アカデミー賞受賞プロデューサーでもある俳優マイケル・キートンが、監督も務めた『殺し屋のプロット』を見に行ったんですが、これが評判通りの極上の傑作でした。(以下ネタバレあり)


『殺し屋のプロット』(2025、アメリカ)
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脚本:グレゴリー・ポイリアー
監督:マイケル・キートン
出演:マイケル・キートン、ジェームズ・マースデン、スージー・ナカムラ、ヨアンナ・クーリク、マーシャ・ゲイ・ハーデン、アル・パチーノ


私が生まれて初めて書いたシナリオは殺し屋が主人公のものなので、ちょっとやそっとじゃ納得しないぞ、と構えて見始めたんですが、これは震えがくるほど面白い。

クロイツフェルト・ヤコブ病という重度の認知症、そして病状の悪化が著しく速い病魔に侵された殺し屋が、人殺しをしてしまった息子を助けるべく、最期の完全犯罪に挑むという物語自体は、誰に目にも面白いものだし、ひねりも効いてるし、言うことはありません。

私が言いたいのは、この『殺し屋のプロット』が「古典的ハリウッド映画の作法」にのっとった映画だということです。


映画の顔
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主役のマイケル・キートンを困らせる役柄のジェームズ・マースデン、かなりいい顔していませんか?

いい顔と言えば、日系刑事役のスージー・ナカムラという女優もいい顔をしていました。


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あれは確か『ミリオンダラー・ベイビー』でした。、序盤でイーストウッドにコンビ解消を告げにくるボクサーの顔に納得が行かないと蓮實重彦が愚痴をこぼしていました。「50年代を知悉した、つまり古典的ハリウッド映画に通暁したイーストウッドがなぜあんな顔を選んだのか、まったくわからない」と。

でも『殺し屋のプロット』は違います。

ジェームズ・マースデンとスージー・ナカムラとおそらく娼婦役のヨアンナ・クーリク、そして比較的有名なマーシャ・ゲイ・ハーデンと大スター・アル・パチーノ。いい顔ばかり選んでますな。

顔だけじゃなく、それぞれの役者に的確な芝居をつけてるじゃないですか。ほとんど無名の人ばかりなのに、大スターの風格を感じさせます。監督マイケル・キートンの腕が冴えているのでしょう。


固定カメラ
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この映画はカメラも冴えわたってましたね。

ちゃんと三脚にカメラを据えてフィックスで撮るというのが基本姿勢。かつてのハリウッド映画はそうやって作られていました。

もちろん、ドリーショットとかもあるんですけど、フィックスが基本なのでたまにカメラが動くと心ときめくんです。

それから、最近では映画でもテレビドラマでも、平気でイマジナリーラインを越える作品が珍しくないですが、この映画は律義にイマジナリーラインぎりぎりで切り返すという基礎中の基礎をやってのけています。

そんなの当たり前じゃないかと言うなかれ。いまじゃそんな当たり前のこともできていない映画が多いのです。

的確な脚本と的確な芝居と的確なカメラ。

この3つがしっかりしてるから、静謐すぎるほど静謐なのに、常にドラマが煮えたぎる、驚くべき時空が切り取られているのだと思います。


上映時間
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蓮實重彦に言わせれば、「この題材で115分は長すぎる」のでしょう。そりゃ、「上映時間は題材の関数である」と40年以上前に看破した人だからそういうのもわかるし、私もちょっと長いと思った。

古典的ハリウッド映画なら80分からいくら長くても95分には収める内容ですからね。もし90分以内だったら『さらば愛しのアウトロー』並みの傑作になっていたと思います。

上映時間にはあまり納得いかないけど、上記のように、役者の選び方、演技指導、そしてカメラ。これらの点で、この『殺し屋のプロット』は21世紀のアメリカ映画史に燦然と輝く傑作と言っていいんじゃないでしょうか。




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