『真夜中の処刑ゲーム』(1982、カナダ)
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脚本:ポール・ドノヴァン
監督:ポール・ドノヴァン&マウラ・オコンネル
出演:トム・ナディーニ、ブレンダ・バジネット、ダリル・ハネイ、ダグ・レノックス、ジャック・ブラム


劇場未公開、過去に日曜洋画劇場で一度きり放送されただけで、あとはDVD発売。何とあの『要塞警察』との2本立てDVDも出たことがあるとか。「籠城映画2本立て」ですって。

でも確かにこれは「籠城映画」の良作ですね。『要塞警察』には遠く及ばないけど。

カナダのある街で警察がストライキに入る。無法地帯と化した街で、ある連中がゲイや障碍者を粛正する自警団「ニューオーダー=新秩序」を結成し、ゲイバーで殺人など好き放題する。そこから一人逃れた若者が着いた一軒家で、一般市民たちが限られた武器や資源を元手に自警団と殺しあいを演じるという、まことに映画の王道を行く娯楽作品なわけです。


ショットの連鎖
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私がこの映画を『要塞警察」には遠く及ばないと評する根拠、ひとつ目は、蓮實重彦がいうところの「ショットの連鎖」「画面の連鎖」がなっちゃいない、ということです。

撃つ者と撃たれる者の位置関係や距離感がまったくわからない。これはクライマックスに近くなるほど色濃くなっていきます。蓮實が見たら「馬鹿が取った映画」とでも評するのでしょうが、私は脚本家側の人間なのでそこまでは言いません。

画面の連鎖が少しもスムーズでなく、画面が意味するところのみ、つまり「物語の意味」だけで映画が進行していくという、ちょっと「あれ?」とつぶやいてしまいそうになる映画なのです。紙芝居じゃなくて映画なんだからもっと撮りようがあるだろうに。

しかし他にも問題があります。



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問題点ふたつ目。

これは自警団の首領ですが、この俳優だけとてもいい顔をしていますが、他の俳優たちは自警団のほうも一般市民のほうも、あまりいい顔を揃えてくれていないのです。

蓮實重彦が『ミリオンダラー・ベイビー』を評して、イーストウッドが冒頭でセコンドを務めていた黒人ボクサーの顔が少しもいい顔じゃなかったと、それだけの理由でベストテンから排除したのは有名な話です。

ただ、一番大きい問題は次に掲げるものです。


音楽
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1990年の年末のことです。映画評論家5人と映画監督5人の総勢10人がその年の映画を語り明かす深夜番組がありました。(阪本順治監督のベストが『てなもんやコネクション』で、それを撮った山本政志監督のベストが『悲情城市』と『地下の民』だったのはよく憶えてる)

そのときに角川映画『天と地と』の話になったとき、「なぜあの映画はあんなにつまらないのか」と議論になりました。いろんな意見が出るなか、いまは亡き大森一樹監督がこう言いました。

「僕は結構楽しんで見たんですよ。ストーリーはつまらないけど、クレーンとかものすごい高くまでグアーッと上がるし、日本にこんなカメラマンがいたんかいなと感激しまして。でもやっぱりつまらない。僕はその理由は音楽じゃないかと思いましたね。もっとハリウッド映画みたいに音楽をバンバン入れてたらそれなりの映画になったんじゃないかと」

確かに、この番組の時点では未来の映画ですが、1991年の『ターミネーター2』や翌年の『氷の微笑』では音楽がバンバン入ってました。うるさいぐらいに。

この『真夜中の処刑ゲーム』でも音楽をバンバン入れてたらもっとましに見えたような気がします。音楽、ほとんどなかったですよね。(作曲家が二人もクレジットされてるのに)

音楽なしで緊迫感を出したい、それはわかる。でも、それならちゃんとショットの連鎖をやってもらいたい。それができないのなら音楽でごまかすというのはひとつの手だったように思います。

でも面白かったです。だからよけいに残念です。


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