ピーター・フォンダが1977年に主演した『アウトローブルース』を再見し、舌鼓を打ちました。(以下ネタバレあり)
『アウトローブルース』(1977、アメリカ)
脚本:B・W・L・ノートン
監督:リチャード・T・ヘフロン
出演:ピーター・フォンダ、スーザン・セント・ジェームズ、ジョン・クロフォード、ジェームズ・キャラハン
物語の暴走
かつて黒沢清が、サミュエル・フラーの『最前線物語』を評して「物語の暴走」と言ってましたが、この『アウトローブルース』も負けず劣らず物語が暴走しています。
・囚人のピーター・フォンダの歌を大物カントリー歌手デュプレが盗作する。(10分)
・仮釈放になったピーター・フォンダがデュプレに会いに行き、警察署長の拳銃が暴発してデュプレの足を撃ってしまう。(20分)
・デュプレの弁護士の女がピーター・フォンダのテープを発見。ラジオ局に売り込みをかけ、ピーター・フォンダが有名人となる。(30分)
こんな感じで、全部で100分、三幕構成で第一幕は25分なのだけど、それより少し多めにかかってはいるが、物語の足は驚くほど速い。何しろ盗作されるまでをたった10分というのはまさに「物語の暴走」である。
こんなふうに、活きのいいアメリカ映画はみなそうだけど、語りの経済効率が素晴らしい。でも、それだけでは傑作にはなれなかったと思う。
この映画ではデュプレの足を撃ってからずっとピーター・フォンダが警察から追われていて、しかもなかなか捕まらない。
最後にはメキシコまで逃れてめでたく結婚式まで挙げてしまう。
それほどまでに、この映画の警察はピーター・フォンダとその女を捕まえるのに苦労している。ネット上でこの映画のことを「ただのドタバタ」と言っている人は、おそらく警察が無能だから犯罪者の主人公がなかなか捕まらないと思ってそう言うのでしょう。
でも、作者たちはそこにこそあの手この手を使っていると私は思うのです。
密告者を映さない
ピーター・フォンダとその女は、レコーディングに出かけたり、レコード屋に出没したり、結構社会のなかに出て行っています。
当然、通報があって警察が来ます。でも、この手の犯罪映画でよくある、一般市民が警察にこっそり通報するシーンをこの映画ではまったく描いていません。
逆に、警察の手から逃げる二人を市民たちはまるで二人がヒーローであるかのように囃し立てる。二人が犯罪者だから憎む人間もいるでしょうが、そういう人をオンでは描かない。オンで描かれるのは彼らを応援する人たちだけ。
警察が彼らを逮捕できないのは、大衆が彼らに味方する人間ばかりだからだ、というふうに、この映画の作者たちは理屈づけています。警察が無能なのではない、彼らに喝采を贈る庶民の力が警察の力を殺いでいるのだ、と。小さいことかもしれませんが、私は密告者をオンで描かないのはとても大きいと思いました。
警察署長=未来の市長
それと、署長ですね。
先述のとおり、ピーター・フォンダがデュプレの足を撃ってしまったのは署長の拳銃が暴発したからでした。マスコミからも「あれは事故ではありませんか」と突っ込まれる。
まず警察の過失を指摘する。そして、その署長は市長候補であり、彼は純粋に警察官としてピーター・フォンダとその女を逮捕したいというより、選挙に勝ちたいから彼らを追っている、という設定にする。
そんなよこしまな動機で追跡するからしくじるんだよ、という仕掛けになっています。
脚本を書いたB・W・L・ノートンは『NAM 地獄の突破口』の監督ですが、とてもいい仕事をしていると感じました。
何はともあれ、署長さん、市長選挙に当選できておめでとうございます!(ラストシーンの女のナレーションで判明します)
『アウトローブルース』(1977、アメリカ)
脚本:B・W・L・ノートン
監督:リチャード・T・ヘフロン
出演:ピーター・フォンダ、スーザン・セント・ジェームズ、ジョン・クロフォード、ジェームズ・キャラハン
物語の暴走
かつて黒沢清が、サミュエル・フラーの『最前線物語』を評して「物語の暴走」と言ってましたが、この『アウトローブルース』も負けず劣らず物語が暴走しています。
・囚人のピーター・フォンダの歌を大物カントリー歌手デュプレが盗作する。(10分)
・仮釈放になったピーター・フォンダがデュプレに会いに行き、警察署長の拳銃が暴発してデュプレの足を撃ってしまう。(20分)
・デュプレの弁護士の女がピーター・フォンダのテープを発見。ラジオ局に売り込みをかけ、ピーター・フォンダが有名人となる。(30分)
こんな感じで、全部で100分、三幕構成で第一幕は25分なのだけど、それより少し多めにかかってはいるが、物語の足は驚くほど速い。何しろ盗作されるまでをたった10分というのはまさに「物語の暴走」である。
こんなふうに、活きのいいアメリカ映画はみなそうだけど、語りの経済効率が素晴らしい。でも、それだけでは傑作にはなれなかったと思う。
この映画ではデュプレの足を撃ってからずっとピーター・フォンダが警察から追われていて、しかもなかなか捕まらない。
最後にはメキシコまで逃れてめでたく結婚式まで挙げてしまう。
それほどまでに、この映画の警察はピーター・フォンダとその女を捕まえるのに苦労している。ネット上でこの映画のことを「ただのドタバタ」と言っている人は、おそらく警察が無能だから犯罪者の主人公がなかなか捕まらないと思ってそう言うのでしょう。
でも、作者たちはそこにこそあの手この手を使っていると私は思うのです。
密告者を映さない
ピーター・フォンダとその女は、レコーディングに出かけたり、レコード屋に出没したり、結構社会のなかに出て行っています。
当然、通報があって警察が来ます。でも、この手の犯罪映画でよくある、一般市民が警察にこっそり通報するシーンをこの映画ではまったく描いていません。
逆に、警察の手から逃げる二人を市民たちはまるで二人がヒーローであるかのように囃し立てる。二人が犯罪者だから憎む人間もいるでしょうが、そういう人をオンでは描かない。オンで描かれるのは彼らを応援する人たちだけ。
警察が彼らを逮捕できないのは、大衆が彼らに味方する人間ばかりだからだ、というふうに、この映画の作者たちは理屈づけています。警察が無能なのではない、彼らに喝采を贈る庶民の力が警察の力を殺いでいるのだ、と。小さいことかもしれませんが、私は密告者をオンで描かないのはとても大きいと思いました。
警察署長=未来の市長
それと、署長ですね。
先述のとおり、ピーター・フォンダがデュプレの足を撃ってしまったのは署長の拳銃が暴発したからでした。マスコミからも「あれは事故ではありませんか」と突っ込まれる。
まず警察の過失を指摘する。そして、その署長は市長候補であり、彼は純粋に警察官としてピーター・フォンダとその女を逮捕したいというより、選挙に勝ちたいから彼らを追っている、という設定にする。
そんなよこしまな動機で追跡するからしくじるんだよ、という仕掛けになっています。
脚本を書いたB・W・L・ノートンは『NAM 地獄の突破口』の監督ですが、とてもいい仕事をしていると感じました。
何はともあれ、署長さん、市長選挙に当選できておめでとうございます!(ラストシーンの女のナレーションで判明します)
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