アカデミー賞で長編アニメーション映画賞を受賞した、世にも珍しいラトビア映画『Flow』を見てきました。まさに息を呑ませる映画で、とても感動しました。


『Flow』(2024、ラトビア・フランス・ベルギー)
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脚本:ギンツ・ジルバロディス&マティース・カージャ
監督:ギンツ・ジルバロディス


猫の生態は知らないが
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私は犬は2匹飼ったことがあるので、犬ならよくわかっているつもりですが、猫の生態に関しては詳細を知りません。

しかしながら、家の近くに住む猫(飼い猫ですが)の様子を見るかぎりでは、この『Flow』は、かなり正確に猫の生態を描いていると思いました。

そろそろ歩き
全力疾走
恐がる目、縦長の瞳孔
首のすくめ方
しっぽの動き

これらがとにかく正確なうえに活き活きしていて、見ていてとても楽しい。セリフがないから色彩と明暗、そして表情で勝負せねばならない。監督さんはおそらく猫を飼っているのでしょうが、よくここまで再現し、そして大洪水の中で生きぬく猫というフィクションも見事に描出しえている。これはすごいことです。

あれは何という名前の鳥なのか知りませんが、白い大きな鳥がたくさん出てくるじゃないですか。あの鳥に捕まえられて大空高く舞い上がり、怖くて大声で鳴く。鳥は猫を放す。猫は船の帆に引っかかり、無事に船上に降りつく。

そのときの「一瞬の躊躇」というか、「一瞬の恐怖と一瞬の安堵」を描出しえたギンツ・ジルバロディスという監督については、これから新作が出れば何を差し置いても見に行かねば、という気にさせられました。

『悲情城市』で、国民党(外省人)に追いやられた先住民族である本省人の男が、外省人たちから逃れて田舎の村の教師に収まっている。そこへ主役のトニー・レオンがやってくる。教師の男は、トニー・レオンを見て、一瞬「あいつか?」と思うものの、すぐ目を黒板へやる。しかし「やっぱりあいつだ」となって、再びトニー・レオンに振り返り、感動の再会を果たす、というシーンがあるんですが、蓮實重彦はそのショットについて、

「あの一瞬の躊躇を演出しうるホウ・シャオシェンはただ者ではない」

と絶賛していました。それに倣えば、あの鳥に放されて船上に降りついた猫の、「あー怖かった」という、安堵しつつもいまだに恐怖を感じるという「一瞬の躊躇」を描出しえたギンツ・ジルバロディスはただ者ではない。ということになる。

ギンツ・ジルバロディス、憶えておいて損はないどころか、憶えてないと映画シーンから取り残されますぜ。そう言ってしまえるほど、この『Flow』は素晴らしい。


ノアの方舟?
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セリフがないこの映画にも物語はあって、普通に暮らしていた一匹のか弱き猫が、大洪水に遭って、一隻の船に避難し、犬や鳥など様々な動物たちと一緒に大冒険する、というもの。

大洪水があるから、あの船はノアの方舟なのか、みたいな「考察」もあるみたいです。(そういうのは「考察」とは言わんと思うが)

でも、『Flow』が描く物語が、いったいいつの時代を舞台にしているかなんてどうでもいいことだと思う。いつの時代でも通用する普遍的な物語と思うから。

ただ、「時代」についてははっきりそう思うものの、「物語」については少し首をひねってしまう面も正直ありました。


セブン・イヤーズ・イン・チベット?
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かつて、ブラッド・ピット主演の『セブン・イヤーズ・イン・チベット』という映画がありました。

この映画は、冒頭で夫婦喧嘩をして家を飛び出したブラピが、チベットでの7年間を経てアメリカに戻り、妻と仲直りするという物語でした。

つまり、題名にある「セブン・イヤーズ・イン・チベット=チベットでの7年間」というのは、夫婦喧嘩を終息させる触媒でしかなかったという、何とも突っ込みどころ満載の映画でした。

『Flow』でも同じような事態があって、大洪水の前は大きな犬に追いかけ回されて必死で逃げていた主人公の猫が、最後はその犬たちと仲良くなるという、まさに『セブン・イヤーズ・イン・チベット』なお話だったのです。

え、じゃあ、あの大洪水はそのための触媒? 何かそれはいやだなぁ。

いい想い出を残しておきたいので、ここらへんで筆を擱きます。


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