ジーン・ハックマンが好きだ、というと、これまで100%の人が、

「それはめちゃくちゃ渋い」

と感嘆する。本当に100%の確率である。「ジーン・ハックマンの他に『この人が好きなのは渋い』って俳優は誰?」

と聞いても、ほとんどの人は名前を挙げられない。それぐらいジーン・ハックマンが好きというのは「渋い」ことらしい。

ちなみに、私が好きなハックマン作品は、めちゃベタだけど、『フレンチ・コネクション』。次点はこれもベタな『許されざる者』。


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さて、そのジーン・ハックマンが死んでしまった。イーストウッドと同じ年の生まれなので(95歳!)いつ死んでもおかしくないし、そもそも闘病生活を強いられてたというから、それほどの驚きはなかったが、数々の映画で魅了されてきた者としては、やはり淋しいものがある。

ただ死んだというだけならそれですむが、ジーン・ハックマンの場合はそうはいかなかった。

だって、死後数日たったとおぼしき2月26日に発見され、しかも妻と愛犬1匹も同時に発見されたというから穏やかじゃなかった。警察は事件性が高いと見て遺体を検視に回したという。

その結果、奥さんはネズミなどが媒介する呼吸器疾患が原因で2月11日ごろに亡くなったとわかった。さらにハックマン本人は、その1週間後の2月18日に心臓病で逝ったらしい。重度のアルツハイマー病を患っていたハックマンは妻の死を理解できず、ほったらかしにしていたと推定される、とのこと。犬が死んだのは、飼い主がほぼ同時にいなくなったために、水と食料がなく、渇きと飢えで死んだらしい。

ともかくよかったと思う。

よかったというのは、私はもしかしたら、闘病生活に疲れたハックマンが、奥さんを殺して自殺したのかと疑っていたから。

そうじゃなかったからよかった。人が死んでよかったというのもどうかと思うが、よかったというのが正直な気持ち。

アルツハイマー病とか認知症とか、人は「他人様に迷惑をかけるのはいや」と罹患するのを極度に恐れる。ある有名な医者は、「認知症にかかったら自分が認知症にかかっているとか、周囲に迷惑をかけているという自覚がないから、少しも不幸ではない」などとのたまうが、それは違うと思う。

昔、「人体の不思議展」というのがあった。いまもあるのかもしれないが不勉強のため知らないが、その展示会を覗きに行った友人がいて、「行ってきた」とすべての展示が載ってるカタログを差し出し、「付き合い始めた彼女と見に行ったけど、別れた」という。

それは穏やかじゃないとカタログを見せてもらったら、納得した。いくら本人の許可があるといっても、人の体を骨と筋肉と神経の流れだけにして、他のすべてをひん剥いてしまうのはよくないと思う。

私はいくら大金を積まれてもいやだし、自分の遺体を捧げた故人たちは、自分の肉体があられもない姿になってるのをもし見たらすごく悲しむだろうし、いやだと思う。できることならすべて焼いてほしいと思うだろう。

もう死んでいるからどうでもいいことだ、関係のないことだ、というのは違うと思う。

ジーン・ハックマンについて、死因の真相がわかってよかったと言ったが、それはあくまでもジーン・ハックマンが奥さんを殺してなかったかどうか、逆に奥さんに殺されていなかったかどうか、ということがはっきりしたということであって、病気のために最愛の人の死も理解できず、孤独に死んでいった名優の報せには涙を禁じえない。

先日のアカデミー賞授賞式で、友人のモーガン・フリーマンが「安らかに眠れ、友よ」と追悼のメッセージを贈っていた。


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安らかに眠れ。映画史上最も渋い俳優、ジーン・ハックマン。





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