっとあのキャラクターを掘り下げてほしかったというのが偽らざる思い。
だから、二人が結婚してハッピーエンドという結末にも納得いかなかった。お互いを理解した。それでも別れるというほうが、つまり、文中で「結婚式を予約してるホテルをキャンセルしてほしい」と真実が言いますが、実際はホテルじゃなくて震災後の石巻でボランティアをしていたからそこの神社で挙式することになるわけですが、いったん真実が「キャンセルしてほしい」と言ったとき、キターーーーーと思ったんですがね。何だ、結局結婚するのかい。結婚=ゴールというのはいまどきどうなんだろう?
「実を言えば、架を紹介することは、両親への復讐のような気がしていた」
これとか面白いじゃないですか。婚活アプリを使って両親が真実の結婚相手を探してたと言いますからね。かなりこじらせた親子関係なので、真実と両親のあれやこれやがもっと読みたかったというのが偽らざる思い。
真実の境涯が私のそれと似ているから、というのはもちろんありますが、前半の架の視点から真実を解像していく300ページちょっとが少しもったいなく感じました。前半は架の探偵小説といった趣ですが、それをなしにして、最初から最後まで真実に焦点を合わせて描いてほしかったと思います。真実を批判的に描くわけだから三人称で。
それをしたらまったく別の小説になっちゃいますかね。でも私はそっちを読みたい。
『傲慢と善良』(辻村深月、2019)

物語のあらまし
前半の主人公は西沢架(かける)といい、イケメンでいい大学、いい仕事に就いており、恋愛経験も豊富で、30代後半のいまとなっては「なぜあなたは未婚なの?」と言われるほどの「いい男」。
アユという100点満点の女と付き合っていたがダメになり、焦って結婚相談所に登録して婚活に励む。その過程で、坂庭真実という女と知り合う。真実も30代だが世間ずれしておらず、ものすごくピュア。架はそんな真実に惹かれて付き合うようになる。
ある日、真実から連絡がある。「ストーカーに狙われている」と。架は動くが、真実は忽然と姿を消す。架は彼女の女友だちや実家の両親、婚活で架と付き合う前に会っていた男二人と話をするが、出た結論は「ストーカーなんていない」だった。その過程で思い知らされたのは、架が自己肯定感が強いために婚活相手の女性を値踏みして自分にふさわしいかどうか点数をつけていたこと。架が真実につけた点数は70点だった。それは架の「傲慢さ」ゆえのことだと説明される。
後半の語り手は真実。(前半は架が主人公であっても語り手ではなかった(つまり架の一人称ではなく三人称だった)のに、後半は真実の一人称になっているのはどういうことなのだろう? 作者に聞いてみたい)
真実は幼少のころから「真実は世間知らずだから何でもお母さんたちに任せときなさい」という母親と共依存の関係にあった。自分から勝手にものを買い与えて、「感謝しなさい」と恩着せがましいことを言う。
真実は常に「いい子」でいようとするあまり、「善良さ」を兼ね備えたとてもピュアで、反面、とても世間知らずな女性に成長する。
しかし、彼女もまた、架と同じく「傲慢さ」をもっていると明らかになる終幕近くがスリリング。婚活相手の男性二人のうちの一人、イケメンだけど自分の意見がない男をこき下ろすところなど「傲慢」以外の何物でもない。
そんな、「傲慢さ」という共通項のある二人が再会し、結婚式をあげる。めでたしめでたし。
傲慢と善良
結婚相談所を切り盛りする女性の小田里が架にこんなことを言う。
「現代の日本は、目に見える身分差別はもうないですけれど、一人一人が自分の価値観に重きを置きすぎていてみなさん傲慢です。その一方で、善良に生きている人ほど、親の言いつけを守り、誰かに決めてもらうことが多すぎて‟自分がない”ということになってしまう。傲慢さと善良さが、矛盾なく同じ人の中に存在してしまう、不思議な時代なのだと思います」
なるほどね。私にもそういうところあると思う。結婚はしてませんが。
上の言葉は、真実について言った言葉だったと思うが、やはりフィクションのキャラクターとしては、こじらせイケメンの架より親が作った罠に自分からはまりこんで文句を言っている真実(これは私と一緒です。女友達の真実評「自己評価は低いくせに、自己愛は半端ない」)のほうがよっぽど面白いので、架が真実を探すという設定と展開ではなく、真実というキャラクターにもっと焦点を合わせて、もっとあのキャラクターを掘り下げてほしかったというのが偽らざる思い。
だから、二人が結婚してハッピーエンドという結末にも納得いかなかった。お互いを理解した。それでも別れるというほうが、つまり、文中で「結婚式を予約してるホテルをキャンセルしてほしい」と真実が言いますが、実際はホテルじゃなくて震災後の石巻でボランティアをしていたからそこの神社で挙式することになるわけですが、いったん真実が「キャンセルしてほしい」と言ったとき、キターーーーーと思ったんですがね。何だ、結局結婚するのかい。結婚=ゴールというのはいまどきどうなんだろう?
「実を言えば、架を紹介することは、両親への復讐のような気がしていた」
これとか面白いじゃないですか。婚活アプリを使って両親が真実の結婚相手を探してたと言いますからね。かなりこじらせた親子関係なので、真実と両親のあれやこれやがもっと読みたかったというのが偽らざる思い。
真実の境涯が私のそれと似ているから、というのはもちろんありますが、前半の架の視点から真実を解像していく300ページちょっとが少しもったいなく感じました。前半は架の探偵小説といった趣ですが、それをなしにして、最初から最後まで真実に焦点を合わせて描いてほしかったと思います。真実を批判的に描くわけだから三人称で。
それをしたらまったく別の小説になっちゃいますかね。でも私はそっちを読みたい。

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