稀代の贋作師にスポットを当てたBSスペシャル『贋作師からの問い ‟本物”をめぐる思索』をとても興味深く見ました。
贋作師ベルトラッキ

このヴォルフガング・ベルトラッキというドイツ人は、これまでに多くの贋作を手掛けてきたそうで、ただ、贋作といっても現に存在する絵画の偽物ではなく、その画家の目録などに記載はあるけど、どこの美術館に所蔵されてるとかの情報がまったく記載がなく、キャンバスの大きさやだいたいどのような絵なのか、微細な情報しか記載されてないものを「再現」するそうです。この画家ならこういうタッチでこういう色遣いをするであろうという予測のもとに。
確かに「偽物」です。しかし、昨今、世相を賑わせている「リアルかフェイクか」というのは「情報」の真偽のことであって、ほとんどフェイクだけど、ベルトラッキの絵画は私は、その絵が人を感動させている以上、「本物」だと思う。
あくまでも誰かを感動させているならば。裏を返せば、感動した誰かにとっては「本物」であり、感動しなかった誰かにとっては「偽物」、それが芸術における「リアルかフェイクか」だと思う。
少女と太陽

高知県立美術館では、ベルトラッキの贋作『少女と太陽』という絵が贋作だと判明し、独自の調査でも贋作と断じざるをえなかった。バブル時代に1980万円というのはえらく安い買い物だなとは思うものの、「本物」の画家の時代にはなかった絵の具が使われているというのが決定的な証拠とかで、そりゃ描いた本人が贋作だといってるのだからそうなんだろうけど、番組中出てきたAIなるものが判定に使っていたのも、絵の具とか絵のタッチが何%の確率で本物に近い、あるいは遠い、という判定の仕方で、それって結局「客観」ということでしょ。
芸術は宗教である

ベルトラッキは言います。
「芸術は教会に行くのに似ている。信じるかどうかだ」
まさしくその通り。AIにしても人間にしても、贋作と断定しているのは「客観性」でしかないですよね。絵画のみならず音楽でも文学でも映画でもいいが、その作品を作品たらしめているのは、鑑賞した人がどう感じたか、だと思う。そう、「主観」。
高知県立美術館とは別に、個人でベルトラッキの絵画を購入した人が言ってましたね。
「いくら偽物と言われたって僕にとっては素晴らしい作品なんです。どうですか、これ。見れば見るほどいい」
あれがすべてでしょう。確かにベルトラッキのやってることは犯罪なのでしょうが(実際6年服役)彼は死ぬまで贋作師を辞めないと思う。彼の思想に共鳴した奥さんという強い味方もいるし。
なぜ贋作するのか

絵の真贋についての意見は以上。ここからはベルトラッキの心の中です。
ベルトラッキにかぎらず、贋作師には他にもたくさんいるんでしょうが、彼らはなぜ当局に捕まるリスクを冒してでも贋作するのでしょうか?
偽札と同じ? 権力への挑戦ですか。でも絵画の贋作では反権力にはならない。権威への挑戦? でも、それなら、ピカソとかマグリットとかのすでに存在する絵画をネタに偽物づくりをすると思うんですよね。どっちがうまい!? とばかり。
ベルトラッキは、確かにその画家の目録に記載があるけど、現在どこへ行ったかわからない作品を俎上に載せています。彼は「歴史」を作りたいのかな? と思いました。
ある画家の欠落した作品歴を埋めることができるわけでしょ? 『少女と太陽』の欄には「高知県立美術館所蔵」とつい最近まで書かれていたはずであり、それが動機なのかな、と。
ただ、それだと「ヴォルフガング・ベルトラッキ」という画家の歴史は死後、おそらく悪評ふんぷんたる事柄ばかりが書き連ねられるはずで、それを押してでも贋作を作る理由は何なのか。
よく職場の同僚さんなどが、「特殊詐欺やってる人たちって、あんなに頭いいんだったらもっと普通のことに頭使えばいいのに」とよく言ってますが、それは違うでしょう。
本当の知恵があれば人を騙したりするはずがない。ああいう人たちは「悪知恵」しか働かないのです。
とすれば、ベルトラッキも贋作するにあたって使っているのは「悪知恵」でしかないのか。あまり彼の所業を「悪」と言いたくないけど、本当の知恵があるなら贋作づくりなどしないでしょう。
もしかすると、頭は「悪」だけど、「腕」は「本物」なのかも。
悪知恵を働かせて作った本物の絵画。それに感動するかしないかはそれこそ見た人次第。
少なくとも私は、それほど多くの人を何年も騙した絵画を見てみたいと思う。感動するかどうかはわからないけど。
贋作師ベルトラッキ

