『成瀬は天下を取りにいく』『成瀬は信じた道を行く』で一世を風靡中の宮島未奈さんの最新作『婚活マエストロ』を読んだんですが、これがちょいと残念な出来映えでした。(以下ネタバレあり)
主人公に魅力がない
『成瀬』シリーズはとにかく大好きで、主人公の成瀬あかりのキャラクターがとても魅力的なので夢中で読んでしまうんですが、この『婚活マエストロ』の主人公・猪名川健人にはまったく魅力がない。
こたつ記事ばかり書くいい加減なライターで、40歳になったばっかりで、ひょんなことから婚活会社の仕事を手伝うようになる。過去に彼女はいたが真剣に結婚を考えたことは一度もなく、学生時代から住んでいる安アパートに20年近く住んでいる。好きな時間に寝て好きな時間に起き、クライアントとはメールやLINEで事足りるので、会話をするのは、田中宏という名の好々爺の大家さんか近所のローソンの店員くらい。
そんな毎日を変えてくれる出逢いが婚活会社の仕事だった。その会社の婚活パーティーを一人で仕切っている鏡原さんという女性。さて、この恋の行方は!?
という内容なんですけど、いきなりネタバレすると、恋路の行方ははっきりとは書かれていません。はっきりとは書かれてないけど、まぁ、あれはうまくいく感じですよね。そう匂わせて物語は幕を閉じるのですが、成瀬あかりと違い、この猪名川健人というキャラクターには本当に何の魅力もありません。
いい加減なこたつ記事を書いていることは気に病んでいる様子。それなら、そこからの脱却も書かないといけないのでは? 婚活パーティーの様子を描写するより、そっちを読みたいし、何より、終盤、鏡原さんにハンドクリームをプレゼントするときに、他のこたつ記事ライターが書いたものを参考にして買い求めるっておかしくないですか? あれだけ自分の仕事にやましさを感じているのに。同業者なんか信用ならないと思うのが普通かと。
いい人しか出てこない
それに何より、この小説にはいい人しか出てこないですよね。
例えば、婚活パーティーでちょっとした知り合いになった男がカップル成立すると、猪名川健人という男は「よかった」と喜ぶんですよね。
いやいや!
そこは、妬ましく思うのが普通だろうし、そうでないと「共感」できません。
昔、シナリオ学校に行っていた頃、「主人公が利他的な人になってめでたしめでたし」みたいな話を書いたら、講師にこう言われました。
「社会通念上は利他的なほうがいいとされているけど、フィクションの主人公をそうしてしまうと共感できなくなっちゃうんだ。立派な人は立派であるがゆえに共感できない。半端者のほうが自分と同じ感じがして共感できる。利他的より利己的なキャラクターのほうがいいんだよ」
他人の幸福を喜ぶのはとてもいいことなんだろうけど、誰しもがそんな芸当ができるわけではない。妬み、失敗しろと心の中で叫ぶほうがリアリティがあるし、共感できる。
そういえば、昔、マザーテレサを主人公にした映画を母が見に行って「ぜんぜん面白くなかった」と言ってたっけ。
最後、鏡原さんといい感じになる猪名川健人だけど、それまでにかなり白けて読んでいたので、そういうラストを読んでもほっこりすることができず、別にこんな奴どうでもいいよ、と思ったのが正直な感想です。
一人称か三人称か
『成瀬』シリーズも『婚活マエストロ』も一人称で書かれています。
『成瀬』は、主人公・成瀬あかりの周囲にいる人物を語り手として、つまり、脇役を語り手として、成瀬あかりの唯一無二性を浮き彫りにする手法で、とても素晴らしかった。
でも、『婚活マエストロ』では、その一人称の良さが活かされていません。普通に三人称でよかったのでは?
