藤井道人監督の昨年の作品『正体』を見ました。「藤井道人」という名前には拒絶反応をもつ私ですが、大好きな横浜流星が主演なのでね。吉岡里帆や山田孝之、松重豊も出てるし、ということで。
結論から言うと、あまりにもつまらなかったです。しかも「映芸」でワーストに選ばれたというからいただけません。つまらないのがワーストだからいいんじゃないかって? いやいや、ことはそう単純ではありません。(以下ネタバレあり)
『正体』(2024、日本)

原作:染井為人
脚本:小寺和久&藤井道人
監督:藤井道人
出演:横浜流星、吉岡里帆、山田孝之、森本慎太郎、山田杏奈、山中崇、田中哲司、原日出子、松重豊
溝口健二と新藤兼人
かつてシナリオ修行中だった新藤兼人さんが溝口健二監督に自作シナリオを読んでもらったところ、
「これはシナリオではありません。ストーリーです」
と言われたのは有名な話です。「ドラマ=対立・葛藤」になっていないということですね。
それに倣って言わせてもらえば、この『正体』は、
「これは映画ではありません。ストーリーはあるがテーマがないからです」
ってなことになりましょうや。
もう20年以上前、長谷川和彦監督(来年で80歳!?)に自分の習作シナリオを見せたら言われました。「これはシナリオじゃない」とは言われなかったけど、「哲学がない」とね。それはまぁ「テーマ」ということでしょう。観客が感じ取る、言葉にできないモヤモヤしたもの。それがないからダメだと。
物語のあらましと捨てられた社会派ドラマ

拘置所から一人の男が脱獄します。彼は場所を変え職を変え、逃げ続けている。
彼を一家殺害の犯人として逮捕した警視庁は、彼が18歳になったばかりなのを幸いに、
「少年犯の厳罰化のためにも、18歳の人間を死刑にするのはもってこいじゃないか」(刑事部長(おそらく)の松重豊)
その命を受けて捜査一課長の山田孝之は横浜流星を逮捕するが、脱獄。彼は娑婆で友人(森本慎太郎)ができ、好きな人(吉岡里帆と山田杏奈)もできた。でもすべて指名手配犯ということで別れを告げた。
実は一家殺害の犯人は山中崇で、誤認逮捕だった。松重豊は警察の面子のためにもその事実は伏せるように言うが、正義感を捨てきれなかった山田孝之は記者会見の場で「誤認逮捕でした」と白状し、そこから再審請求して無罪を勝ち取るのだった。
というものなんですが、こうして書いてみると、警視庁ひいては警察庁の陰謀というのが根っこに大きく設定されているわけで、こんなのありえないという声もあるようですが、私は充分ありうると思います。ありうるだけに、警察権力の陰謀で一人の青年の一生がもう少しで破壊されるところだったという社会派的なテーマを打ち出すことは可能だっただろうし、そうしてほしかったです。
逆にいえば、真実を言ってしまった山田孝之が、警視庁や警察庁という権力組織からどれだけ迫害されるかも描いてほしかった。
横浜流星の「正体」というのは別段とくに何もなくて、ただ彼は「無実のどこにでもいる青年だった」という結論ですから、彼の「正体」というのはほとんどどうでもいいことです。
問題は、警察権力が、彼の逮捕をひとつの「実験」として扱っていることで、そこには作者なりの「怒り」を見せてほしかった。「テーマは怒りから生まれる、とは誰の言葉だったか。
目の前の人間が指名手配犯という恐怖

横浜流星と出会う三人の人物、森本慎太郎、吉岡里帆、山田杏奈は、彼に対してあまりに無防備じゃないですかね?
森本慎太郎は、懸賞金300万ほしさに通報しようとしますが、横浜流星の特徴である、背中のやけどの痕や左頬のほくろを見ても、恐怖よりも先に300万ほしさの気持ちが先に立ってしまっていて、いやいや普通逆でしょう、と。彼は社会の最底辺の暮らしを強いられているので300万がほしいのはよくわかります。でもその前に命惜しさのほうが強いのが人間という生き物です。「300万もらえるかも」より「殺されるかも」のほうが先に立つんじゃないでしょうか。
吉岡里帆と山田杏奈は横浜流星に惚れてしまう。いずれも彼が指名手配犯だと気づいたときに「彼じゃないと思う」というのですが、好きだからそういう気持ちになるのはよくわかるけど、「彼じゃない」より「殺されるかも」が先じゃないの? 物事には順番がある。
タイトルは『正体』じゃないほうがいい?
「順番」といえば、横浜流星が完全に冤罪で捕まった、という事実を最初に見せておくべきじゃないでしょうか。途中まで彼が真犯人なのかそうじゃないのかよくわからないのはまずいでしょう。
冤罪で捕まった、警察の自白強要、証拠捏造、死刑判決、脱走、娑婆で逃げ回る、証人から証言を取ろうとする、という流れなら応援できるじゃないですか。
『正体』というタイトルを変えてでも、彼の「正体」を最初にばらしておいたほうがいいと感じました。
映芸