このヴォルフガング・ベルトラッキというドイツ人は、これまでに多くの贋作を手掛けてきたそうで、ただ、贋作といっても現に存在する絵画の偽物ではなく、その画家の目録などに記載はあるけど、どこの美術館に所蔵されてるとかの情報がまったく記載がなく、キャンバスの大きさやだいたいどのような絵なのか、微細な情報しか記載されてないものを「再現」するそうです。この画家ならこういうタッチでこういう色遣いをするであろうという予測のもとに。
確かに「偽物」です。しかし、昨今、世相を賑わせている「リアルかフェイクか」というのは「情報」の真偽のことであって、ほとんどフェイクだけど、ベルトラッキの絵画は私は、その絵が人を感動させている以上、「本物」だと思う。
あくまでも誰かを感動させているならば。裏を返せば、感動した誰かにとっては「本物」であり、感動しなかった誰かにとっては「偽物」、それが芸術における「リアルかフェイクか」だと思う。
少女と太陽

高知県立美術館では、ベルトラッキの贋作『少女と太陽』という絵が贋作だと判明し、独自の調査でも贋作と断じざるをえなかった。バブル時代に1980万円というのはえらく安い買い物だなとは思うものの、「本物」の画家の時代にはなかった絵の具が使われているというのが決定的な証拠とかで、そりゃ描いた本人が贋作だといってるのだからそうなんだろうけど、番組中出てきたAIなるものが判定に使っていたのも、絵の具とか絵のタッチが何%の確率で本物に近い、あるいは遠い、という判定の仕方で、それって結局「客観」ということでしょ。
芸術は宗教である

ベルトラッキは言います。
「芸術は教会に行くのに似ている。信じるかどうかだ」
まさしくその通り。AIにしても人間にしても、贋作と断定しているのは「客観性」でしかないですよね。絵画のみならず音楽でも文学でも映画でもいいが、その作品を作品たらしめているのは、鑑賞した人がどう感じたか、だと思う。そう、「主観」。
高知県立美術館とは別に、個人でベルトラッキの絵画を購入した人が言ってましたね。
「いくら偽物と言われたって僕にとっては素晴らしい作品なんです。どうですか、これ。見れば見るほどいい」
あれがすべてでしょう。確かにベルトラッキのやってることは犯罪なのでしょうが(実際6年服役)彼は死ぬまで贋作師を辞めないと思う。彼の思想に共鳴した奥さんという強い味方もいるし。
なぜ贋作するのか

絵の真贋についての意見は以上。ここからはベルトラッキの心の中です。
ベルトラッキにかぎらず、贋作師には他にもたくさんいるんでしょうが、彼らはなぜ当局に捕まるリスクを冒してでも贋作するのでしょうか?
偽札と同じ? 権力への挑戦ですか。でも絵画の贋作では反権力にはならない。権威への挑戦? でも、それなら、ピカソとかマグリットとかのすでに存在する絵画をネタに偽物づくりをすると思うんですよね。どっちがうまい!? とばかり。
ベルトラッキは、確かにその画家の目録に記載があるけど、現在どこへ行ったかわからない作品を俎上に載せています。彼は「歴史」を作りたいのかな? と思いました。
ある画家の欠落した作品歴を埋めることができるわけでしょ? 『少女と太陽』の欄には「高知県立美術館所蔵」とつい最近まで書かれていたはずであり、それが動機なのかな、と。
ただ、それだと「ヴォルフガング・ベルトラッキ」という画家の歴史は死後、おそらく悪評ふんぷんたる事柄ばかりが書き連ねられるはずで、それを押してでも贋作を作る理由は何なのか。
よく職場の同僚さんなどが、「特殊詐欺やってる人たちって、あんなに頭いいんだったらもっと普通のことに頭使えばいいのに」とよく言ってますが、それは違うでしょう。
本当の知恵があれば人を騙したりするはずがない。ああいう人たちは「悪知恵」しか働かないのです。
とすれば、ベルトラッキも贋作するにあたって使っているのは「悪知恵」でしかないのか。あまり彼の所業を「悪」と言いたくないけど、本当の知恵があるなら贋作づくりなどしないでしょう。
もしかすると、頭は「悪」だけど、「腕」は「本物」なのかも。
悪知恵を働かせて作った本物の絵画。それに感動するかしないかはそれこそ見た人次第。
少なくとも私は、それほど多くの人を何年も騙した絵画を見てみたいと思う。感動するかどうかはわからないけど。

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