1954年製作の初代『ゴジラ』を生成AIを使ってカラー化し、DVDに焼いてフリマアプリなどで販売、他の作品も合わせると昨年1月から今年5月までの間に合計170万円を稼いでいた男が著作権法違反容疑で逮捕された、と報じられていました。
カラー『ゴジラ』の需要

男はいとも簡単に容疑を認めているようです。「犯罪になるとわかったうえでパソコンを使って一人でやった」と。
1枚3000円で販売していたらしく、え、じゃあ正規の白黒のゴジラのDVDはいくらするんだろうと調べてみると、アマゾンでは、4Kリマスター版のブルーレイが4376円、DVDが3647円。通常版だとブルーレイが2576円、DVDが1681円。
何と!
通常版ならDVDで1681円。ブルーレイでも2576円と、3000円に比べるとかなり安いじゃないですか。
それだけ需要があるということか、と落胆しました。
なぜかって?
だって、それだけ「白黒映画なんか見たくない。できうるかぎりカラーで見たい」という人がたくさんいるということじゃないですか。
私はカラーよりも白黒のほうが好きなので(理由についてはこちらを参照⇒「カラーとモノクロをめぐる妄想(白黒が好きな理由)」)、第1作の『ゴジラ』はやはり白黒で見たいですし、フィルムノワールなどの40年代から50年代にかけてのアメリカの犯罪映画などもやっぱり白黒で見たいと思う口ですが、「白黒が好きだ」というと決まって「何で?」と奇人変人を見るかのような目つきで見られるんですよね。
白黒は「ジャンル」ではない

かつて、ある職場で働いていたとき、映画好きの上司と白黒談議になりました。その人は白黒が大の苦手で、私が白黒好きだというと、次のような会話になりました。
「神林くんは苦手なジャンルとかないの?」
「ないですよ」
「オールマイティ? ほんま?」
「あ、ありました。中世ヨーロッパの宮廷もの。『エリザベス』とか『マリー・アントワネット』みたいな」
「何で?」
「人間よりも衣裳が主役みたいなところが好きになれなくて」
「なるほど。そういうの見るのってしんどい?」
「見始める前に結構気合い入れないときついですね」
「それなんよ、俺が白黒見るときのしんどさ。わかるでしょ」
「……(なるほど)」
というわけで、人それぞれ好みがあるものだなと思ったんですが、しかし、白黒を忌み嫌う人ってどんどん増えていて、というか、白黒映像は決して「ジャンル」ではない! とも強く思うのです。あれは作者たちの「創意工夫」なのだ、と。
白黒で撮るにふさわしい企画

ジム・ジャームッシュの商業映画デビュー作『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は、「このカラー映画全盛の現代において白黒で撮るにふさわしい題材とは何か」という問題について非常に示唆的ですが、この私も脚本家志望者だったころは、「白黒で撮るにふさわしい題材とは何か」、いや、もう一歩進んで「白黒で撮るにふさわしい企画を立てよう」と考えていました。
結局、その野望はひとつも実現できなかったものの、「白黒で撮るにふさわしい企画」をずっと考えていたのは、いま映画を見るにあたって活きているやもしれん、と今回の事件を知って思いました。
1954年の『ゴジラ』は「白黒で撮るにふさわしい企画」だと思います。どこがどうってうまく言えないけど、カラーだったらあんなに名作にならなかったんじゃないかと思うんです。
「白黒で撮るにふさわしい企画」とは具体的になんぞやと問われたら、私はすぐに「シンプルな題材とシンプルな物語」と答えます。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』がまさにそういう映画でしたね。
じゃあ、その「シンプルな題材とシンプルな物語」をもつ映画の代表例とは?
『ダーティハリー』!

私は『ダーティハリー』だと思う。この映画はカラーですが、白黒で撮るにふさわしい、シンプルな題材とシンプルな物語、そして「一発の銃弾」で蹴りがつくという、とてもシンプルな映画でした。『ダーティハリー』を白黒で見たいと思う人は少なくないはずと思ってるんですが、どうでしょうか。
『ゴジラ』のカラー化をする人間がいるなら、『ダーティハリー』の白黒化を目論む人間がいてもおかしくない。今回の犯人も「犯罪になるとわかったうえで」と供述しているらしいですから、自分が手を汚してでも需要に応えたいという気持ちだったのでしょう。重い罪に問わないでほしい。
関連記事
カラーとモノクロをめぐる妄想(白黒が好きな理由)