30年くらい前の新聞の書評欄に、ある小説家がこんなことを書いていました。
「新人作家があるアイデアを思いついて、それを一人称で書くか三人称で書くか3年悩んだとする。3年たって初めて書けた。その作品が仮につまらなくても、次回作において大きな収穫となる。それほどまでに、一人称で書くか三人称で書くかは難しく、そして大切な問題だ」
まことに僭越ながら、宮島未奈さんはほとんど考えずに一人称で書いているのではないでしょうか。素人の私も、3作の小説を書きましたが、どれも一人称です。おそらく一人称のほうが書きやすいんだと思います。易きに流れていないか。自分のことは棚に上げて言うのですが。
というわけで、宮島未奈さん待望の新作でしたが、読み終わってどっと疲れが出ました。
主人公に魅力がない
『成瀬』シリーズはとにかく大好きで、主人公の成瀬あかりのキャラクターがとても魅力的なので夢中で読んでしまうんですが、この『婚活マエストロ』の主人公・猪名川健人にはまったく魅力がない。
こたつ記事ばかり書くいい加減なライターで、40歳になったばっかりで、ひょんなことから婚活会社の仕事を手伝うようになる。過去に彼女はいたが真剣に結婚を考えたことは一度もなく、学生時代から住んでいる安アパートに20年近く住んでいる。好きな時間に寝て好きな時間に起き、クライアントとはメールやLINEで事足りるので、会話をするのは、田中宏という名の好々爺の大家さんか近所のローソンの店員くらい。
そんな毎日を変えてくれる出逢いが婚活会社の仕事だった。その会社の婚活パーティーを一人で仕切っている鏡原さんという女性。さて、この恋の行方は!?
という内容なんですけど、いきなりネタバレすると、恋路の行方ははっきりとは書かれていません。はっきりとは書かれてないけど、まぁ、あれはうまくいく感じですよね。そう匂わせて物語は幕を閉じるのですが、成瀬あかりと違い、この猪名川健人というキャラクターには本当に何の魅力もありません。
いい加減なこたつ記事を書いていることは気に病んでいる様子。それなら、そこからの脱却も書かないといけないのでは? 婚活パーティーの様子を描写するより、そっちを読みたいし、何より、終盤、鏡原さんにハンドクリームをプレゼントするときに、他のこたつ記事ライターが書いたものを参考にして買い求めるっておかしくないですか? あれだけ自分の仕事にやましさを感じているのに。同業者なんか信用ならないと思うのが普通かと。
いい人しか出てこない
それに何より、この小説にはいい人しか出てこないですよね。
例えば、婚活パーティーでちょっとした知り合いになった男がカップル成立すると、猪名川健人という男は「よかった」と喜ぶんですよね。
いやいや!
そこは、妬ましく思うのが普通だろうし、そうでないと「共感」できません。
昔、シナリオ学校に行っていた頃、「主人公が利他的な人になってめでたしめでたし」みたいな話を書いたら、講師にこう言われました。
「社会通念上は利他的なほうがいいとされているけど、フィクションの主人公をそうしてしまうと共感できなくなっちゃうんだ。立派な人は立派であるがゆえに共感できない。半端者のほうが自分と同じ感じがして共感できる。利他的より利己的なキャラクターのほうがいいんだよ」
他人の幸福を喜ぶのはとてもいいことなんだろうけど、誰しもがそんな芸当ができるわけではない。妬み、失敗しろと心の中で叫ぶほうがリアリティがあるし、共感できる。
そういえば、昔、マザーテレサを主人公にした映画を母が見に行って「ぜんぜん面白くなかった」と言ってたっけ。
最後、鏡原さんといい感じになる猪名川健人だけど、それまでにかなり白けて読んでいたので、そういうラストを読んでもほっこりすることができず、別にこんな奴どうでもいいよ、と思ったのが正直な感想です。
一人称か三人称か
『成瀬』シリーズも『婚活マエストロ』も一人称で書かれています。
『成瀬』は、主人公・成瀬あかりの周囲にいる人物を語り手として、つまり、脇役を語り手として、成瀬あかりの唯一無二性を浮き彫りにする手法で、とても素晴らしかった。
でも、『婚活マエストロ』では、その一人称の良さが活かされていません。普通に三人称でよかったのでは?
30年くらい前の新聞の書評欄に、ある小説家がこんなことを書いていました。
「新人作家があるアイデアを思いついて、それを一人称で書くか三人称で書くか3年悩んだとする。3年たって初めて書けた。その作品が仮につまらなくても、次回作において大きな収穫となる。それほどまでに、一人称で書くか三人称で書くかは難しく、そして大切な問題だ」
まことに僭越ながら、宮島未奈さんはほとんど考えずに一人称で書いているのではないでしょうか。素人の私も、3作の小説を書きましたが、どれも一人称です。おそらく一人称のほうが書きやすいんだと思います。易きに流れていないか。自分のことは棚に上げて言うのですが。
というわけで、宮島未奈さん待望の新作でしたが、読み終わってどっと疲れが出ました。
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