MBSの『映像’25』を久しぶりに見ました。が、ちょっと、いや、だいぶがっかりしました。『プレバト!』などで人気の清水麻椰アナウンサーがナビゲーターを務めた「神戸生まれ、震災を知らない ~30年前の報道と今~」。


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1995年12月20日に生まれたという清水麻椰は震災を知らない。神戸生まれなのに震災を知らないということで、やましさを感じ、震災報道にも及び腰だったという。

それはよくわかります。私は当時京都にいて震度5だったけど、かなり揺れたらしいです。らしい、というのは、夜が明けるまで寝ていたから知らないのです。映画の専門学校の卒業製作で疲労困憊していて、たまたま泊まっていた友人がタンスなど押さえてくれたらしいです。

そのあたりのことについてはこの記事を参照してみてください。⇒私は震災を知らない神戸っ子

さて、今回の映像’25、「神戸生まれ、震災を知らない」はそんな清水アナのやましさからスタートしますが、後半になるとそれが忘れ去られてしまいます。

それどころか、自分たちのしたことを自画自賛し、さらには、6000人以上もの人が死んだ震災を題材にしたドキュメンタリーなのに、「いい画を撮ろう」という決してもってはならない欲望をもってしまった失敗作と思います。


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清水アナのやましさなどどこ吹く風とばかり、この番組が焦点を合わせるのは、震災直後の倒壊した家屋で瓦礫を撤去する市民たちから、

「カメラ撮る暇があったら手伝えや!」

と罵声を浴びせられる映像です。

このシーンを見たときは、94年のピューリッツァー賞を受賞した『ハゲワシと少女』を思い出しました。


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ハゲワシが死にかけた少女の命を狙っている。素晴らしい写真だと評価される一方で、「助けるべきだ」と非難囂々の声が上がり、これを撮った写真家は自殺しました。

なるほど、『映像’25』は報道の自由と義務と、どこまで撮影が許されるのかという難しい問題に切り込むのだな、と身を乗り出したんですよ。

ところが……!


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清水麻椰が一人の女性と会います。加藤さんというその人は広島に住む方なんですが、息子さんが大学進学と同時に、神戸のまさにあの「カメラ撮ってる暇があったら手伝えや!」と罵声が飛び交ったあの団地に移住し、被災、亡くなったそうです。

その母親に清水麻椰が訊きます。「あの言葉(カメラ撮ってる暇が~)をどう思いますか?」と。

加藤さんはこう答えます。

「30年もたってますからね。当時と今とでは違うと思うんです。当時だったら私も同じようにそんな暇があったら手伝えって言ったかもしれない。でも、いまとなってはね、やっぱり当時のことを映像として見れるわけだから、記録する意義は大きいんじゃないでしょうか」

被害者遺族から「お墨付き」をもらったとMBSは自画自賛しているわけです。もっといろんな人の意見を聞かなアカンのちゃうん? というのが正直なところ。一人の遺族の意見ですべてが決まるわけがない。

それ以上に笑ってしまったのが、加藤さんの亡くなった息子さんの誕生日が12月20日だということ。清水麻椰と同じなんですね。

あの「カメラ撮ってる暇があったら手伝えや!」の団地に住んでた人で震災を知らない清水麻椰と誕生日が一緒の人がいる、と調べがついたとき、製作陣は喝采を叫んだんでしょうね。これは視聴率を撮れるぞ、と。

こんないじわるな見方をしたのには理由があります。

清水麻椰と加藤さんと話をする前後に、電車が画面を横切るショットがあるんです。


ダウンロード(この画像は番組とは関係ありません)

映像と列車って相性がいいじゃないですか。リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』をもちだすまでもなく、これまで130年の映画史において、いろんな映画が走る列車を表象してきました。

私も撮影現場で働いていたときは何度も「電車待ち」と称して、何時何分に踏切を通る列車を、マイクをもちながら待っていたものです。

列車を撮るというのは仮にそれがドキュメンタリーであっても、「作為的」なものです。何時何分にこの踏切を通るとわかっている列車を待つ、という行為が作為なのです。

作者たちは「いい画」を撮ろうとしている。でも、その「いい画」って、あの加藤さんの息子さんが住んでいた団地で「カメラ撮ってる暇があったら手伝え」と言われたときに狙っていたものでもありますよね。

震災を記録したい。それはわかります。そういう純粋な気持ちがなかったなんて言いません。でも、「少しでもおいしい画を撮りたい」「数字を撮れる画を撮りたい」という欲望だってあったはずなのです。『ハゲワシと少女』を撮ったカメラマンにだってそういう色気はあったでしょう。私はそれを否定しません。むしろ『ハゲワシと少女』のカメラマンを自殺に追い込んだ人々を憎みます。

加藤さんと同じように、後世のために記録しておくためにも、映像として撮れるものは撮っておくべきだと思います。

ただ、「いい画」を撮りたいじゃなくて、「ただ記録したい」というところからスタートすべきでしょう。あの列車が画面を横切る「映画のようないい画」はいらなかったんじゃないでしょうか。あそこに製作者たちの「いい画」を撮りたい、きれいな画面にしたいという欲望が透けて見える。やはり、清水麻椰と加藤さんの二人だけの会話を「記録」すべきだったでしょう。列車のインサートなんかなしで。

そして、清水麻椰と誕生が同じ被災者の遺族をわざわざ見つけてきてインタビューし、涙のグランドフィナーレで幕を閉じようという「あざとさ」がただただもう醜いとしか言いようがありません。

私と同じ震災を知らない神戸っ子。清水麻椰は完成したこの番組をどう見たのでしょうか。できることなら聞いてみたいです。




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