『ミリオンダラー・ベイビー』(2004、アメリカ)

原作:F・X・トゥール
脚本:ポール・ハギス
監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン、アンソニー・マッキー
泣く子も黙る大傑作を見直しました。またさめざめと泣いてしまいました。そして新しい発見もありました。(以下ネタバレあり)
語られない過去

主役二人が「ボクシング」を人生の仕事として選んだ理由や動機は何ひとつ語られませんね。
イーストウッドはイエーツなんかを読むインテリなんだから他の仕事に就けたかもしれないのにボクシングを選んだ。その理由は語られないし、ヒラリー・スワンクも盟友モーガン・フリーマンも訊きません。
ヒラリー・スワンクのそれも語られませんし、イーストウッドも訊きません。
「13歳からウエイトレスの仕事をして~」と言ってましたが、後半になって登場するあのひどい家族を見れば、実家からすぐ脱出したかったのでしょう。でも母親への愛情はあるよう。結構複雑な事情があるようですが、詳しくは語られません。金のことばかり言う母親に「母さんは変わったわ」というだけ。13歳からウエイトレスとして働いた背景はよくわかるのですが、なぜ彼女がボクシングを選んだのか、ボクシングでなければならなかったのかについては一切の説明が省かれています。
「顔」としての過去

イーストウッドには娘がいて、かなりの子不幸を働いたらしく、毎週一通の手紙を書いていますが、そのすべてが「受取人拒否」のスタンプとともに送り返されてくる。
現在の娘は登場しません。それどころか過去の娘も登場しません。ヒラリー・スワンクの過去の母親が出てこないのと同様、この映画には「回想シーン」がありません。
イーストウッドの娘の「顔」はまったくわかりませんが、どんな表情をしているかは床に置かれた手紙を見ればだいたいわかります。イーストウッドの渋そうな顔とカットバックされる手紙に浮かぶのは、相手を強く拒絶する表情です。その「顔」が、イーストウッドとその娘の過去をある程度知らせてくれます。
が、すべてを知ることはできません。何となく、こんなことがあったんじゃないか、と想像するのみです。
そして、イーストウッドが愛娘への気持ちをヒラリー・スワンクに託していることは明白です。
モ・クシュラ

イーストウッドがヒラリー・スワンクに与えたリングネームは「モ・クシュラ」でした。ゲール語で「愛しい人、あなたは私の血」という意味であることが最後に明かされますが、どう見ても、イーストウッドが一人の女性としてヒラリー・スワンクを愛していたようには見えない。一人のボクサーとしてはかなり入れ込んでましたが。
彼は愛娘への愛情をヒラリー・スワンクに注いでいる。だから、彼女を安楽死させることは、実の娘を殺すことに等しい。それでイーストウッドは神父(牧師?)に泣きついたりする。
結局、イーストウッドはヒラリー・スワンクを殺します。それは彼女を「生かす」唯一の方法だとの判断でしょう。その是非は問いません。
大事なのは、愛娘との記憶をすべてヒラリー・スワンクに仮託している、ということです。
ヒラリー・スワンクがなぜボクサーを目指したのか、何の説明もないのは、イーストウッドの目にヒラリー・スワンクは愛娘にしか見えていないからです。ヒラリー・スワンクの過去は娘の過去。だから「なぜボクシングを?」とは問わない。
ヒラリー・スワンクの父親
ヒラリー・スワンクには父親の影がしません。幼いころに両親が離婚したのかどうか定かではないですが、彼女がイーストウッドを「父親」と見ていることは明白です。
そして、彼女がイーストウッドに「なぜボクシングを?」と訊かないのは、実の父親がボクサーだったからではないか。ボクシングを始めたのも、大好きなお父さんの職業だったからではないか。仮にそうとして、ヒラリー・スワンクもまた実父のすべてをイーストウッドに託しているなら、当然、イーストウッドに「なぜボクシングを?」とは問うはずがありませんよね。
二人の過去がぼやけているのは、回想シーンがまったくないのは、ヒラリー・スワンクの父親がボクサーであり、そのうえで二人が「疑似親子」だからではないか、というのが、今回新たに気づいたことであり、当面の仮説です。

