驚きました。𠮷田恵輔監督の最新作『ミッシング』について、「石原さとみがすごすぎた」「別次元の石原さとみ」などという評が出てるんですね。いやはや。(以下ネタバレあり)
『ミッシング』(2024、日本)
脚本・監督:𠮷田恵輔
出演:石原さとみ、青木崇高、森優作、有田麗未、中村倫也、小野花梨
石原さとみ
失踪した6歳の娘を捜し求める石原さとみと青木崇高の夫婦を主人公に、マスコミのいやらしさとか、SNSでの誹謗中傷といった現代的な問題を盛り込みながら、もはや娘を捜すこと自体がアイデンティティになってしまったかのような石原さとみの苦悩を描くのですが、うーん、私はちょっと前に、あるテレビドラマに出ていた石原さとみを指して「石原・ワンパターン・さとみ」と非難しましたが、この映画を見て認識を改めました。
改めたといっても、もちろん「別次元の石原さとみ」などといっている映画評論家と同じように認識を改めたのではなく、彼女は「ワンパターン」などではなく端的に「下手」なのだ、と認識を改めました。
この泣き叫ぶシーンが一番顕著ですが、役者というのはスクリーンに本当に存在しているように見えなければいけないはずなのに、彼女は徹頭徹尾「悩んでいるふり」「泣き叫んでいるふり」をしている人物にしか見えないのです。
2010年のリメイク版『十三人の刺客』の殿様役・稲垣吾郎のことを「狂人のふりをしているようにしか見えない」と脚本家の高橋洋さんが的確に批判していましたが、本作の石原さとみにもまったく同じことが言えます。
下手なのです。下手すぎるのです。見ていられないのです。
脚本
𠮷田恵輔監督といえば、最近、2006年のデビュー作『メリちん』を見てなかなか感動したように、かねてより一目置いている存在ですが、その吉田監督自身の手による脚本があまりよくないんじゃないでしょうか。
ネットの誹謗中傷を「見ずにいられない」という石原さとみの気持ちはわかる。しかし、「これで死んでる人がいるんだよ」というなら、彼女もまた死のうとすべきではないでしょうか。自殺未遂をして、それがまたニュースになって、さらに「どうせ狂言だろ」みたいに言われる。それぐらい石原さとみと青木崇高夫妻をとことんまで追いつめないといけないと思いました。あれでは、まだまだ「追いつめられ度」が低いと思います。(イタ電は確かにかわいそうと思ったけど)
上記のような展開を入れるなら、中村倫也のディレクターも撮らずにはいられないだろうし。彼はそもそも何のための役なんですかね? 一昔前に「マスゴミ」」という言葉が流行したときのメディアイメージのように感じます。古い。
というか、マスコミの問題を描くことで「社会派」を気取ろうというような、いやらしさを感じました。マスコミよりこっちのほうがよっぽどいやらしい。
そして……
結局、見つからなかったね
帰りのエレベーターで一緒になった親子4人連れの娘さんが言ってました。
「結局、見つからなかったね」
「見つかるんかと思とったけどな」と親父さんも不満気でしたが、私も不満です。
結局見つからず、見つかるか見つからないかに関係なく、捜すことそのものにアイデンティティを見出すようになった石原さとみの姿で幕を閉じるのですが、やはりメジャー系の映画なら娘は見つかるべきじゃないかな。生きてか死体でかの違いはあるだろうけど。
結局見つからないという物語は、ミニシアター系の映画でしか通用しないように思う。
でもこの映画は石原さとみ主演映画。ミニシアターはありえない。メジャーの映画館でかけるべきだ。じゃあ、ちゃんと決着つけましょうよ。
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『シン・ゴジラ』感想(石原さとみのミスキャストだけが悔やまれる)
『ミッシング』(2024、日本)
脚本・監督:𠮷田恵輔
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石原さとみ
失踪した6歳の娘を捜し求める石原さとみと青木崇高の夫婦を主人公に、マスコミのいやらしさとか、SNSでの誹謗中傷といった現代的な問題を盛り込みながら、もはや娘を捜すこと自体がアイデンティティになってしまったかのような石原さとみの苦悩を描くのですが、うーん、私はちょっと前に、あるテレビドラマに出ていた石原さとみを指して「石原・ワンパターン・さとみ」と非難しましたが、この映画を見て認識を改めました。
改めたといっても、もちろん「別次元の石原さとみ」などといっている映画評論家と同じように認識を改めたのではなく、彼女は「ワンパターン」などではなく端的に「下手」なのだ、と認識を改めました。
この泣き叫ぶシーンが一番顕著ですが、役者というのはスクリーンに本当に存在しているように見えなければいけないはずなのに、彼女は徹頭徹尾「悩んでいるふり」「泣き叫んでいるふり」をしている人物にしか見えないのです。
2010年のリメイク版『十三人の刺客』の殿様役・稲垣吾郎のことを「狂人のふりをしているようにしか見えない」と脚本家の高橋洋さんが的確に批判していましたが、本作の石原さとみにもまったく同じことが言えます。
下手なのです。下手すぎるのです。見ていられないのです。
脚本
𠮷田恵輔監督といえば、最近、2006年のデビュー作『メリちん』を見てなかなか感動したように、かねてより一目置いている存在ですが、その吉田監督自身の手による脚本があまりよくないんじゃないでしょうか。
ネットの誹謗中傷を「見ずにいられない」という石原さとみの気持ちはわかる。しかし、「これで死んでる人がいるんだよ」というなら、彼女もまた死のうとすべきではないでしょうか。自殺未遂をして、それがまたニュースになって、さらに「どうせ狂言だろ」みたいに言われる。それぐらい石原さとみと青木崇高夫妻をとことんまで追いつめないといけないと思いました。あれでは、まだまだ「追いつめられ度」が低いと思います。(イタ電は確かにかわいそうと思ったけど)
上記のような展開を入れるなら、中村倫也のディレクターも撮らずにはいられないだろうし。彼はそもそも何のための役なんですかね? 一昔前に「マスゴミ」」という言葉が流行したときのメディアイメージのように感じます。古い。
というか、マスコミの問題を描くことで「社会派」を気取ろうというような、いやらしさを感じました。マスコミよりこっちのほうがよっぽどいやらしい。
そして……
結局、見つからなかったね
帰りのエレベーターで一緒になった親子4人連れの娘さんが言ってました。
「結局、見つからなかったね」
「見つかるんかと思とったけどな」と親父さんも不満気でしたが、私も不満です。
結局見つからず、見つかるか見つからないかに関係なく、捜すことそのものにアイデンティティを見出すようになった石原さとみの姿で幕を閉じるのですが、やはりメジャー系の映画なら娘は見つかるべきじゃないかな。生きてか死体でかの違いはあるだろうけど。
結局見つからないという物語は、ミニシアター系の映画でしか通用しないように思う。
でもこの映画は石原さとみ主演映画。ミニシアターはありえない。メジャーの映画館でかけるべきだ。じゃあ、ちゃんと決着つけましょうよ。
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