中島貞夫監督の最高傑作と言って差し支えない、松方弘樹主演『脱獄広島殺人囚』を再見しました。(以下ネタバレあり)


『脱獄広島殺人囚』(1974、日本)
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原案:美能幸三
脚本:野上龍雄
監督:中島貞夫
出演:松方弘樹、梅宮辰夫、大谷直子、渡瀬恒彦、小泉洋子、名和宏、曽根晴美、神山繁、小松方正、若山富三郎


なぜ女は彼に惚れるのか
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冒頭のシーンで殺人を犯した松方弘樹は20年以上の刑を受けます。それが彼の脱獄人生のはじまりでした。

脱獄しては刑期上乗せ、脱獄しては刑期上乗せの繰り返し。

彼の妻が刑務所まで面会に来ます。「20年でも30年でも待っちょるからね」と殊勝なことを言う。

なぜ、妻はことほどさように彼のような極悪人を恋い慕うのでしょうか?

一度目の脱獄で松方弘樹は自宅に向かい、妻をほとんど犯すようにしてセックスしますが、妻は少しも嫌がらず女の悦びに打ち震えているかのようです。

それは中盤とラスト近くで出てくる彼の妹・大谷直子もそう。「もう今日であんちゃんとは縁切りや」と言いつつ、警官隊がやってくると彼らを棒で叩きのめして兄を逃がす。

妻に愛される夫、そして妹に愛される兄。なぜ彼はことほどさように女たちから愛されるのか。


「社会」というキーワード
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脱走罪のみならず、所内で二つも殺人を犯し、刑期が40年を超えた頃、彼はもう娑婆に戻るのはあきらめかけていました。

が、そのとき彼の目には見えたのです。慰問に来た女性の尻が。

「そんとき見えたんじゃ、社会が。あきらめかけとった社会が!」

彼は最後の脱獄を図るのですが、私は彼の言う「社会」という言葉に引っかかりました。

女性の尻を見て「娑婆を思い出した」とか「娑婆が見えた」とかじゃ普通でしょう。でも彼は「社会」と表現する。

ここに彼が女たちから愛される理由があるのではないか。

「人が二人集まれば、それが社会だ」みたいな言葉がありますが、この映画の松方弘樹は、おそらく一方的に女を愛しているのではなく、「女と自分」という「社会」を愛しているのでしょう。

つまり、女を愛するだけでなく、女を愛する自分も愛する。女と自分の関係そのものを丸ごと愛する。

妻を愛する自分を愛する。妹を愛する自分を愛する。

なぜ自分を愛することのできる人間が何度も脱獄を繰り返すのかという疑問が湧いてきますが、それはやはり理不尽な物言いばかりし、嘘ばかり言う看守や警察への復讐、いや挑戦でしょう。

二度目の脱獄の際、彼は、同じ雑居房の囚人たちにこう言います。

「手伝ってもらおうとは思っちょらん。誘うつもりもない。ただ今夜俺たちがすることを見逃してくれたらそれでええんじゃ」

彼は囚人たちをも愛しているし、信頼している。看守たちを除く刑務所という社会を愛しているまっとうな人間です(でも犯罪者じゃないか、単なる悪人じゃないか、などと言う人とは友だちになれません)。社会なるものを丸ごと愛する人だからこそ、女の尻が見えたとき「社会」という単語が口を衝くように出たのでしょう。

仲間を信頼する。女たちを愛する。その愛し方(憎み方)が一方的で裏切りに遭っても、彼は自分の境涯を人のせいにしたりしない。

女たちがなぜ彼を愛するのか、少しだけわかった気がしました。


脱獄広島殺人囚
若山富三郎


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