原作:F・X・トゥール
脚本:ポール・ハギス
監督:クリント・イーストウッド
出演:クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン、アンソニー・マッキー
泣く子も黙る大傑作を見直しました。またさめざめと泣いてしまいました。そして新しい発見もありました。(以下ネタバレあり)
語られない過去

主役二人が「ボクシング」を人生の仕事として選んだ理由や動機は何ひとつ語られませんね。
イーストウッドはイエーツなんかを読むインテリなんだから他の仕事に就けたかもしれないのにボクシングを選んだ。その理由は語られないし、ヒラリー・スワンクも盟友モーガン・フリーマンも訊きません。
ヒラリー・スワンクのそれも語られませんし、イーストウッドも訊きません。
「13歳からウエイトレスの仕事をして~」と言ってましたが、後半になって登場するあのひどい家族を見れば、実家からすぐ脱出したかったのでしょう。でも母親への愛情はあるよう。結構複雑な事情があるようですが、詳しくは語られません。金のことばかり言う母親に「母さんは変わったわ」というだけ。13歳からウエイトレスとして働いた背景はよくわかるのですが、なぜ彼女がボクシングを選んだのか、ボクシングでなければならなかったのかについては一切の説明が省かれています。
「顔」としての過去

イーストウッドには娘がいて、かなりの子不幸を働いたらしく、毎週一通の手紙を書いていますが、そのすべてが「受取人拒否」のスタンプとともに送り返されてくる。
現在の娘は登場しません。それどころか過去の娘も登場しません。ヒラリー・スワンクの過去の母親が出てこないのと同様、この映画には「回想シーン」がありません。
イーストウッドの娘の「顔」はまったくわかりませんが、どんな表情をしているかは床に置かれた手紙を見ればだいたいわかります。イーストウッドの渋そうな顔とカットバックされる手紙に浮かぶのは、相手を強く拒絶する表情です。その「顔」が、イーストウッドとその娘の過去をある程度知らせてくれます。
が、すべてを知ることはできません。何となく、こんなことがあったんじゃないか、と想像するのみです。
そして、イーストウッドが愛娘への気持ちをヒラリー・スワンクに託していることは明白です。
モ・クシュラ

イーストウッドがヒラリー・スワンクに与えたリングネームは「モ・クシュラ」でした。ゲール語で「愛しい人、あなたは私の血」という意味であることが最後に明かされますが、どう見ても、イーストウッドが一人の女性としてヒラリー・スワンクを愛していたようには見えない。一人のボクサーとしてはかなり入れ込んでましたが。
彼は愛娘への愛情をヒラリー・スワンクに注いでいる。だから、彼女を安楽死させることは、実の娘を殺すことに等しい。それでイーストウッドは神父(牧師?)に泣きついたりする。
結局、イーストウッドはヒラリー・スワンクを殺します。それは彼女を「生かす」唯一の方法だとの判断でしょう。その是非は問いません。
大事なのは、愛娘との記憶をすべてヒラリー・スワンクに仮託している、ということです。
ヒラリー・スワンクがなぜボクサーを目指したのか、何の説明もないのは、イーストウッドの目にヒラリー・スワンクは愛娘にしか見えていないからです。ヒラリー・スワンクの過去は娘の過去。だから「なぜボクシングを?」とは問わない。
ヒラリー・スワンクの父親
ヒラリー・スワンクには父親の影がしません。幼いころに両親が離婚したのかどうか定かではないですが、彼女がイーストウッドを「父親」と見ていることは明白です。
そして、彼女がイーストウッドに「なぜボクシングを?」と訊かないのは、実の父親がボクサーだったからではないか。ボクシングを始めたのも、大好きなお父さんの職業だったからではないか。仮にそうとして、ヒラリー・スワンクもまた実父のすべてをイーストウッドに託しているなら、当然、イーストウッドに「なぜボクシングを?」とは問うはずがありませんよね。
二人の過去がぼやけているのは、回想シーンがまったくないのは、ヒラリー・スワンクの父親がボクサーであり、そのうえで二人が「疑似親子」だからではないか、というのが、今回新たに気づいたことであり、当面の仮説です。

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