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例えば、ちょっと前に見に行ったタイムリープ映画『リライト』について、ある映画ジャーナリストが主役の池田エライザに「松田大悟監督の演出はいかがでしたか?」と質問した。池田エライザの答えは、「とても繊細でした」。

これはこれでいいと思うんですよ。実際に監督の演出を受けた役者が、その演出がどうだったかを語るのは理にかなっている。

しかし、映画評論家とか一般の映画ファンとかが(当然、私も含まれる)「演出がとても繊細で~~」というのは違うと思うんですよね。いったい何をもって「演出が繊細」と言ってるのか皆目わからない。映像演出のことかと思えば、そうでもないらしいからよけいわからなくなる。

つまるところ、その映画をほめたいけどうまい言葉が見つからないときに「演出がよい」「繊細な演出が素晴らしい」みたいな使い方をするらしい。実に便利な言葉だ。

「演出」というのは本当は「演技指導」のことなんですけどね。だから中華圏では演出のことを「導演」という。映像演出のことを「演出」と言っても間違いじゃないけど(実際、私もそういう意味で使っているときがあると思われる)それでも「繊細な演出」とは具体的に何を指すのかがさっぱりわからない。

演出とは監督が担当している分野であって、映画作りのことをあまり知らない人は監督がすべてを仕切っていると思われるときがある。


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芸人の有吉弘行。私はこの芸人の何がそこまで面白いのかさっぱりわからないのだけど、それはさておき、ある番組でこの人物が、こんなことを言っていたのは聞き捨てならない。

「ある映画を見に行って、めちゃ面白くって、最後どうなるのかと思ったらがっかり拍子抜けで、おい監督、何とかしろやって」

結末をどうするかは監督ではなく脚本家の仕事ではないか。そりゃ監督だってホンづくりには参加するんだろうけど、どっちかというとプロデューサーでしょう。プロデューサーと脚本家。

有吉は、監督が物語もセリフもすべてを作っていると勘違いしているようだが、世の人々もそのような間違いはしているようで。

だって私なんか脚本家志望者だったころ、飲み会とかでそういう話になったら、決まって「セリフも書くんですか? セリフって役者が考えるものなんじゃないんですか?」と言われたりした。

役者がセリフを考えるのであれば、あんなにいろんなトーク番組でいろんな役者が「セリフを憶えるのが大変で」なんて言葉が出てくるわけがないではないか。

何だか話の方向がそれてきたが、演出という言葉を正確に使った映画評論家が一人だけいます。蓮實重彦です。

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ホウ・シャオシェンの『悲情城市』で、台北から逃げた学校の教師が山奥で青空学校を開いていて、そこに主人公のトニー・レオンが訪ねてくるシーンがありました。

教師役の役者は、トニー・レオンの姿を一瞬捉えるがまた黒板に目を戻し、ほんのちょっとの躊躇の末にもう一度トニー・レオンを見て抱擁するというシーンでした。

「あの一瞬の躊躇を演出しうるホウ・シャオシェンはただ者ではない」

と蓮實は言っていましたが、あれは本当にそうですよね。憶えてない人はもう一度見てみてください。あの一瞬の躊躇はあの名もない役者一人の発想では無理です。監督の演技指導があったと見たほうが正確です。

蓮實は最近、『ショットとは何か』とかいう本などを出してますが、どう撮るかに対する言及と、何を撮るかへの言及とのバランスがとてもいいと思います。何を撮るかの「何」とは、役者の芝居です。

しかし、これは例外中の例外であり、映画評論家が「演出」という言葉を使ったら、「この人はその映画をちゃんと見ていない」あるいは「あー面白かった」で終わっている、つまり、一般の映画ファンに毛が生えただけの人と思って間違いありません。

ほめ方というのは自分で見つけ出すものだからです。


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高捷
紀伊國屋書店
2014-06-28


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