山本政志監督による2006年作品『聴かれた女』を18年ぶりに見直しました。懐かしい。やはり傑作と思いましたね。(以下ネタバレあり)
『聴かれた女』(2006、日本)

脚本・監督:山本政志
出演:大野慶太、蒼井そら、加藤裕人、山本政志、小田敬、西野翔、吉岡睦雄
どちらも変態
主人公リョウが引っ越してきたマンションは壁が薄く、隣の若い女の喘ぎ声などが響いてくる。リョウはマイクを仕掛けて盗聴し、隣の女(サツキ=蒼井優好演!)が彼氏のユウタに抱かれるあられもない姿を妄想して快楽を得ている。
ここまでだと盗聴者の主人公リョウが変態の犯罪者で殲滅すべき敵のように見えます。が、事態は驚くべき転回を見せます。

何だかんだで自室でサツキと食事する仲になった主人公リョウは、サツキの部屋にカメラを仕掛ける盗撮者の存在を知ります。そこで盗聴や盗撮を生業をしている男(山本政志監督好演)やヤクザな感じの男を頼って、盗撮者の正体を暴きます。何とそれはサツキの彼氏ユウタでした。
ここでリョウとユウタが同じ目線に並びます。
「盗聴をしてはいるけど、サツキの前では紳士的なリョウ」
「サツキの前では紳士的に振る舞っているけど、彼女の部屋を盗撮しイタ電もかけている変態ユウタ」
「同じ目線」と言いましたが、違いますね。明らかにリョウのほうがいい役、つまり主役にふさわしい役です。
これが「構成」というものです。
リョウははじめは盗聴してサツキのゴミもあさる悪い奴みたいに描かれてましたが、サツキの前ではものすごくフランクで紳士的。翻って敵役のユウタは、最初は紳士的にサツキを抱いたりしてましたが、実は彼女の部屋を覗き見するとんでもない変態だった。
シナリオの構成の基礎では、次のようなことを習います。
「美人だけどいやな人」
「いやだけど美しい人」
明らかに後者のほうに語り手の気持ちが行っていますね。後半にその人が本当に思っていることが出るわけで、『聴かれた女』の主人公リョウと敵役ユウタも同じで、後半だけ見ればリョウは「紳士的な人」、ユウタは「とんでもない変態」となり、どちらも同じ犯罪者ではあるけど、リョウのほうが主役の資格を得、ユウタは敵役でしかなくなるわけです。
なぜ二人は結ばれるのか

逆上したユウタをヤクザさんが取り押さえてくれて時代は丸く収まります。しかしその際、「俺の部屋で隠れてろ!」とリョウに言われたサツキは、その通りにするのですが、そのときに彼の盗聴道具一式を見てしまう(聴いてしまう)。
二人には前日譚があって、ユウタが急に引っ越してよかったと安堵するサツキがリョウにキスして誘うんですが、リョウは「何か今日のサツキはいつもと違うみたいだ」と言って拒否するんです。半泣きになるサツキが何ともかわいいんですが、それはともかく、なぜリョウが抱けなかったかといえば、妄想の中のサツキと現実のサツキが違いすぎるからです。
そういうことがあって、リョウが盗聴者であることを知るんですが、なぜここで彼女は「私のこと盗聴してたのね!」と怒らず、妄想の中の私じゃなくて現実の私を抱いてとばかり、またもリョウに迫るところで終幕になるんでしょう?
なぜ二人は結ばれるのでしょうか?
サツキにとってみれば、リョウは「紳士的だったけど盗聴者だった」じゃないですか。
おそらくですが、サツキにとってみれば「紳士的だったけど盗聴者」ではあるかもしれない。でも、観客からすればやはりリョウは「盗聴者だけど紳士的」なわけで、サツキの視点を重視するのが、黒沢清監督の言う「世界の原理」なんでしょう、きっと。
翻って、「盗聴者だけど紳士的」という観客の視点を大事にするのが「映画の原理」なんじゃないでしょうか。
だって、細部をほとんど忘れていた私も最後はどうなるのかなと思ったらハッピーエンドで、何ら違和感がなかった。あれはやはり、「世界の原理」に対する「映画の原理」の凱歌だったのではないか。
「映画の原理」の勝利の前では、「構成」などという小賢しいものはどこかへ吹き飛んでしまうもののようです。
『聴かれた女』(2006、日本)