今年に入って発表された「映画芸術」で、『正体』は日本映画ワーストワンに選ばれました。ちなみにベストワンは『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』で、ベストには何の異論もないし、映芸らしいと思うけど、ワーストに関しては納得できません。
私がワーストを選ぶとき「ワーストにはそれなりの格が必要」といつも言ってますけど、映芸のワーストは格があったんですよね。是枝裕和監督の『万引き家族』とか。
それが、3年前の『ドライブ・マイ・カー』がワーストワンに選ばれなかったときに何かおかしいと思い始めました。(10年くらい前にも、三谷幸喜監督作品や松本人志監督作品がワーストワンに選ばれたときにも違和感ありありでしたが)
単につまらなかった映画というんじゃなくて、アカデミー賞(日本アカデミー賞にあらず)にノミネートされたとか、カンヌやヴェネチアでスタンディングオベーションで迎えられたとか、批評家が大絶賛しているとか、そういう「格」のあるものを映芸だけが低く評価する、あるいは、他紙・他誌では評価の低いものを絶賛する、それがもとで「国賊映画雑誌」なんて呼ばれたりする、それが映芸の「芸」だと思っているものとしては、この『正体』の映芸ワーストワンには物申したい。
吉岡里帆神話崩壊

「吉岡里帆の出演作品にハズレなし」という言葉が映画界やテレビ界にはあるらしいですが、さすがに全部というわけにはいかなかったようで。(でも確かに打率は高い印象)
脱走した、逃げ回る、いろんな人との出会い、警察が自分から誤認逮捕とばらす、再審、冤罪判決。
という流れだけだけ見ても、つまらないですよね。だって一番の肝は警察権力の腐敗(これが根っこです!)なのに、それを警察官が自ら正してしまうというのでは……。
だから「テーマ」がないというのです。結局何を言いたかったんですか、この映画は。

結論から言うと、あまりにもつまらなかったです。しかも「映芸」でワーストに選ばれたというからいただけません。つまらないのがワーストだからいいんじゃないかって? いやいや、ことはそう単純ではありません。(以下ネタバレあり)
『正体』(2024、日本)

原作:染井為人
脚本:小寺和久&藤井道人
監督:藤井道人
出演:横浜流星、吉岡里帆、山田孝之、森本慎太郎、山田杏奈、山中崇、田中哲司、原日出子、松重豊
溝口健二と新藤兼人
かつてシナリオ修行中だった新藤兼人さんが溝口健二監督に自作シナリオを読んでもらったところ、
「これはシナリオではありません。ストーリーです」
と言われたのは有名な話です。「ドラマ=対立・葛藤」になっていないということですね。
それに倣って言わせてもらえば、この『正体』は、
「これは映画ではありません。ストーリーはあるがテーマがないからです」
ってなことになりましょうや。
もう20年以上前、長谷川和彦監督(来年で80歳!?)に自分の習作シナリオを見せたら言われました。「これはシナリオじゃない」とは言われなかったけど、「哲学がない」とね。それはまぁ「テーマ」ということでしょう。観客が感じ取る、言葉にできないモヤモヤしたもの。それがないからダメだと。
物語のあらましと捨てられた社会派ドラマ

