昨年の初め、70年代中頃に連続企業爆破事件を起こした実行犯にして、東アジア半日武装戦線「さそり」のメンバー桐島聡が、偽名で搬送された病院で「私は桐島聡です」と名乗り、その4日後に死亡しました。

結局、どうやって逃亡生活を続けていたのかとか、なぜ最後の最後になって本名を名乗ったのかなどの謎は謎のまま残されました。

この映画『「桐島です」』は、50年に及ぶ逃亡生活について妄想を駆使して描いています。

肝心要の脚本を書いたのは、『桜の園』などに出演した元女優の梶原阿貴さん。梶原さんの父親が桐島と同じような爆弾犯だったということで、高橋伴明・惠子のプロデューサー夫妻から白羽の矢が当たったと、その著書『爆弾犯の娘』に書かれていました。

梶原さんが取材していて一番心に残ったのは桐島の「やさしさを組織せよ」という言葉らしく、この映画の最後にも紹介されますが、ただ、この言葉はもっと前半から散りばめておくべきではないかな、それでないと映画を見た大半の観客がすぐ忘れてしまう、それはもったいないと思いました。

ただ、私の感想はもっと極私的なものです。別に私の肉親に爆弾犯がいたわけではないのですが……
(以下ネタバレあり)


『「桐島です」』(2025、日本)
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脚本:梶原阿貴&高橋伴明
監督:高橋伴明
出演:毎熊克哉、奥野瑛太、北香那、原田喧太、山中聡、影山祐子、甲本雅裕、高橋惠子


もっと怒っていいんだよ
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20年ほど前にさかのぼります。

かつて私が師事した、『太陽を盗んだ男』の長谷川和彦監督から、ある日厖大な量の添付ファイルが送られてきました。「『連合赤軍』のシノプシスだ。読んで感想を聞かせてほしい」とありました。しかしながら、「シノプシス」というわりにはプリントアウトすると電話帳みたいな分厚さで、ひたすら3日かけて読みましたが、徒労感だけが残りました。

何と言ったか憶えてませんが、「おまえの感想は役に立たん」と言われてしまいました。ただ、そのときのゴジ監督の言葉で印象に残ったのは「もっと社会に対して、理不尽な国家に対して怒っていいんだよ」ということを言いたいんだよ、俺は。それで連合赤軍の映画をずっと企画してるんだ、選挙なんかじゃ世の中は変わらんからな、と言うんですね。(私が選挙にはほぼ毎回行ってますというと、「それは信じられん。バカじゃないのか」と言われましたっけ)

でも、そのシノプシスをいくら読んでも「もっと怒っていいんだよ」というメッセージは感じられなかったし、私の数少ない連合赤軍に関する知識を総動員しても、山岳ベースでリンチ殺人を繰り返していた彼らから「もっと怒っていいんだよ」という声は聞こえてきませんでした。
 
それをそのまま率直に言うと、「あー、やはり俺のシノプシスはまだまだなんだろう」と、少しもそう思ってないのが見え見えの声の返事がありました。

『「桐島です」』を見ていてずっと心にあったのは、「もっと怒っていいんだよ」というゴジさんの言葉でした。

桐島が実際に革命活動家として連続爆破事件を起こした頃は、「闘争はせねばならないが、一般市民に迷惑はかけたくない」というのが一番の想いだったように感じられます。少なくともこの映画を見るかぎりでは。

でも、後半になって、安倍元首相の談話を見てテレビにものを投げつける桐島や、外国人差別発言を連発する職場の後輩に怒ったりする。そして、車の免許試験を司る国家公安委員会と教習所が癒着しているとか、メタボ検診も国家と医師会の癒着にすぎないと喝破していく。その姿は、私に「もっと怒っていいんだよ」と言っていた長谷川和彦監督のようです。



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ところで、桐島が最期に「桐島です」と白状したのは、やっぱりこの女の人が関係してるんですよね。桐島に告白するシンガー。彼女の持ち歌は河島英五の『時代おくれ』で、桐島はその歌に、いや、その歌を歌う彼女に恋をします。

いまわの際の病院で看護婦に声をかけられて彼女のことを思い出すのだから、彼もまた彼女のことが好きだったのでしょう。しかし、告白されたとき、彼女は彼のことを「内田さん」だと思ってるから「私、内田さんのことが好きかも」という。それに対して桐島は「俺はそんなもんじゃない」という。

「あなたには見合わない男だ」という意味かと思っていたら、「俺は内田じゃなくて桐島なんだ」ということだったんですね。だから最期に本名を名乗った。

ここらへん、たぶん真相は別のところにあるように感じるのですが、映画としてはロマンスがあったほうが面白いので、これでいいと思います。

私が気になってしょうがないのは……


音楽への嫉妬?
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彼女から桐島はギターを教えてもらいます。

『時代おくれ』をそっくり全部歌うシーンが3回あったはずですが、あの有名なサビの部分が桐島の50年間の心情に添いすぎるほど添っていて、雄弁に語ってくれるのですが、しかし、あまりにあの名曲に寄りかかりすぎな感が否めません。

梶原阿貴さんの証言によると、高橋伴明監督からは「初稿は五日で」と言われたらしく、プロになれなかった私にはそれが短いのか長いのかよくわかりませんが、まぁ素人目にはかなり短いな、と思う。だから『時代おくれ』を何度も使うことになったのかもしれません。予算は限られているでしょうから仕方ないのかも。

ここで黒沢清監督の言葉を思い出しました。

「映画は音楽へのあらゆる嫉妬でできている」

音楽のほうが雄弁ということでしょうか。よくわかりませんが、この『「桐島です」』も音楽への嫉妬でできてるのかしらん?


足立正生監督の『逃走』が未見で比較はできませんが、近いうちに見てみたいです。

さて、高市政権への怒りを醸成しましょうか。それが桐島聡への供養になれば。ネトウヨみたいに誹謗中傷することなくね。

「やさしさを組織せよ」


桐島です
高橋惠子








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