『ナミビアの砂漠』(2024、日本)
脚本・監督:山中瑶子
出演:河合優実、金子大地、寛一郎、新谷ゆづみ、中島歩、唐田えりか
河合優実の無駄遣い
TBSドラマ『不適切にもほどがある!』でブレイクし、お茶の間でも認知されるようになった河合優実の新作ですが、うーん、、、これはどうなんでしょうねぇ。
映画史上最高の演技は誰のものか。男優は措いといて女優は? 彼女と比較するのは酷かもしれんが、私は河合優実には絶大な期待を寄せているのであえて比較するのである。
その名はキャサリン・ヘップバーンでもジョディ・フォスターでもなく、シガニー・ウィーバー。作品名は『エイリアン2』。この選び方には異論がある人が大多数だろうけど、私は確信をもって挙げる。
あの映画のシガニー・ウィーバーは、この映画の屋台骨はぜんぶ私一人で支えてみせる! と言わんばかりの大熱演であった。『ナミビアの砂漠』の河合優実にそれだけの気概があっただろうか。というか、今作に支えるべき「屋台骨」があっただろうか。
女優ではないが、例えば『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のレオナルド・ディカプリオ、または『ベン・ハー』のチャールトン・ヘストンみたいに、俺の芝居で10億ドル稼がせてやるぜ! みたいな気概を見せてほしかった。
というか、そういう気概を見せたくなるような内容じゃなかったというのが、最後まで見ての感想です。
その理由のひとつはやはり「病気」でしょう。
「病気」はキャラクターにあらず
河合優実が演じるカナという21歳の刹那的に生きるイマドキ女子が、恋人役の金子大地に言いがかりをつけ暴力をふるい、いったいどうしたのかと思ったら、躁うつ病だと。
ファーストシーンから見る気を殺がれ続けてましたが、あの中島歩医師が登場する場面ほどげんなりさせられたシーンはなかった。
もうこのブログで何度も言ってるけど、「病気」や「癖」(口癖も含む)は「キャラクター」(人格・性格)ではない。
病気になって生きづらい。そりゃ私だって同じ躁うつ病だから生きづらいが、そんなの映画にならんのだよ。
彼女は闘病中。それはいいが、文学と違い、闘病は映画になりにくい。『エイリアン2』と無理やり比較すれば、やはり異星人が襲来するとか、そういうのが「映画」でしょ。あまりに異質なので比較しづらいが。躁うつは脳の病気だが、脳の神経細胞と闘うなんて描写はできない。
だから畢竟、金子大地との取っ組み合いで描くしかない。が、これが決定的につまらない。
カナという女の子の「いま・ここ」を描くのに「病気」が本当に必要だったの? 「病気」を都合よく使っていないだろうか、と、カナと同じ病気の私は思う。(少なくとも、躁うつ病はあんなに暴れまわる病気ではない。誤解を受けるからやめていただきたい)
唐田えりか
最後のほうにちょろっと出てくる唐田えりか。彼女は河合優実が世に出てくる前、2018年の『寝ても覚めても』で東出不倫をやらかしてしまい、活動の場を奪われていた。もう劇場映画か配信ドラマでしか女優の仕事は無理なんだろうな。(そういう社会ってどうなのよ?)
