戸籍の名前にフリガナをつけることになったというのはもう結構前の話ですが、もうすぐフリガナの通知書が来て、間違いが記載されていれば訂正して送り直すそうです。


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日本人すべての戸籍にフリガナを記載するとなるとかなり大掛かりなことになりそうですが、いまそれは措きます。

この記事のテーマは「名前は誰のものか」です。

いつだったか、派遣会社の紹介である会社の面接を受けたところ、もうあとは挨拶して辞去するだけ、という段階になったときに、先方が「あなたの名前は何というんですか?」と訊いてきたので仰天したことがあります。

誰かと知り合ったとき、まず最初に知りたいのは名前ですよね?
履歴書にも最初の一番大きな欄に名前を書きます。(その会社は派遣会社から履歴書を受け取ってはいなかったとのこと。名前のないスキルシートだけもらっていたとか)

その人の個人情報の一番根幹をなすのが名前です。それを知らずに目の前の人間を面接していたことに仰天したのでしたが、その是非はいまは措きます。

名前は誰のものでしょうか。

そりゃもちろん、その人のもの。

という答えが支配的なんでしょうけど、私は違うと思います。

かつて電話帳があったとき、電話番号はその人のものではなく、その人以外のものでした。だってそうですよね。その人以外がその人に連絡するわけだから、当人以外の人のものです。それはメールアドレスでも、LINEのIDでも、同じことです。

すべての個人情報はその人以外の人のものだと思います。名前も。

それじゃあ、特殊詐欺とかで詐欺師に情報が駄々洩れになってもいいのか! とお叱りを受けるかもですが、そうなんですよ。いまはすべての個人情報はその人以外の人のものとしてしまうと、不都合が生じてしまう。だから名前も住所も電話番号もメールアドレスもその人のものとしている。

でも、それは悪人が跋扈しているから便宜的にそういうことにしているだけの話で、本質的には「個人情報はその人以外の人のもの」だと思うんです。だって、そうじゃなかったら、どうやってその人にアクセスするんですか?


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名前も同じことで、その人のものではなく、その人以外の人(親兄弟に友人、教師、近所の人など)がその人に用があるとき、その人をこちらに振り返らせたいときに使うものです。

だから、すごく凡庸な結論になって申し訳ないけど、フリガナが必要なキラキラネームはやっぱり名前というものの本質から外れた、どうしようもないものだと思うんですよね。

「黄熊」と書いて「プウ」
「皇帝」と書いて「シーザー」
「苺苺苺」と書いて「アキラ」
「九」と書いて「センターフォワード」

こんなのは、どうあがいても読めない。読みようがない。

名前を子どものものだと思うから「とっても個性的にしてあげなくては」と上記のような名前を付けてしまう。

名前はこの子以外の人がこの子を呼ぶときのものだという当たり前の感覚さえもっていれば、上記のような名前は絶対つけない。

詐欺師全盛のこの時代には難しいですが、個人情報はその人以外のためのもの、という認識は常にこっそりもっていたいものです。




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