敬愛してやまない詩人の長田弘さん(「おさだ・ひろし」と読みます)のエッセイ集『私の好きな孤独』を慈しむような気持で読みました。素晴らしかった。

特に印象に残った6つのフレーズについて感想を記します。


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「街の秘密」
公衆便所がどこにあるか。とっさに思い出せるのは、よく知った街だ。知らない街というのは、公衆便所がどこにあるのかも知らない街だ。

これ、よくわかる。
私は人よりだいぶトイレが近いので、だからこれまでの各職場で、トイレでさぼってるんじゃないかとよく疑われたもの。そんな私にとってトイレがどこにあるかを頭に入れておくのはとても大事なことだ。

知らない街へ行くのなら、いまなら、職探しをしているので、見知らぬところへ面接を受けに行くことがよくある。事前に公衆便所の場所を把握することはできるのかもしれないが、私はそういうやり方をよく知らないので、駅やデパートなどの大型商業施設で事前に済ませておくことにしている。それでないとその見知らぬ街を味わえないから。

今度、甥っ子の新婚式で渋谷のホテルに行くのだけど、渋谷ももう10年もご無沙汰になる。なるが、どこに映画館があるかはいまでも憶えている。閉館になったところもあるらしいけど、大きなところは憶えている。実際行ってみて、公衆便所の場所をとっさに思い出せたなら、まだまだ私にとって渋谷や新宿は「よく知った街」になるのだろうか。家があった調布市仙川町にも行ってみるつもり。


「古くて新しい」
時間ができると、よく古本屋をのぞく。古本のあいだにいると、時間というものがちがって感じられる。街の新しい時間とはちがう時間が、古本屋にはあるのだ。(中略)なにげなく引き出した一冊の本によって、遠くに置き去りにしてきた時間に、ふいにむきあってしまう。古本屋にはそんな驚きが隠されている。

うーん、豊かな感性なり。そして、このエッセイは次のような一文で締めくくられる。

本というのは、おもしろいものだ。本は、道具とはちがう。古本であれ新本であれ、もしその本をまだ読んでないかぎりは、その本はつねに「新しい本」なのである。古本屋には、いつでも古くて新しい時間がある。古本屋の楽しみは、つねに新しい古い時間をもった一冊の本に出会う楽しみだ。

よくわかるなぁ。こういう感性が自分にとても似ているので長田さんの本をこれまで数多く読んできたし、これからも読むのだろうと思う。古くて新しい本に出会える古本屋。町の古本屋はもちろんそうだけど、ブックオフなどの新古書店と言われていた店にも「古くて新しい」時間は流れている。ブックオフを軽侮する人はいまでも多いが、時間は感じるものではなく、獲得しにいくものではないか。ブックオフに流れている古くて新しい時間をそういう人たちは自らバリアを張って遮断してしまってはいないか。そんなことを思いました。




「空飛ぶ猫の店」
好きなコーヒー屋のある街が、好きな街だ。

この文章はとても好き。上に引用した文章にもすでにあるけど、私は長田さんの読点の打ち方がとても好き。

「好きなコーヒー屋のある街が好きな街だ」ではごくありふれた文章だけれど、「好きなコーヒー屋のある街が、好きな街だ」と「、」がひとつ入っただけで、「好きな街だ」の前でちょっとためを作るというか、一瞬の躊躇も混じっているような気がする。

たかが読点、されど読点。たったひとつの「、」が文章を豊かにするし、書いた人に会いたくなってくる。


「スラバヤ・ジョニー」
いまでも胸の底に、かつての問いが答えなくのこっている。ーーあれから、何も実現できなくても悔いはない人生の時間を送ったか。おたがい、器用に生きることはしない生き方をまもったか。

器用に生きることはしない生き方。という言い方が長田弘的。私もそういう生き方をしたいと思ってこれまで生きてきたけど、できているんだろうか。とても不安になってくる。


「伯父さん」
伯父さんがわたしにおしえてくれたことで忘れたくないことは、ひとは一人でコーヒー屋に行って一杯のコーヒーを飲む時間を一日にもたねばならないということだ。

この本を読んでいると、長田弘って無類のコーヒー好きなのね、と微笑ましくなる。だって日本でも異国の地でもコーヒーばっかり飲んでるんだもの。

大事なのは、コーヒーを飲むことではなく、一人の時間、つまり孤独な時間をもて、ということですね。コーヒーはそのお供として長田さんには最適の小道具だというにすぎない。

みずから積極的に孤独の時間をもて。

そういえば、かつて映画美学校の面接試験を受けたとき、講師から「どんな映画を作りたいの?」と聞かれ、私は「ジャンルは何でもいいんですが、とにかく孤独な人を描きたいんです」と答えた。「君は孤独なの? どんなときに孤独を感じる?」と矢継ぎ早に質問が来た。

「僕は何が嫌いといってとにかく祭りが嫌いなんです。みんなで一斉にワッショイワッショイとやるのが性に合わないので。群れるのが嫌いなんです。だから場が祭りみたいになってきたら、自然と距離を置きます。するとワッショイワッショイとやってる連中が『なぜおまえはみんなと一緒にワッショイワッショイをやらないのか』と聞いてくる。『いや、俺はおまえたちの邪魔をしてないんだから、おまえらも俺の邪魔をしないでほしい』と答えるんですが、ワッショイワッショイの連中はそれが理解できず、とにかく祭りの渦巻きの中に引きずり込もうとする。必死で拒否する僕はとても孤独を感じます」

と答えたら、講師はどう思ったか知れないが、「うん」と言ったきりしばらく無言だった。


というわけで、同じ潮文庫(新潮文庫と間違えやすいが)から、『ことばの果実』というエッセイ集も出ているみたいなので読んでみようと思います。


私の好きな孤独 (潮文庫)
長田 弘
潮出版社
2022-04-05


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