ずーっと前から思っていることを書きます。

例えば、↓この二人↓の人物は「同じ役」を演じてますよね?


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そう、あの名作中の名作『ゴッドファーザー』シリーズで主人公マイケル・コルレオーネの父親役のヴィトー・コルレオーネ。勘違いしている人が多いですが、ヴィトーは主人公ではありません。PARTⅠからすでにマイケルが主人公です。

さて、原作者マリオ・プーゾが創造し、コッポラと一緒に脚色したヴィトー・コルレオーネという役の若き日がロバート・デ・ニーロで中年に達した姿がマーロン・ブランド。どちらも同じヴィトー・コルレオーネです。この二人の役者は同じ役を演じてアカデミー賞を受賞しました。これに気づいてない人が実に多い。でも、この記事で私が主張したいのはそこではありません。

では、↓こちら↓はどうでしょうか?

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『タイタニック』の主役ケイト・ウィンスレットとグロリア・スチュアート。え、ディカプリオは主役じゃないの? という声が聞こえてきそうですが、これも勘違いしている人が多い。主役はあくまでもこの二人で、ディカプリオは「脇役」にすぎません。「準主役」では? という人が多いですが、準主役という言葉は映画評論家か誰かが考えた言葉にすぎず、映画のつくり方やシナリオの書き方の類の本に「準主役」という言葉は一切出てきません。主役が一人だけで、あとは全員脇役。

さて、グロリア・スチュアートって誰だよ、という声も聞こえてきそうですが、ケイト・ウィンスレットの年老いた姿です。それを演じるのがグロリア・スチュアートという女優で、そもそも、彼女が冒頭でタイタニックの引き揚げ作戦のクルーの隊長からどうやってタイタニック号が沈んだか細かく教えてもらい、そしてディカプリオとの悲恋を思い出すという構成なのだから、あのローズという名の女性が主人公です。

でも、「主役は一人だけ」と言いながら二人の役者が主役というのはおかしいのでは? という声が聞こえてきそうですが、それは「同一の役」だからです。『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランドと『ゴッドファーザーPARTⅡ』のデ・ニーロがヴィトー・コルレオーネという同一の役を演じていたのと同じように、『タイタニック』のケイト・ウィンスレットとグロリア・スチュアートも同一のローズという女性を演じているのです。一人二役だから主役の役者は二人いますが、「主役」ではなく「主人公」という言葉を使えば、それはローズ一人しかいません。

ここまでを大前提として、↓次の例↓はどう思われますか?


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『エリザベス』でエリザベス女王を演じたケイト・ブランシェットと、『恋におちたシェイクスピア』でエリザベス女王を演じたジュディ・デンチ。

それこそ同一人物なんだから同一の役でしょう。

というのは間違いです。

確かにどちらもエリザベスⅠ世です。でも、同一人物だからといって、『エリザベス』におけるエリザベスⅠ世と、『恋におちたシェイクスピア』のエリザベスⅠ世は違う人物というか、「違う役」だと思うんです。

はるか昔、中学生だった私は、父だったか兄だったかが本棚に置いていた、山岡荘八の『織田信長』全5巻をむさぼるように読みました。

あの大長編小説で描かれていた信長は、「女のように白い肌をして、所作がたおやかで、虫も殺せないような男」みたいな感じで形容されていました。

これを言うと、「信長ってほんとはそういう人だったのか!?」と聞いてくる人がいるんですが、それは大きなお間違いです。小説なんだからフィクションです。

確かに「織田信長」という人は実在したけど、それを小説にするとき、「短気ですぐ側近を叩き斬る」みたいな誰もが抱く信長のイメージを書いたって「これは従来の信長像を一歩も出ていない」と低評価になってしまうじゃないですか。それを上述のように描写すれば「この信長像は新しい!」と高評価を得られる。あくまでも「歴史に材を取ったフィクション」なんだから、小説や映画の中に歴史そのものが詰まっているなんて考えてはいけません。

それと同じで、『エリザベス』のエリザベスⅠ世と、『恋におちたシェイクスピア』のエリザベスⅠ世は同一の役、同一の登場人物ではありません。どちらも見たのが遠い過去なのであまり憶えてないけど、ぜんぜん違うはずです。まったく違う製作陣によって造形された人物=役なのだから当然です。

同じ人物をモデルにした、『サイコ』のノーマン・ベイツと『悪魔のいけにえ』のレザーフェイスはもちろん違う役ですし、同じ『野獣死すべし』という原作から作られた、仲代達矢の伊達邦彦と、松田優作の伊達邦彦も違う役でしょう。まぁあれは松田優作がかなりアドリブ連発したからというもあるんでしょうけど。


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2013-11-01



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