カラー『ゴジラ』の需要

男はいとも簡単に容疑を認めているようです。「犯罪になるとわかったうえでパソコンを使って一人でやった」と。
1枚3000円で販売していたらしく、え、じゃあ正規の白黒のゴジラのDVDはいくらするんだろうと調べてみると、アマゾンでは、4Kリマスター版のブルーレイが4376円、DVDが3647円。通常版だとブルーレイが2576円、DVDが1681円。
何と!
通常版ならDVDで1681円。ブルーレイでも2576円と、3000円に比べるとかなり安いじゃないですか。
それだけ需要があるということか、と落胆しました。
なぜかって?
だって、それだけ「白黒映画なんか見たくない。できうるかぎりカラーで見たい」という人がたくさんいるということじゃないですか。
私はカラーよりも白黒のほうが好きなので(理由についてはこちらを参照⇒「カラーとモノクロをめぐる妄想(白黒が好きな理由)」)、第1作の『ゴジラ』はやはり白黒で見たいですし、フィルムノワールなどの40年代から50年代にかけてのアメリカの犯罪映画などもやっぱり白黒で見たいと思う口ですが、「白黒が好きだ」というと決まって「何で?」と奇人変人を見るかのような目つきで見られるんですよね。
白黒は「ジャンル」ではない

かつて、ある職場で働いていたとき、映画好きの上司と白黒談議になりました。その人は白黒が大の苦手で、私が白黒好きだというと、次のような会話になりました。
「神林くんは苦手なジャンルとかないの?」
「ないですよ」
「オールマイティ? ほんま?」
「あ、ありました。中世ヨーロッパの宮廷もの。『エリザベス』とか『マリー・アントワネット』みたいな」
「何で?」
「人間よりも衣裳が主役みたいなところが好きになれなくて」
「なるほど。そういうの見るのってしんどい?」
「見始める前に結構気合い入れないときついですね」
「それなんよ、俺が白黒見るときのしんどさ。わかるでしょ」
「……(なるほど)」
というわけで、人それぞれ好みがあるものだなと思ったんですが、しかし、白黒を忌み嫌う人ってどんどん増えていて、というか、白黒映像は決して「ジャンル」ではない! とも強く思うのです。あれは作者たちの「創意工夫」なのだ、と。
白黒で撮るにふさわしい企画

ジム・ジャームッシュの商業映画デビュー作『ストレンジャー・ザン・パラダイス』は、「このカラー映画全盛の現代において白黒で撮るにふさわしい題材とは何か」という問題について非常に示唆的ですが、この私も脚本家志望者だったころは、「白黒で撮るにふさわしい題材とは何か」、いや、もう一歩進んで「白黒で撮るにふさわしい企画を立てよう」と考えていました。
結局、その野望はひとつも実現できなかったものの、「白黒で撮るにふさわしい企画」をずっと考えていたのは、いま映画を見るにあたって活きているやもしれん、と今回の事件を知って思いました。
1954年の『ゴジラ』は「白黒で撮るにふさわしい企画」だと思います。どこがどうってうまく言えないけど、カラーだったらあんなに名作にならなかったんじゃないかと思うんです。
「白黒で撮るにふさわしい企画」とは具体的になんぞやと問われたら、私はすぐに「シンプルな題材とシンプルな物語」と答えます。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』がまさにそういう映画でしたね。
じゃあ、その「シンプルな題材とシンプルな物語」をもつ映画の代表例とは?
『ダーティハリー』!

私は『ダーティハリー』だと思う。この映画はカラーですが、白黒で撮るにふさわしい、シンプルな題材とシンプルな物語、そして「一発の銃弾」で蹴りがつくという、とてもシンプルな映画でした。『ダーティハリー』を白黒で見たいと思う人は少なくないはずと思ってるんですが、どうでしょうか。
『ゴジラ』のカラー化をする人間がいるなら、『ダーティハリー』の白黒化を目論む人間がいてもおかしくない。今回の犯人も「犯罪になるとわかったうえで」と供述しているらしいですから、自分が手を汚してでも需要に応えたいという気持ちだったのでしょう。重い罪に問わないでほしい。
関連記事
カラーとモノクロをめぐる妄想(白黒が好きな理由)

コメント
このブログにコメントするにはログインが必要です。
さんログアウト
この記事には許可ユーザしかコメントができません。