ツイッター界隈で絶賛の嵐が吹き荒れている『ネイビーシールズ・ラスト・ソルジャー』。ちょうど地元の名画座でかかっているので見てきました。(以下ネタバレあり)


『ネイビーシールズ/ラスト・ソルジャー』(2023、アメリカ)
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脚本・監督:ジョニー・ストロング&ウィリアム・カウフマン
出演:ジョニー・ストロング、アシーナ・ダーナー


腐ってもアメリカ映画、という言葉がふさわしい映画に久しぶりに出逢いました。以下に感想を綴ります。


ショットの連鎖と音楽
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この映画は前回感想を書いた『真夜中の処刑ゲーム』に似ています。(参照記事⇒『真夜中の処刑ゲーム』感想(もっと音楽を!)

この『ネイビーシールズ/ラスト・ソルジャー』も「ショットの連鎖」がなっちゃいないのです。このアングルで撮ってカットを割るなら次のショットはこっちから撮らないといけないのでは? と思うことが多々あり、一人のアメリカ人兵士と一人のムスリム少女の逃避行としてはそれなりに見れるものの、「活劇」としてはどうだろうか? と思うことしきりでした。

で、『真夜中の処刑ゲーム』では「もっと音楽をバンバン入れてごまかせばいいのでは?」と提言しましたが、この映画は音楽をバンバン入れてるんですよね。そのぶんごまかせてはいるのはとてもいいと思います。でも、ごまかしきれてない。

しかしながら、この映画の最大の問題はそこではなく、伏線とその回収にあると私は見ます。


伏線と回収の時間的距離
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この映画の第三幕は、たった一人で戦っていたアメリカ軍兵士が、作戦本部に連絡して「355地点に救援部隊を送ってほしい」と連絡するところから始まります。で、20~30分後、主人公の兵士は足か腰か尻かそこらへんを刺され、唯一の仲間の女の子にも「一人で逃げろ」というなど捨て身になるのですが、女の子も必死に彼を助ける。そんなこんなで大団円を迎えるんですが、もう少しで殺されるというときに救援部隊が来て助かるんですね。

でも、これは読めてました。確かに「355地点に救援部隊を送ってほしい」という伏線は回収されました。しかし回収されればいいというものではない。

伏線を張ったシーンと回収のシーンが時間的にあまり離れていないのです。20分や30分では伏線の情報を憶えているから読めてしまうのです。

蓮實重彦がジェームズ・キャグニー主演『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』について、キャグニーが階段を上がってきて軽くタップを踊る。そのあと部屋に入って昔語りをする。それが終わって部屋を出たキャグニーはまたタップを踊る、それが素晴らしいというんですね。

物語的な伏線ではないけど、最初のタップが次のタップの伏線になっていて、ちょうどそれが忘れた頃に回収されるから泣いてしまう。みたいなことを言ってました。

『ネイビーシールズ/ラスト・ソルジャー』でも、救援部隊が実際にやってくるクライマックスと、その前段としての伏線「355地点に~~」をもっと離す必要があると思います。

 離すことができなければ、伏線と回収の間のエピソードをもっと潤沢で充実したものにするとか、ショットの連鎖を素晴らしいものにして観客に伏線のことなんか忘れさせるとか、せねばならない。

だから結局は「ショットの連鎖」がなっちゃいない、というところへ戻ってくるのですが、この『ネイビーシールズ/ラスト・ソルジャー』、非常に惜しい映画でありました。

腐ってもアメリカ映画。愉しみましたよ。




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