
毎日新聞の日曜コラム「松尾貴史のちょっと違和感」は、世の中で当然とされていることに疑義を呈する内容で、毎週楽しみに読んで膝を打っているけれど、今週はこちらのほうがちょっと違和感を覚えた。
近頃の政治家がよく使う、いわゆる「一丁目一番地」を題材に松尾の主張は展開する。
①一丁目一番地がなぜ「最優先課題」「最重要課題」を示すようになったのか。なぜ二丁目や三丁目より優先されるのか。
②二丁目、三丁目に住んでいる人間は「面白くない」と感じているのではないか。
③菅直人が民主党の代表選に出たいと意思表明したとき、国民新党の集会で「100丁目100番地までともに活動できる関係にしたい」といったが、そんな番地は聞いたことがない。
順にみていきましょう。
①はまぁ当然じゃないのかしら。三より二、二より一が優先的な意味合いがあるのは、日本人なら当然のところでしょう。
なぜ「住所」(空間的位置)で示すのか、というのはありますがね。「一月一日」とか、時間で示すこともできるだろうし、同じ時間でも「時間的位置」を示すのではなく、できるだけ速く解決するという意味で男子100メートル世界記録から「9秒58」と言ってみたり。「物価高は9秒58より速く解決してみせます」みたいな。あ、でも、スピード感なる曖昧な言葉が政治家は好きだから、これなないかな。
さて、なぜ「空間的位置」で示すのか、みたいな疑問ならわかるけど、「住所」で示すことには疑義を唱えず、二より一が優先的なのはおかしいというのは、そのほうがおかしいのではないかしらん。
②については噴飯物。私は5丁目に住んでいるけど、別に5より少ない丁目に住んでいる人を羨んだことは一度もない。たぶん世界中の人がそうなんじゃないか。
③一丁目一番地というのは、先にも言った通り、住所で示している時点で「比喩」ですよね。だから「100丁目100番地」も当然比喩でしょう。どこまでもすべての政策で協力したいね、という意思表示じゃないの?
というわけで、いつもなるほどと呼んでいるコラムに疑義を呈した日記でした。


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