『#スージー・サーチ』(2022、アメリカ・イギリス)
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原案:ウィリアム・デイ・フランク&ソフィー・カーグマン
脚本:ウィリアム・デイ・フランク
監督:ソフィー・カーグマン
出演:カーシー・クレモンズ、アレックス・ウルフ、ジム・ガフィガン


(以下ネタバレあり)
承認欲求という魔物に魅せられた女子大生ポッドキャスターが、いつしか危険な世界に足を踏み入れ……という物語なんですが、この際、内容はどうでもいいです。

私がこだわりたいのは、主人公の女の子が歯の矯正をしていることです。


歯の矯正と妊婦
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突然ですが、映画の中の妊婦って、終盤になって流産してクライシスを迎え入れたり、出産して歓喜を呼び起こしたりと、何らかの「役割」を背負ってますよね。

その役割=コードをご破算にして見せたのが、あのジョージ・A・ロメロの傑作『ゾンビ』でした。(参照記事⇒『ゾンビ』感想(妊婦のコードを破ってみせたロメロ)

歯の矯正も似たようなものだと思ったんですよね。脇役ならいざ知らず、主役が歯の矯正をしているなら、何らかの形で物語に関係していると読むのが普通でしょうが、何とこの映画、最後まで主人公が歯の矯正をしている意味を語りません。

私は妊婦に関して、「妊婦として登場して、そのまま出産も流産もせず、そのまま妊婦として終幕を迎える」シナリオを夢想したことがありました。主役でも脇役でもいい。そういう「役割」から解放された妊婦を見たい、それだけで新しいんじゃないか、と。

だから、この『#スージー・サーチ』も、歯の矯正をしている主人公が歯の矯正をしたまま、その意味をまったく語らず終幕を迎える映画として、称賛に値するのかも……?

私としては、終盤で主人公は命の危険に遭うので、そのときに歯を折られて、矯正器具を外し、それで拳銃をもった相手の腕を引っ掻いて拳銃を奪ってズギューーン! みたいなのを期待してたんですがね。

でも、ラストシーンで英雄としてテレビ出演を果たした主人公は何やら意味ありげに、上の画像のように歯の矯正をこれでもかと見せびらかして終わるのです。何かおかしいぞ。


監督の弁
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私はクリント・イーストウッドと同じように、映画はスクリーンに映ったものがすべてという考え方なので、あまりインタビューを読んだり調べたりはしないんですが、今回は調べて監督のインタビューを読んでみました。驚きました。

「“歯の矯正をしていても、ちゃんと自分に自信も誇りも持っている人物だ”ということを描きたくて、歯科矯正をしている設定にしました。歯の矯正をしているキャラクターが登場すると、観客は自信なさげなアウェイなキャラクターだと判断してしまいがちですが、それに対するアンチテーゼの意図があります。矯正装置をカラフルにしたのは作品の色調に合わせました」

「実は、撮影の段階では、スージーが大学の教授から「歯科矯正をしていると社交的に損してしまうのに、何故しているのか」と聞かれる場面がありました。そこでスージーは「本当は小さい頃に矯正をしたかったけれど、お金がなかった。自分で稼げるようになっても、病気の母の治療費にお金を回さなくてはならず、13年かけてこつこつ貯めたお金でやっと矯正することができた。だからこの矯正を誇りに思っている」と答えるのですが、編集段階で泣く泣くカットしました」


何と! こんなちゃんとした背景があったのですね。なぜカットしたんだろう。すごく大事なセリフじゃないですか。

これらのセリフがちゃんとカットされずに観客の耳に届いていれば、ラストの主人公の、歯の矯正器具を見せびらかすような笑みがもっと感動的になったんじゃないですかね。あ~あ、もったいない!




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