拘置所から一人の男が脱獄します。彼は場所を変え職を変え、逃げ続けている。
彼を一家殺害の犯人として逮捕した警視庁は、彼が18歳になったばかりなのを幸いに、
「少年犯の厳罰化のためにも、18歳の人間を死刑にするのはもってこいじゃないか」(刑事部長(おそらく)の松重豊)
その命を受けて捜査一課長の山田孝之は横浜流星を逮捕するが、脱獄。彼は娑婆で友人(森本慎太郎)ができ、好きな人(吉岡里帆と山田杏奈)もできた。でもすべて指名手配犯ということで別れを告げた。
実は一家殺害の犯人は山中崇で、誤認逮捕だった。松重豊は警察の面子のためにもその事実は伏せるように言うが、正義感を捨てきれなかった山田孝之は記者会見の場で「誤認逮捕でした」と白状し、そこから再審請求して無罪を勝ち取るのだった。
というものなんですが、こうして書いてみると、警視庁ひいては警察庁の陰謀というのが根っこに大きく設定されているわけで、こんなのありえないという声もあるようですが、私は充分ありうると思います。ありうるだけに、警察権力の陰謀で一人の青年の一生がもう少しで破壊されるところだったという社会派的なテーマを打ち出すことは可能だっただろうし、そうしてほしかったです。
逆にいえば、真実を言ってしまった山田孝之が、警視庁や警察庁という権力組織からどれだけ迫害されるかも描いてほしかった。
横浜流星の「正体」というのは別段とくに何もなくて、ただ彼は「無実のどこにでもいる青年だった」という結論ですから、彼の「正体」というのはほとんどどうでもいいことです。
問題は、警察権力が、彼の逮捕をひとつの「実験」として扱っていることで、そこには作者なりの「怒り」を見せてほしかった。「テーマは怒りから生まれる、とは誰の言葉だったか。
目の前の人間が指名手配犯という恐怖

横浜流星と出会う三人の人物、森本慎太郎、吉岡里帆、山田杏奈は、彼に対してあまりに無防備じゃないですかね?
森本慎太郎は、懸賞金300万ほしさに通報しようとしますが、横浜流星の特徴である、背中のやけどの痕や左頬のほくろを見ても、恐怖よりも先に300万ほしさの気持ちが先に立ってしまっていて、いやいや普通逆でしょう、と。彼は社会の最底辺の暮らしを強いられているので300万がほしいのはよくわかります。でもその前に命惜しさのほうが強いのが人間という生き物です。「300万もらえるかも」より「殺されるかも」のほうが先に立つんじゃないでしょうか。
吉岡里帆と山田杏奈は横浜流星に惚れてしまう。いずれも彼が指名手配犯だと気づいたときに「彼じゃないと思う」というのですが、好きだからそういう気持ちになるのはよくわかるけど、「彼じゃない」より「殺されるかも」が先じゃないの? 物事には順番がある。
タイトルは『正体』じゃないほうがいい?
「順番」といえば、横浜流星が完全に冤罪で捕まった、という事実を最初に見せておくべきじゃないでしょうか。途中まで彼が真犯人なのかそうじゃないのかよくわからないのはまずいでしょう。
冤罪で捕まった、警察の自白強要、証拠捏造、死刑判決、脱走、娑婆で逃げ回る、証人から証言を取ろうとする、という流れなら応援できるじゃないですか。
『正体』というタイトルを変えてでも、彼の「正体」を最初にばらしておいたほうがいいと感じました。
映芸

今年に入って発表された「映画芸術」で、『正体』は日本映画ワーストワンに選ばれました。ちなみにベストワンは『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』で、ベストには何の異論もないし、映芸らしいと思うけど、ワーストに関しては納得できません。
私がワーストを選ぶとき「ワーストにはそれなりの格が必要」といつも言ってますけど、映芸のワーストは格があったんですよね。是枝裕和監督の『万引き家族』とか。
それが、3年前の『ドライブ・マイ・カー』がワーストワンに選ばれなかったときに何かおかしいと思い始めました。(10年くらい前にも、三谷幸喜監督作品や松本人志監督作品がワーストワンに選ばれたときにも違和感ありありでしたが)
単につまらなかった映画というんじゃなくて、アカデミー賞(日本アカデミー賞にあらず)にノミネートされたとか、カンヌやヴェネチアでスタンディングオベーションで迎えられたとか、批評家が大絶賛しているとか、そういう「格」のあるものを映芸だけが低く評価する、あるいは、他紙・他誌では評価の低いものを絶賛する、それがもとで「国賊映画雑誌」なんて呼ばれたりする、それが映芸の「芸」だと思っているものとしては、この『正体』の映芸ワーストワンには物申したい。
吉岡里帆神話崩壊

「吉岡里帆の出演作品にハズレなし」という言葉が映画界やテレビ界にはあるらしいですが、さすがに全部というわけにはいかなかったようで。(でも確かに打率は高い印象)
脱走した、逃げ回る、いろんな人との出会い、警察が自分から誤認逮捕とばらす、再審、冤罪判決。
という流れだけだけ見ても、つまらないですよね。だって一番の肝は警察権力の腐敗(これが根っこです!)なのに、それを警察官が自ら正してしまうというのでは……。
だから「テーマ」がないというのです。結局何を言いたかったんですか、この映画は。


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