英国ダガー賞を受賞した王谷晶さんの『ババヤガの夜』、読みました。が、つまらなくて萎えました。(以下ネタバレあり)


『ババヤガの夜』(王谷晶、2023)
9784309029191 (1)


キャラクター
やくざな女がやくざたちと殺し合う羽目になり、ボディガードを務める18歳の少女と逃避行する……という、シスターフッド・バイオレンスという触れ込みの、何といってもダガー賞受賞作というありがたいお墨付きがついた本作。

が、私は面白いと思えなかった。

『成瀬は天下を取りにいく』『成瀬は信じた道をいく』の二冊のいわゆる「成瀬もの」で有名になった、宮島未奈さんも三作目の『婚活マエストロ』で馬脚を現してしまったが(四作目の『それいけ! 平安部』は未読)それでも「成瀬もの」二作は尋常じゃない面白さだった。

何といっても主人公・成瀬あかりの造形に独自のものがあり、「キャラクター小説」の極みと言っていい大傑作だったように思う。

翻って『ババヤガの夜』を読んでみると、うーん、やっぱり成瀬ほどのキャラクター小説にすべきとは思わないけど、もうちょっと親しめる人物造形を施してほしかった、というのが偽らざる正直な気持ち。

やくざと殺し合っても何をしても、「危ない!」とか「もっとやれ!」とかそういう気持ちがいっこうに湧いてこないのです。


三人称? 一人称?
あと、この小説は基本的に三人称小説だけど、一人称の文体がかなり混じってますよね。

「脂っこく味の濃い料理を全て胃におさめ、水を飲んで一息つく。やっと気分が落ち着いた。腹が減っているとだめだ。ただでさえ面倒なことを考えるのに向いていない頭が、余計に回らなくなる」(45ページ)

これなどは、一段落すべて一人称ですよね。英語に翻訳された際には、主語は「I」だったのか、それとも「Shindou」だったのか。気になります。

「新藤は尚子を手招きし路地を進んだ。車はキーをつけたままだ。あとはこの辺りの悪餓鬼が盗んで乗り回し、適当に内樹會の捜索隊を攪乱してくれるだろう。でもそれも長くはごまかせない」(167ページ)

この地の文は、三人称でスタートしたのに、いつの間にやら一人称になり、最後には完全に主人公の胸の内の声で終わります。

「しかし今、振動の全身は震えていた。喜びに。四十年ぶりの暴力に。生きていてよかったと、自分を殺しに来た男の目を見て心から言える。ここで逃げ切っても、最後の死合いになっても、残りの人生ーー何年あるか分からないが、死ぬまで力を奮うことになるだろう。尚子と一緒に。帰ってきた。ここに、帰ってきた」(184ページ)

これも最初の例と同じく、すべて一人称です。

ここまで主人公の胸の内を描くことで物語を進めていくなら、完全な一人称小説として書いたらよかったのに、と思う。

私は、この『ババヤガの夜』は、題材や内容からいっても、三人称より一人称のほうが合っていると思います。ジム・トンプスンみたいな感じ。作者もそう思ったから、三人称小説を規定としながらも、一人称の文体をたくさん紛れ込ませないといけなかったのではないか。

私はまだ小説は3本しか書いていないが、一人称で書くべきか三人称で書くべきかは大いに迷うところ。

何かの本で読んだのだけど、新人作家は処女作を書くにあたって、一人称か三人称かに3年くらい悩んだほうが、長い目で見れば早く大成できるのだとか。

だからこそ、一人称でいく! と決めてかかれなかったこの『ババヤガの夜』は何とも残念な小説でした。


人称代名詞 (講談社文芸文庫)
野坂昭如
講談社
2013-11-29



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