脚本・監督:山本政志
出演:大野慶太、蒼井そら、加藤裕人、山本政志、小田敬、西野翔、吉岡睦雄
どちらも変態
主人公リョウが引っ越してきたマンションは壁が薄く、隣の若い女の喘ぎ声などが響いてくる。リョウはマイクを仕掛けて盗聴し、隣の女(サツキ=蒼井優好演!)が彼氏のユウタに抱かれるあられもない姿を妄想して快楽を得ている。
ここまでだと盗聴者の主人公リョウが変態の犯罪者で殲滅すべき敵のように見えます。が、事態は驚くべき転回を見せます。

何だかんだで自室でサツキと食事する仲になった主人公リョウは、サツキの部屋にカメラを仕掛ける盗撮者の存在を知ります。そこで盗聴や盗撮を生業をしている男(山本政志監督好演)やヤクザな感じの男を頼って、盗撮者の正体を暴きます。何とそれはサツキの彼氏ユウタでした。
ここでリョウとユウタが同じ目線に並びます。
「盗聴をしてはいるけど、サツキの前では紳士的なリョウ」
「サツキの前では紳士的に振る舞っているけど、彼女の部屋を盗撮しイタ電もかけている変態ユウタ」
「同じ目線」と言いましたが、違いますね。明らかにリョウのほうがいい役、つまり主役にふさわしい役です。
これが「構成」というものです。
リョウははじめは盗聴してサツキのゴミもあさる悪い奴みたいに描かれてましたが、サツキの前ではものすごくフランクで紳士的。翻って敵役のユウタは、最初は紳士的にサツキを抱いたりしてましたが、実は彼女の部屋を覗き見するとんでもない変態だった。
シナリオの構成の基礎では、次のようなことを習います。
「美人だけどいやな人」
「いやだけど美しい人」
明らかに後者のほうに語り手の気持ちが行っていますね。後半にその人が本当に思っていることが出るわけで、『聴かれた女』の主人公リョウと敵役ユウタも同じで、後半だけ見ればリョウは「紳士的な人」、ユウタは「とんでもない変態」となり、どちらも同じ犯罪者ではあるけど、リョウのほうが主役の資格を得、ユウタは敵役でしかなくなるわけです。
なぜ二人は結ばれるのか

逆上したユウタをヤクザさんが取り押さえてくれて時代は丸く収まります。しかしその際、「俺の部屋で隠れてろ!」とリョウに言われたサツキは、その通りにするのですが、そのときに彼の盗聴道具一式を見てしまう(聴いてしまう)。
二人には前日譚があって、ユウタが急に引っ越してよかったと安堵するサツキがリョウにキスして誘うんですが、リョウは「何か今日のサツキはいつもと違うみたいだ」と言って拒否するんです。半泣きになるサツキが何ともかわいいんですが、それはともかく、なぜリョウが抱けなかったかといえば、妄想の中のサツキと現実のサツキが違いすぎるからです。
そういうことがあって、リョウが盗聴者であることを知るんですが、なぜここで彼女は「私のこと盗聴してたのね!」と怒らず、妄想の中の私じゃなくて現実の私を抱いてとばかり、またもリョウに迫るところで終幕になるんでしょう?
なぜ二人は結ばれるのでしょうか?
サツキにとってみれば、リョウは「紳士的だったけど盗聴者だった」じゃないですか。
おそらくですが、サツキにとってみれば「紳士的だったけど盗聴者」ではあるかもしれない。でも、観客からすればやはりリョウは「盗聴者だけど紳士的」なわけで、サツキの視点を重視するのが、黒沢清監督の言う「世界の原理」なんでしょう、きっと。
翻って、「盗聴者だけど紳士的」という観客の視点を大事にするのが「映画の原理」なんじゃないでしょうか。
だって、細部をほとんど忘れていた私も最後はどうなるのかなと思ったらハッピーエンドで、何ら違和感がなかった。あれはやはり、「世界の原理」に対する「映画の原理」の凱歌だったのではないか。
「映画の原理」の勝利の前では、「構成」などという小賢しいものはどこかへ吹き飛んでしまうもののようです。


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