ちょっと前にNHKオンデマンドに入りまして、新旧いろんなドラマを見ています。(以下いろんな映画のネタバレあり)

ちょっと前に見たのが、原田泰造主演の『全力失踪』と、鈴木京香主演の『だから荒野』。この二本はとても似ています。似てるといっても第1話が、ですがね。1話でリタイアしたので。


『全力失踪』
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『だから荒野』の原田泰造は、小さな会社の契約社員でボーナスもなく、妻子からは軽蔑され、闇金からは取り立てを受けている。そんな自分に嫌気が差し、謎の女から7年失踪したら行旅死亡人として扱われ、新しい人生を手に入れられると勧められてその通りに失踪するまでが第1話で描かれます。


『だから荒野』
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『だから荒野』の鈴木京香は、亭主からは家政婦扱いされ、息子からは邪魔者扱いを受け、誕生日も満足に祝ってもらえなくてついにキレて失踪する。

現状に我慢がならない。だから逃げる。現実ならそれはそれでいいと思います。何からも逃げてない人間なんているわけないし。

でも、フィクションにおいて、そういうふうに対立葛藤のドラマを作るのって安易じゃないでしょうか。ここで思い出されるのが、1997年の森田芳光監督の映画『失楽園』です。


『失楽園』
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この映画でも事情は一緒です。役所広司は妻に我慢がならず、黒木瞳は夫に我慢がならない。どちらも配偶者から逃げて心中へと向かう。

別にそれがだめだと言ってるわけじゃないんです。ただ、安易じゃないかと言っているだけです。

『失楽園』の対極にあるこの世の不倫映画最高傑作と私が思っているのが、1945年のデビッド・リーン監督『逢びき』です。


『逢びき』
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この映画では、不倫していた男女が最終的に別れるんですが、好きな男と別れた妻を見て、その夫が、

「君はずいぶんと遠くへ行っていたね」

と言って慰めるんです。そうです。夫はとてもいい人だった。夫がいやな人だから逃げたんじゃなかった。いい人だけど、それ以上に不倫相手のことが好きだった。それなら不倫に逃げてもよくわかるうえに、対立葛藤のドラマとしても高度ですよね。低きに流れるんじゃなくて高きに上るわけですから。

『全力失踪』や『だから荒野』も、だから、現状が我慢ならないと主人公を追いつめるじゃなくて、周りをもっといい人にすればどうだったでしょうか。

じゃあなぜ逃げる?

逃げるんじゃなくて、ただ蒸発するというだけでいいんじゃないでしょうか。

いまは「失踪」という言葉を使いますが、かつては「蒸発」という言葉が好んで用いられました。用いられなくなった理由はよく知らないけれど、いずれにしても、自らの意志でいなくなる「失踪」より、なぜだかよくわからないけど自然といなくなる「蒸発」がいいと思います。

朝起きて、顔を洗って、飯を食う。妻は笑顔で子どもも元気。何の不満もない。だが、靴を履いて会社に向おうとして、まったく別のところへ行ってしまう。なぜか、わからないけどわかるような気もする。幸せであるがゆえに別の人生を求める気持ち。

何かの映画か小説であったような冒頭ですが、それなら「なぜのドラマ」を実現できるような気がするのです。

「なぜのドラマ」とは、『表現の世界』『映像の発見』で有名な松本俊夫監督の造語です。松本さんはこう言います。

「現代の映画は、『どう』のドラマから、『なぜ』のドラマへと移りつつあるのだ」

「どうのドラマ」は、まさに『全力失踪』『だから荒野』のことですよね。いかにして主人公を失踪へ向かわせるか、という「技術」のドラマです。

一方、私が例に出した「不条理劇」だと、主人公が「なぜ」失踪したかを考察するドラマになりうる。その「なぜ」が結局わからなくてもいい。わからなくてもわかる気がすればいい。

技術的な手練手管じゃなくて、作り手の「人生」が滲み出てしまうようなドラマ。(『逢びき』はその手の映画のような気がします)

そういう作品をもっともっと見てみたいと切に望みます。

 
逢びき(字幕版)
スタンリー・ホロウェイ
2024-07-12







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