いつの間にか21年もたっていたんですね。トム・クルーズが悪の殺し屋を演じた『コラテラル』の日本公開から。この映画はクライマックスで白けてしまったんですが、テレビで放送されたので再見してみました。印象は変わりませんでした。(以下ネタバレあり)


『コラテラル』(2004、アメリカ)
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脚本:スチュアート・ビーティー
監督:マイケル・マン
出演:ジェイミー・フォックス、トム・クルーズ、ジェイダ・ピンケット・スミス、マーク・ラファロ、ピーター・バーグ、ハビエル・バルデム


出だしはよい
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しがないタクシー運転手のジェイミー・フォックスが、ある夜に乗せた客が画像の女で、検事をしているという。悩みを聞いたり、楽しく会話をして意気投合する二人。女は降りたあと、名刺をフォックスに渡す。かなり気がある様子。フォックスはまんざらでもない。

で、ここが大きな伏線になるわけです。

次に乗せた客がトム・クルーズで、多額のチップと引き換えに、一晩貸しきりたいという。指示する5か所を回ってほしいと。殺し屋のトムはLAがあまりに広い街だからタクシーを雇ったのですね。

で、結局トムはジェイミー・フォックスに殺されます。いとも簡単に。しかし私が言及したいのはそこではありません。

なぜトムがジェイミー・フォックスを殺さないのかもよくわからない。しかしそこも問題にしたい箇所ではありません。


好きだから助ける?
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何だかんだ、すったもんだの末に、トムは5人目の標的を殺しにいくのですが、その標的が何とあの検事の女なんですね。

ジェイミー・フォックスは惚れた女が殺されてしまう! とばかりに助けに行くのですが、私はやはりここで白けてしまうのです。

好きだから助ける? じゃあ、好きじゃない人間なら助けないの?

そりゃ知り合いじゃないなら助けに行きようがない。あの女検事は名刺をもらってるから助けに行ける。電話もかけられる。


ヒーロー=主役=ジェイミー・フォックス
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この映画の主役はトム・クルーズではなくジェイミー・フォックスです。非力なタクシードライバーが剛腕の殺し屋を成敗する物語。トム・クルーズはただの悪役です。

つまり、トムはアンチヒーロー。彼を成敗するのだから、ジェイミー・フォックスは「ヒーロー」です。

比較神話学では「ヒーロー」は問題を解決する人としか説いてませんが(うろおぼえ)やはり、ヒーローには「資格」が必要だと思います。

好きだから助けるのでは「ヒーロー」の資格が足りないのではないでしょうか。あの女検事が嫌味な下衆野郎だとしても、それでも助けに行くというのでなければならないのでは? そうすれば「下衆を助ける意味とは」を自らに問うたり、「命の重さ」に軽重があるのかと問うたりする内面の葛藤も描けたはずです。

少なくとも、トムが女のもとへ走る直前、ジェイミー・フォックスはトムに「俺を殺せよ」と自棄になって暴走しますよね。で、事故る。警察が来る。そこで最後の標的が誰かわかったら、下衆だろうと見ず知らずの人間だろうと、あのトムがもっていたファイルを警察官に渡すぐらいのことはすべきでしょう。

確かにあの警察官が行ったところで簡単にトムに殺されるだけです。しかし、では、なぜジェイミー・フォックスはトムに勝てるんでしょうか? 主役だから? それでは何の説明にもなっていない。

好きな女だから警察官から拳銃を奪い助けに行く。その気持ちはわかるけど、だけどやっぱり、好きな人だから助けるでほんとにいいの? と。好きじゃない人なら助けないってことになっちゃうじゃないですか。

だからこの映画の主役ジェイミー・フォックスは「ヒーロー」の資格も「主役」の資格もあらかじめ奪われているんだと思います。だから乗れない。

あんなに自棄になっていたのに、あの女検事が最後の標的だとわかった途端、顔色変えてヒーロー然としますが、そんなのぜんぜんヒーローじゃない!

というわけで、21年もたつのに感想がまったく変わらない珍しい例でした。(蛇足ながら、マーク・ラファロやハビエル・バルデム、ジェイソン・ステイサムが出てたなんてまったく忘れてました)


 
神話の力
ジョーゼフ キャンベル&ビル モイヤーズ
早川書房
2014-07-28


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