聞くところによれば、唐田えりかの新作は何とプロレスラー、それも長与千種役だそうで、肉体改造にも成功したそうな。楽しみである! みたいな、本筋とはぜんぜん関係ない感想が続々出てくるのが『ナミビアの砂漠』という映画の正体ではないか。
河井優実にはぜひとも『エイリアン2』のシガニー・ウィーバーごえを目指していただきたい。今作のように、だるそうな芝居をしたり、つまらなそうな表情をしたり、暴れたり、といった「小芝居」じゃなくて、『エイリアン2』のような、「映画」という大きな構えの中で、河井優実も大きく構えるようなやつ。楽しみにしてまっせ。
蛇足に代えて(名づけは大事)
この映画のカナという女性にはまったく共感を覚えられなかったけど、ひとつだけ共感できたところがあった。
躁うつ病か境界性パーソナリティー障害かで迷いながら、仕事辞めたんなら診断書もいらないだろから病名は別にいいでしょ、という中島歩医師に対し、カナが病名ほしいというところ。
別に病名が確固たるものになったところで病状は変わらない。それは正しい。でも、名づけをすることによって、自分でもよくわからない、ただならぬ、不気味なものの正体がわかったような気がして(気がするだけだが)ほっと一安心できるのは確か。中島歩医師は医師として間違っていると思う。
脚本・監督:山中瑶子
出演:河合優実、金子大地、寛一郎、新谷ゆづみ、中島歩、唐田えりか
河合優実の無駄遣い
TBSドラマ『不適切にもほどがある!』でブレイクし、お茶の間でも認知されるようになった河合優実の新作ですが、うーん、、、これはどうなんでしょうねぇ。
映画史上最高の演技は誰のものか。男優は措いといて女優は? 彼女と比較するのは酷かもしれんが、私は河合優実には絶大な期待を寄せているのであえて比較するのである。
その名はキャサリン・ヘップバーンでもジョディ・フォスターでもなく、シガニー・ウィーバー。作品名は『エイリアン2』。この選び方には異論がある人が大多数だろうけど、私は確信をもって挙げる。
あの映画のシガニー・ウィーバーは、この映画の屋台骨はぜんぶ私一人で支えてみせる! と言わんばかりの大熱演であった。『ナミビアの砂漠』の河合優実にそれだけの気概があっただろうか。というか、今作に支えるべき「屋台骨」があっただろうか。
女優ではないが、例えば『ウルフ・オブ・ウォールストリート』のレオナルド・ディカプリオ、または『ベン・ハー』のチャールトン・ヘストンみたいに、俺の芝居で10億ドル稼がせてやるぜ! みたいな気概を見せてほしかった。
というか、そういう気概を見せたくなるような内容じゃなかったというのが、最後まで見ての感想です。
その理由のひとつはやはり「病気」でしょう。
「病気」はキャラクターにあらず
河合優実が演じるカナという21歳の刹那的に生きるイマドキ女子が、恋人役の金子大地に言いがかりをつけ暴力をふるい、いったいどうしたのかと思ったら、躁うつ病だと。
ファーストシーンから見る気を殺がれ続けてましたが、あの中島歩医師が登場する場面ほどげんなりさせられたシーンはなかった。
もうこのブログで何度も言ってるけど、「病気」や「癖」(口癖も含む)は「キャラクター」(人格・性格)ではない。
病気になって生きづらい。そりゃ私だって同じ躁うつ病だから生きづらいが、そんなの映画にならんのだよ。
彼女は闘病中。それはいいが、文学と違い、闘病は映画になりにくい。『エイリアン2』と無理やり比較すれば、やはり異星人が襲来するとか、そういうのが「映画」でしょ。あまりに異質なので比較しづらいが。躁うつは脳の病気だが、脳の神経細胞と闘うなんて描写はできない。
だから畢竟、金子大地との取っ組み合いで描くしかない。が、これが決定的につまらない。
カナという女の子の「いま・ここ」を描くのに「病気」が本当に必要だったの? 「病気」を都合よく使っていないだろうか、と、カナと同じ病気の私は思う。(少なくとも、躁うつ病はあんなに暴れまわる病気ではない。誤解を受けるからやめていただきたい)
唐田えりか
最後のほうにちょろっと出てくる唐田えりか。彼女は河合優実が世に出てくる前、2018年の『寝ても覚めても』で東出不倫をやらかしてしまい、活動の場を奪われていた。もう劇場映画か配信ドラマでしか女優の仕事は無理なんだろうな。(そういう社会ってどうなのよ?)
聞くところによれば、唐田えりかの新作は何とプロレスラー、それも長与千種役だそうで、肉体改造にも成功したそうな。楽しみである! みたいな、本筋とはぜんぜん関係ない感想が続々出てくるのが『ナミビアの砂漠』という映画の正体ではないか。
河井優実にはぜひとも『エイリアン2』のシガニー・ウィーバーごえを目指していただきたい。今作のように、だるそうな芝居をしたり、つまらなそうな表情をしたり、暴れたり、といった「小芝居」じゃなくて、『エイリアン2』のような、「映画」という大きな構えの中で、河井優実も大きく構えるようなやつ。楽しみにしてまっせ。
蛇足に代えて(名づけは大事)
この映画のカナという女性にはまったく共感を覚えられなかったけど、ひとつだけ共感できたところがあった。
躁うつ病か境界性パーソナリティー障害かで迷いながら、仕事辞めたんなら診断書もいらないだろから病名は別にいいでしょ、という中島歩医師に対し、カナが病名ほしいというところ。
別に病名が確固たるものになったところで病状は変わらない。それは正しい。でも、名づけをすることによって、自分でもよくわからない、ただならぬ、不気味なものの正体がわかったような気がして(気がするだけだが)ほっと一安心できるのは確か。中島歩医師は医師として間違っていると思う。
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