
もう10日ほど前になりますが、母と喧嘩しました。で、母を刺し殺す場面を夢想するようになりました。
喧嘩のきっかけはたわいもないものなので、わざわざ書きません。私が正しいのだけど、仮に母が正しくても、視察場面を夢想するという事態は一緒でしょう。
口喧嘩になった一件においても、これまでの人生においても、母は(死んだ父も)私のことを「飼い犬」だと思っている節が多々あります。これにもう我慢ならない。
いったいどういうエピソードがきっかけで飼い犬と思われてると感じているのか、考えてみました。すぐに思い出されたのは次のようなものです。
13年前にわたしはある官公庁で働いていたのですが、両親が沖縄旅行へ行くという。それはいいのだけど、当時は犬がいて、誰かが世話をしてやらねばならない。そこで両親は「おまえが有休をとれ」と言ったのです。
ちょっと待ってほしい。有休というのは私の権利であって、あなたたちの権利ではない。
と抗弁したけれど、「食べさせてもらっていてその言い草は何か」「給料が出るからいいじゃないか」と押し切られ、あぁこの人たちには何を言っても無駄なんだな、とあきらめてしまいました。
息子の権利を自分たちの権利と勘違いするというのは、息子を飼い犬だと勘違いしているということです。
私は頭を冷やすために外へ出て、安い喫茶店でLINEを打ちました。
「あなたは僕のことを飼い犬としか思っていないのです。だから自分の非を認めることができない」と。
「飼い犬だなんて思ってない。そんなこと言うなら別々に暮らすのもありだね」と想定通りの返事がきました。
私は何も母と暮らしたくてこの家に越してきたのではありません。一人暮らしをしていたけど、金がなく職もなく、当時は医者から仕事しちゃダメと言われていたので、背に腹は代えられず帰らしてもらったのです。そのときと状況は変わらないのだから、一人暮らしなんかできるわけがない。できるわけがないことを勧めて脅しているのです。あれは脅し文句です。

あれから10日間、母を刺し殺す場面を夢想しない日はありません。裁判でも「反省してますか」と問われ、「反省なんかしていません。殺すべき人間を殺しただけです」と答える場面も妄想しています。
それもはっきりくっきりしたシーンとして。これはもはや妄想とかではなく、幻覚なのではないか。
とにかく台所で刃物を見るのが恐い。ほんとにやってしまいそうで恐い。
先週、精神科で主治医に吐き出したところ、少し楽になったので(薬の効果もあると思うけど)ここで吐き出したらもう少しくらい楽になるんじゃないかと思い、したためてみました。
効果があるといいのですが。

コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。