よく映画を語る人が言いたがる言葉があります。それは、

「映画においては、物語は重要じゃない。『緋牡丹博徒 お竜参上』の傘とか、そういう細部こそが重要」

その理由として、「細部は映画を見てからだいぶたっても憶えているけど、物語は憶えてないから」と言うんですね。

こういう物言いを読むと、私はめちゃくちゃ腹が立つなのです。

確かに、物語は忘れる傾向が強い。細部はまだしも憶えている。それはその通り。でも、だからといって「憶えているほうが重要」とは必ずしもならないんじゃないか。

かつて映画の専門学校へ行っていたとき、脚本の講師がこんなことを言いました。

「ラストシーンとファーストシーンのどちらが重要か。どちらも重要だけど、あえて言うならファーストシーンだ。ファーストシーンで観客の喉元に喰らいついて離さない。観客に「この次はどうなるんだろう?」と興味をもってもらうためには魅力的なファーストシーンが必要だ」

これを聞いた友人はこう言っていました。

「でも、ファーストシーンって憶えてないじゃないか。ラストシーンなら憶えてる。俺はラストシーンのほうが重要だと思う」

浅はかですね。百戦錬磨の脚本家が言っているのに。それに、やはり「憶えているから重要だ」というのは、論理の筋道が通っていません。


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思うに、「物語より細部」と言っている人たち(蓮實重彦に影響を受けた表層批評家たち)は、俺たちは「物語にばかり目が行く一般の観客より偉いんだぜ」と偉ぶってるだけのような気がしますね。ジョー・ペシならぶちのめすところです。

最後に↓この記事↓を掲載して筆を擱きます。

黒沢清の言葉(物語を読むことについて)



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