30年前の話をします。なぜか急にふっと思い出したので。(以下は記憶に基づくもので、一切調べてないので事実関係の信憑性は低いです)
京都の映画専門学校時代に、卒業製作の準備が終わるといつも友人たちと近くの定食屋で晩飯を食んでいたんですが、そのときに私の伯父の話になり、医学部の教授をしているというと、じゃあ、あの『白い巨塔』の田宮二郎みたいに権謀術数を使ったわけだな、悪人め。みたいなことを言われたので私は大笑いした。
「あれは映画ではないか」
みんなきょとんとしていた。映画ってどういうこと、と。
「だからフィクションでしょ。いい医者が一人だけで、あと全部悪い医者なんてありえない。誇張してるだけでしょ。映画を現実と混同してはいけない」
というと、みんな、ハアみたいな感じでびっくりした。誰だったか、自分のシナリオを書くのに、ろくに調べずに、逆探知のやり方を黒澤の『天国と地獄』で勉強したと言ってた。呆れた。フィクション作品で物事を調べてはいけない。
さて、当時、私はその学校で「日本映画をまったく見ない奴」となぜか思われていて、「なんで『白い巨塔』を見てるのか」と問いつめられた。
「そりゃ山本薩夫の映画は見なきゃ」
「山本薩夫って誰だ」
「マジか、『白い巨塔』の監督だよ」
「その人、有名なの?」
呆れた。
山本薩夫は一流大学を出て、東宝だったかPCLだったかに入って成瀬巳喜男の下で助監督として働き、監督デビューを果たす。労働組合の委員長に就任し、会社と対決する日々を経て、共産党員だったため、戦後、レッド・パージによって解雇される。その後、独立プロダクションを興して『荷車の歌』など左翼系の映画を多く撮るが、腕があったため、大映の永田雅一に請われて『忍びの者』の監督をやり、その他『白い巨塔』『氷点』など大映の娯楽映画で辣腕を振るう。時代が下ると、東宝で『不法地帯』や『金環蝕』など社会派娯楽映画で名を馳せる。
というようなことを友人たちに話して聞かせた。誰も何も知らなかった。
「山本薩夫と似たような人に家城巳代治という監督がいる」
と言っても、誰も家城の名前すら知らなかった。ここで大事なのは、友人たちが家城を知らなかったことではなく、山本薩夫はタイクーンだった永田雅一からオファーを受けて娯楽映画を撮ったりしているのに、家城は独立プロダクションで左翼系の思想映画しか撮れなかったことだ。
話はがらりと変わり、その当時に見た映画で印象に残っているものに『悪魔のサンタクロース』があった。1984年のアメリカン・ホラーである。
なぜ泣き笑いしたかというと、あまりにも低予算だったから。
それはともかく、内容はというと、幼いころにサンタクロースの扮装をした犯罪者に、目の前で父親を銃殺され、母親をレイプされた男の子が、大人になってそのサンタクロースと同じような殺人鬼になってしまうという何ともおかしな映画だった。
目の前で両親がレイプされ惨殺されたことがトラウマとなっている少年が、大人になって職場の倉庫で同僚の女がレイプされかかっているのを見て狂乱してレイプ犯を殺すまではわかる。でも、レイプされてたほうの女をも殺し、あろうことか恩人である社長をも殺すという展開に、まったくついていけないものを感じたのである。
しかし、何とも妙な後味のある映画で、嫌いになれない。そのわけが山本薩夫と家城巳代治の話をしていてわかったのである。
トラウマのある少年が悪い奴を殺すのはわかる。でも何の咎もない善人まで殺すのはわけがわからない。でもその「わけがわからない」ところに映画の秘密があるのだと思う。
加藤泰の『みな殺しの霊歌』について、レイプされた少年自身が復讐する話じゃないと納得いかないと毒づいた映画評論家に対し、脚本家で監督でもあった大和屋竺が、
「それでは何の不思議もありはしない。命がけの飛躍がない」
と反論したのは有名な話。
『悪魔のサンタクロース』は、成功しているかどうかはもはや定かではないが、「命がけの飛躍」をやろうとしていたのだ。そしてそれは、『白い巨塔』における「いい医者が一人だけであとは全部悪い医者」という現実離れした設定にも言えることだ。
おそらく、大映をはじめ大手の映画会社で娯楽映画の監督オファーが来た山本薩夫に対し、左翼系思想映画しか撮れなかった家城巳代治は、そういう「命がけの飛躍」をしたことがなかったんじゃないか。1本しか見たことないからよく知らんが。
労働者の味方をする。共産党員なら当然のこと。しかし、映画においては当然でないことがたくさんある。レッド・パージで共産党員を追放しておきながら、大手の映画会社は共産主義や社会主義の映画を量産していた。利潤を追求すべき資本主義社会における大会社が、なぜそんなことを。という命がけの飛躍。不思議につぐ不思議。
孤児院や会社の倉庫のセットが泣きそうになるくらい貧弱だというそんな理由で『悪魔のサンタクロース』を責めることは許されないし、ここらで『氷点』くらい見直そうか、という気持ちにかられた晩秋の夕暮れだった。
京都の映画専門学校時代に、卒業製作の準備が終わるといつも友人たちと近くの定食屋で晩飯を食んでいたんですが、そのときに私の伯父の話になり、医学部の教授をしているというと、じゃあ、あの『白い巨塔』の田宮二郎みたいに権謀術数を使ったわけだな、悪人め。みたいなことを言われたので私は大笑いした。
「あれは映画ではないか」
みんなきょとんとしていた。映画ってどういうこと、と。
「だからフィクションでしょ。いい医者が一人だけで、あと全部悪い医者なんてありえない。誇張してるだけでしょ。映画を現実と混同してはいけない」
というと、みんな、ハアみたいな感じでびっくりした。誰だったか、自分のシナリオを書くのに、ろくに調べずに、逆探知のやり方を黒澤の『天国と地獄』で勉強したと言ってた。呆れた。フィクション作品で物事を調べてはいけない。
さて、当時、私はその学校で「日本映画をまったく見ない奴」となぜか思われていて、「なんで『白い巨塔』を見てるのか」と問いつめられた。
「そりゃ山本薩夫の映画は見なきゃ」
「山本薩夫って誰だ」
「マジか、『白い巨塔』の監督だよ」
「その人、有名なの?」
呆れた。
山本薩夫は一流大学を出て、東宝だったかPCLだったかに入って成瀬巳喜男の下で助監督として働き、監督デビューを果たす。労働組合の委員長に就任し、会社と対決する日々を経て、共産党員だったため、戦後、レッド・パージによって解雇される。その後、独立プロダクションを興して『荷車の歌』など左翼系の映画を多く撮るが、腕があったため、大映の永田雅一に請われて『忍びの者』の監督をやり、その他『白い巨塔』『氷点』など大映の娯楽映画で辣腕を振るう。時代が下ると、東宝で『不法地帯』や『金環蝕』など社会派娯楽映画で名を馳せる。
というようなことを友人たちに話して聞かせた。誰も何も知らなかった。
「山本薩夫と似たような人に家城巳代治という監督がいる」
と言っても、誰も家城の名前すら知らなかった。ここで大事なのは、友人たちが家城を知らなかったことではなく、山本薩夫はタイクーンだった永田雅一からオファーを受けて娯楽映画を撮ったりしているのに、家城は独立プロダクションで左翼系の思想映画しか撮れなかったことだ。
話はがらりと変わり、その当時に見た映画で印象に残っているものに『悪魔のサンタクロース』があった。1984年のアメリカン・ホラーである。
なぜ泣き笑いしたかというと、あまりにも低予算だったから。
それはともかく、内容はというと、幼いころにサンタクロースの扮装をした犯罪者に、目の前で父親を銃殺され、母親をレイプされた男の子が、大人になってそのサンタクロースと同じような殺人鬼になってしまうという何ともおかしな映画だった。
目の前で両親がレイプされ惨殺されたことがトラウマとなっている少年が、大人になって職場の倉庫で同僚の女がレイプされかかっているのを見て狂乱してレイプ犯を殺すまではわかる。でも、レイプされてたほうの女をも殺し、あろうことか恩人である社長をも殺すという展開に、まったくついていけないものを感じたのである。
しかし、何とも妙な後味のある映画で、嫌いになれない。そのわけが山本薩夫と家城巳代治の話をしていてわかったのである。
トラウマのある少年が悪い奴を殺すのはわかる。でも何の咎もない善人まで殺すのはわけがわからない。でもその「わけがわからない」ところに映画の秘密があるのだと思う。
加藤泰の『みな殺しの霊歌』について、レイプされた少年自身が復讐する話じゃないと納得いかないと毒づいた映画評論家に対し、脚本家で監督でもあった大和屋竺が、
「それでは何の不思議もありはしない。命がけの飛躍がない」
と反論したのは有名な話。
『悪魔のサンタクロース』は、成功しているかどうかはもはや定かではないが、「命がけの飛躍」をやろうとしていたのだ。そしてそれは、『白い巨塔』における「いい医者が一人だけであとは全部悪い医者」という現実離れした設定にも言えることだ。
おそらく、大映をはじめ大手の映画会社で娯楽映画の監督オファーが来た山本薩夫に対し、左翼系思想映画しか撮れなかった家城巳代治は、そういう「命がけの飛躍」をしたことがなかったんじゃないか。1本しか見たことないからよく知らんが。
労働者の味方をする。共産党員なら当然のこと。しかし、映画においては当然でないことがたくさんある。レッド・パージで共産党員を追放しておきながら、大手の映画会社は共産主義や社会主義の映画を量産していた。利潤を追求すべき資本主義社会における大会社が、なぜそんなことを。という命がけの飛躍。不思議につぐ不思議。
孤児院や会社の倉庫のセットが泣きそうになるくらい貧弱だというそんな理由で『悪魔のサンタクロース』を責めることは許されないし、ここらで『氷点』くらい見直そうか、という気持ちにかられた晩秋の夕暮れだった。
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